食堂

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 ――リュウキュウ? 琉球なら、確か薩摩の南にあるとかいう島だったような。  山彦(やまひこ)少年の記憶は曖昧であった。しかし、地名などはなんとなく覚えていた。それに少しずつであるが、記憶が戻りつつあった。といっても自分が何者なのかまでは、ハッキリと思い出せない。安房国(あわのくに)と呼ばれている地域の出身というぐらいだ。それと弟が居たような記憶もある。しかし、その者の名前は思い出せない。  ――しかし、ここは本当に、船の中か?  艦長と保安長との話の中で、この戦船が和邇(わに)号と呼ばれることを知った。だが、不思議な船であることには変わりがない。  まず船内の明るさだ。  窓もないのに、昼間のように室内は明るい。明かり取りの隙間も壁にないのに、普通は薄暗いはずだ。それは、天井から太陽光とはまた別の明かりが、降りそそいでいるためだと分かった。まだ『医務室』と呼ばれる部屋から出ていないが、それがこの船の中を照らしているのだろうと、推測は出来る。  それにある一定の時刻になると、壁のスピーカから女性の声が聞こえ、定刻を告げた。それと同時に、天井の明かりが仄かになる。それでも満月の夜並みの明るさだ。  不思議な船のことはまだある。海にいるはずなのに、ほとんど揺れないし、潮のニオイがしないことだ。部屋(医務室)には酒のようなニオイがするが、何なのかサッパリ分からないでいる。 「ベッドに寝てばかりでは、体が鈍る。艦内だけでも歩いて、体力を回復しろ」  実際には2日ほど寝かされていた。医師バクがそう告げると、助手の青年が付き添って、戦船の中を案内してくれるという。  青年は小石川(こいしかわ)と名乗った。 「まずは身なりを整えなければ!」  青年のいうとおり、山彦少年の姿は浮浪者のような見える。髪は海水と日の光でボロボロ。ある程度まで伸びたら切るが、普段は荒縄を使い、頭の上で結っていた。この船に助けられたときに無くしたようで、ボサボサのままだ。まるでモップを頭に乗せている感じだ。着物だって上着は火傷のために、脱がされたまま。下に至っては(ふんどし)一丁に布を腰に巻いているだけだ。  そんな山彦少年は、医務室の横のドアに案内された。  入り口に赤と白、それに青の線が牽かれた板きれ(プレート)が架かっている。その下に部屋の用途が書かれているようだ。山彦少年はそもそも文字が読めないため、気になることはなかった。 「マゲはお断りだよ」  入るなり、太めの中年の女性に注意された。青年と同じような白い甚平を着ている。 「私じゃありません。この子です」 「ああ、あんたが噂の子かい? しかし小汚いねぇ」  山彦少年は、面と向かって言われると、少々腹が立つ。だが、チラリと横を見ると、自分の姿が映っていた。この部屋の片方の壁一面が鏡になっていた。  そこに映し出された自分の姿……垢の浮いた顔に、ボサボサの髪。それを見て、女性に言い返せなかった。その通りで会ったからだ。 「……座りなよ」  部屋の中は『医務室』と大きさは大差無いはずであったが、妙に大きく感じる。壁一面に巨大な鏡が張られているためであろうか。そして、変わっているのは3脚ほどある革張りの椅子が、鏡の壁に向かって並んでいる。その前には、瀬戸物のような白い器が置かれていた。  女性はその椅子の1脚に座るように促した。  山彦少年は革張りの椅子など、腰掛けたことがない。いや、そんなものが存在することが知らなかった。少し尻込みしたが、女性は早く座れとアゴで指図してきた。  覚悟を決め、恐る恐る座った。 「言仁(ときひと)様も物好きなこと……早く金子でも渡して、帰してやればいいんだよ」  と、女性は愚痴をこぼしながら山彦少年の後ろに立つ。その手には櫛が握り締められていた。「艦長の慈悲でしょ。親も居ず、自分のことも分からないそうですから……」 「小石川のお兄さん。慈悲だったら、この子の為に着るものを用意してあげたら?」 「ああ、そうであった。では、髪結い殿、よろしく頼む」 「全く、医者になるといいながら、気が利かないのだから……で、あんたは如何するんだい?」  ため息をつきながら女性は、山彦少年に問いかける。 「ど、どうするとは?」 「髪型だよ、髪型。今更、マゲなんてしないんだろ? 今は……元治(げんじ)だっけ?」 「えっ? ゲンジ? 年号なら明治ですが……」 「ああ、変わったんだっけ? 黒船だの色々あったからね」  と、中年女性は山彦少年の髪に、櫛を入れはじめた。  ※※※  医師見習いの小石川(こいしかわ)が用意した着替えは、黒色のズボンに白いシャツ……この船に乗り込んでいるもの達とは別の西洋の服が用意された。あの艦長の凝った作りではないが、すっきりとした感じがする。もっとも、山彦(やまひこ)少年にとってみれば着たこともなかった新品同然の服だ。それに頭もボサボサのモップのようだったのが、キレイに刈り揃えられていた。顔の垢も拭い取られている。 「さて、これからどこを案内すべきか……」  小石川青年は少々悩んでいた。  床屋を出たのはいいが、山彦少年が確認すると、右も左も灰色の廊下が続くのみだ。  その廊下は真っ直ぐではなく、僅かに湾曲しているのが見て取れる。  そして、所々に重たそうな扉が備わっていた。潜水艦であるため、浸水などをした時、被害を最小限に区分けされているものだ。だが、そもそも戦船(いくさぶね)に乗るのなんて、初めての体験だ。理由があってあんな鉄で出来た扉が備わっているのだ……と、山彦少年はひとりで納得した。 「よし! 一番、驚かせるのがいいだろう。それに飯もありつける」 「飯!?」  その言葉を聞いた途端、腹が鳴り出した。話の前半部分よりも、飯の言葉に敏感に反応した。そもそもこの船に乗ってから、食べ物を口にしていない。 「たらふく喰えしてやる」  そういって、小石川は廊下を歩き始めた。  医務室を出て、数カ所の鉄の扉を抜けると、お目当ての部屋にやっていたようだ。連れられていくに従い、食べ物の匂いが漂ってくる。一体何を料理しているかまでは分からない。  入り口のプレートには、何か書かれているようだが、相変わらず読めない。ただ円がふたつに魚のイラストが描かれている。 「さあ入りなさい」  小石川の言われるまま、中に入ると驚くものが目に入ってきた。  正面の壁が、床から天井までの巨大な円い窓が開けられていた。それが5つ。今までの部屋では外の景色が見えなかったが、ここは開放されているように開いていた。  それよりも―― 「うッ 海の中!?」  一瞬、尻込みをした。  その開いた窓から見える風景は、素潜りをしたときと同じ……いや、素潜りの時よりも遥か下の風景。それが目の前に広がっている。魚の群れさえ見える。それがずっと同じ場所にいるということは、この船が同じように動いていることに他ならない。 「この戦船は一体?」  小石川の顔を見ると、ニコニコと自慢するがごとく答えた。 「潜水艦という」 「センスイカン?」  聞いたこともない言葉に疑問しかない。黒船は、見た目が黒いから理解できたが、潜水艦といわれて理解のしようがなかった。 「海の中を潜れる船だ」 「船が海の中を潜る!? それは……」  沈没というのではないだろうか。そう言いかけたが、すでにこの2日間、この船の中にいる。沈没しているわけではないのは確かだろう。それに窓の外、魚の群れと一緒になって動いているものを、沈没船といえるのだろうか。  ――そんな船があるのか?  潜水艦の仕組みはよく解らないが、現実に乗せられている。  あのタコの化け物に襲われたときに死んだのなら理解できる。あの世でもない限り、長い夢を見ているわけではない。だが、痛みもあり空腹も感じた。  つまりは現実……では誰が作った。  日の本で作れるはずがないと、なる。それでは西洋人か。今の山彦少年の知識ではそれぐらいしか出なかった。 「水は? 水は、大丈夫なんですか!?」 「木よりも(はがね)よりも、もっと堅いもので出来ているそうだ。なんといったかなぁ……」  青年は説明しようとしているようだが、山彦少年の興味は別に移っていた。  ――この透明な板は何だ?  船内と船外を隔てている透明な壁を、恐る恐る触ってみた。  冷たい鉄のような感触がするだけだ。強化ハーキュライトというガラスではない別の物質で出来ているのだが、少年はガラス自体、見たことがない。そのため何であるか、なんて理解できなかった。  外の風景に見とれていると、鼻に食べ物のニオイが漂ってきたことに気が付いた。  振り返ってみると、ねじり鉢巻きをした小太りの男が立っている。手には(ぜん)を持って。 「これがここの飯……」  膳にはこんもりと盛られた飯。汁物に尾頭付きの魚まで付いている。しかも、高級品と思われる漆塗りの器――。  これが食べられるのかと山彦少年は思ったが、ねじり鉢巻きの男は首を横に振った。 「これは艦長のだ。お前のは、向こうに用意してある」  と、アゴで部屋の奥、料理場を指し示した。  丸い外が見える窓に見とれていたが、よく見ると、この部屋には長机と丸椅子が並んでいた。ここは食堂兼休憩室といったところか。潜水艦での窮屈な生活を和ますためか、等間隔に見たこともない植物が、鉢植えで置かれていた。  ねじり鉢巻きの男が指した先、小石川青年が手招きしていた。男の言った通り、食事が別に用意されていた。  高級な器ではないが、スズか何かの金属製の容器に、食事が盛り付けられていた。飯だけは、『艦長用』のと変わらないぐらい盛られている。 「尾頭付きではないか……」  とはいっても、添えられた魚は半身の焼き魚だ。  曖昧な記憶の中から、食事のことを思い出してみたが、そんなに食べたことがない。雑穀か何かでしのいでいた……そんな曖昧な記憶しか無い。 「さあ、おかわりは自由だ。喰えるだけ喰え」  青年に()かされて、窓際の一番よく見える席に食事を運んだ。  ――魚と一緒に飯を食べるなんて不思議だなぁ。  目の前を魚の群れがいる。それを眺めながら食事とは何とも不思議な気分だ。  山彦少年は不慣れな箸の使い方をしながら、飯をかき込んだ。何せ行儀作法など、習ったことがない。かき込む飯には、米以外にも何か入っている――栄養補給のために麦が入っている――ようだが、気にしない。食べ物を目にして空腹はますばかりだ……とはいっても、あまりにも慌てて口に含んだものだが咳き込んでしまう。 「慌てて喰うではない。誰も取らんぞ」  と、突然、艦長が現れた。先程彼の元へ「膳を持っていく」といって部屋を出て行った、ねじり鉢巻きの男を連れて。 「艦長!?」  小石川がビックリして飛び上がった。 「バク殿に出歩いとると聞いてな。食事をしていると聞いたので、一緒にと思ったが、都合が悪いか?」  と、聞いてくるが、山彦少年が答える前に、小石川が答える。 「滅相もございません。彼も光栄だと思われます。  ほら、そこは上座だ。ヤマはこっちへ座れ」 「えっ、あっ!」  言われるままに、立ち上がり場所を空けようとした。だが、艦長はそれを制止する。 「気にせんでもよい。それより傷の具合はどうじゃ?」  艦長はヤマとは、対面するように座り、運ばせた膳を目の前に置かせる。 「はい。痛みは引きましたが、こそばゆくて……」  左腕を見る。相変わらず、和紙のようなものでグルグル巻きにされていた。 「(りゅう)の民の薬はよく効く。それにかなりひどい火傷だとか聞いた。後は残るかもしれないが、今しばらくの我慢じゃ」  そういって、山彦少年とは対照的にキレイな作法で箸を器用に扱い食事をはじめた。 「竜の民ですか?」  少年は、艦長が口にした言葉を繰り返した。  医師バクの顔や姿を思い浮かべると、最初は河童かと思ったが……いや、『竜の民』という表現あまりしくり来なかった。  記憶の片隅にある村の神社か何かに、『これが水神(すいじん)様だ』と、竜の絵が奉納されていたような気がした。顔つきは全く違う。大きな口に大蛇のような胴体。モジャモジャの髭が伸びていて眼光が鋭い。指は3本であったがニワトリの脚にも見えた。  そうなると医師バクは、少年からしたら、イモリやヤモリのような感じに見えている。  そのモヤモヤを言うべきかどうか悩んでいると、食事は満足に取れなくなっていた。少し息が詰まる気がしてきた。  艦長が一緒に……と、いったわりには喋ることもなかった。  小石川もねじり鉢巻きの男も、遠巻きにふたりの様子を見ているだけた。一言も口にしない。  ――食事とはこんなものだったか? 誰かと一緒に……  いつも誰かと一緒に食べていた記憶がある。ワイワイと談笑をしながら。だが、それが誰であったのか、思い出そうとすると頭が痛くなってきた。 「大丈夫か?」  山彦少年は頭の痛みが顔に出ていたようだ。艦長が食事を中断し、声をかけてきた。 「すみません。何か思い出せそうなのですが……」 「よいよい。ゆっくりと思い出せば」 「――はい」  そう答えると、急に甲高い耳鳴りのような音が1回した。 『――艦長、お食事中のところすみません。九郞(くろう)です。まもなく会合地点です』  どこからともなく男の声が聞こえる。  山彦少年が探してみたが、そのような人物はいない。それもそのはずだ。壁に埋め込まれたスピーカから、流れてきていたのだ。そんな装置すらあることを知らない彼が、見つけられるはずがない。 「もうそんな時刻か……」  艦長は懐から、懐中時計を取り出して確認する。  ――ずっと海の中を進んでいるようだが、琉球は島国ではなかったか?  不思議そうに丸窓を見た。  気付けば一緒に泳いでいた魚の群れはいなくなり、海の中の色が濃くなった気がした。 「あれは……あれが、海の中を潜る船……」  山彦少年が食堂の窓から見えたのは、もう一隻の潜水艦であった。  異様な形をしている。最初はどちらが前か後ろか判らないが、この『和邇』と一緒に動いているのを見ると、エビのような鋭い頭の方が船首であろう。中間ぐらいに、エビ同様にクルリとした突き出した目玉があり、発光していた。そちらが前であるというのであれば、巨大なウミガメの甲羅のようなものが、船尾ということになる。 「魚人(ぎょじん)族の趣味は変わっている」  艦長がそう呟くと、立ち上がった。  少年が理解する間もなく、 「食事を残すことになるが、相済まない。これから客人をもてなさなければならない。それに……」  と、何かを言いだしたところで、山彦少年を見ると、中断してしまった。少年に言えない何かなのか? 僅かに思考する合間があり、艦長は話を続ける。 「小石川君。すまないが、この少年を少し艦内の案内を頼めないか?」 「構いませんが……どこまででしょうか?」 「そうだな。できるだけゆっくりと回るといい。()()()()にあわせないように――」 「畏まりました」
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