師範

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師範

 食堂を抜けて山彦少年は、小石川青年に連れられて灰色の廊下を歩く。 「ここから先は、我が艦の主要部分になる。まあ覚えていたとしても、人にしゃべったところで信じてもらえないだろう」  階段を下がると、相変わらず灰色の廊下が続いたが、上の階の生活環境区とは別の雰囲気になっていた。  薄暗く肌寒い。外がのぞける窓もない。時折、壁のパネルが光るのがやや不気味に感じる。廊下は艦体の端を歩いているのか、50メートル(165尺)ほど、ほぼ真っ直ぐ進む。  ふと山彦は立ち止まった。 「この左手の部屋は何ですか?」  左の壁に、均等に扉があるが一部、鎖で封鎖されている。それは外部の上甲板に敷き詰められたパネルと同じ数が並んでいた。 「それは、私よりもこの先にいる御仁のほうが詳しいから、聞いてみなさい」  と、目の前に黄色と黒の線が斜めに入った扉が現れていた。  近づくと廊下の底冷えとは違い、異様に熱気がある。 「さて、どこにいるかな……」  小石川青年はそう呟きながら、扉を開ける。  するとどうだ。隙間からもうもうと熱気と蒸気が漏れ始めた。それガンガンと機械がたたきつけられる音が響く。  廊下は両手が広げられるぐらいだったのが、急に狭くなり、人ひとりがようやく通れるほどの狭さだ。この先の部屋を占領しているのは、機械のほうだといっていい。 「マゲさんは、お断りですよ!」  そんな機械との間から、鈴のような声が聞こえてきた。 「ユキ嬢おいでか? どちらに見える?」 「子ども扱いしないでください!」  突然、並んでいる機械の間から真っ黒い頭が飛び出してきた。  その途端、山彦少年が悲鳴を上げてしまった。周りが、明るい灰色なのに黒い塊……竜の民の頭が飛び出したのに、驚いてしまったのだ。 「何ですか!? 人の顔を見て驚くなんて、だから猿人は嫌いです」  現れた『竜の民』はムスッと膨れているようだ。ただ、彼女らの顔の構造はやはり人間とは血が。人間であごを膨らせ、不快感を示す行為は、あごの下の肉なのであろう。ほほ肉はあまりないようなので、そのあたりの肉が膨れて見えた。 「これが例の猿人ですか?」  機械の間から姿を見せる『竜の民』のおそらく女性。全身が真っ黒の産毛で、顔もそれに覆われている。目は白目が若干あるので認識できるが、クルクルとした大きな瞳だ――こちらも黒色。 「ユキ殿、師範はどちらに?」 「源内先生だったら……どこだったかな? いつもの研究室にいませんか?」  ユキと、体の色と正反対の名前の付いた竜の民は、手に持ったスパナで頭を掻きながら答えた。 「そうか、ありがとうユキ嬢」 「子ども扱いしない! それから……そこ、触らない!!」  興味本位で、近くのバルブに手を伸ばそうとした山彦少年は、慌ててひっこめた。  ※※※  パイプのつなぎ目のあっちこっちから、水蒸気の上がる蒸し暑い中をふたりは進んだ。かなり腐食が進んでいるのか、パイプ類は補修の後でいっぱいだ。錆もひどく浮いている。この艦が外見よりもかなり古いのかもしれない。 「研究室は、あっちだな」  山彦は、機関室を連れられていたが、疑問に思うことがあった。鉄で出来た機械の並ぶ巨大な空間にもかかわらず、ほとんど人影がいないことに。  会ったのは、あのユキという『竜の民』と、他に黙々と作業をする人間がひとり――。  てっきり声をかけるものと思っていたが、小石川青年は声もかけずに素通りした。 「あちらにいるな」 「なんですか、あれは!?」  機械に囲まれた中で、異様な小屋が現れた。  どう考えても日本家屋とおもえる漆喰が塗られた壁に、艦の中なのに屋根瓦まで拭いてある。ただ、よく見れば表は家屋そうだが、裏側は艦の壁と一体になっている。 「源内師範? 源内師範はおいでか!」  小石川が玄関の引き戸を開けた。だが、返事はすぐに返ってこない。  入ったすぐの場所は土間があり、外と違いひんやりと冷たい。  青年が何度か声をかけつつ、中に入っていくと、 「――なんじゃ?」  襖が突然開き、骸骨のような顔が飛び出してきた。  髪は剃り上がり、凹んだ目にガリガリの首筋……皮と骨だけといった感じの老人だ。 「源内師範。探しましたよ」 「小石川君か。何か用か?」 「源内師範にお願いしたいことがありまして――さ、ヤマよ」  と、青年の後ろにいた山彦は、死神のような男の前に出された。 「こやつか? この前、助けたというのは――」  この骸骨の老人は、「まぁ入れ」と、山少年たちを部屋に招き入れた。  ふすまの隙間から、何か食欲を誘う臭いが漂ってくる。  まだ食事を食べたばかりだが、山彦少年はその匂いに誘われるような感じがした。  部屋は畳敷きの和室が、戦船のそれも機関室に存在した。しかも外からは見えなかったが、中庭もあり、そちらに向けて書き物机まで備わっていた。  骸骨老人は、ふたりを招き入れると、そそくさと部屋の中央にある七輪の前に座り込んだ。そして、焼いている物体をひっくり返し、立ち上がる煙をかいて満足そうにしている。これが香ばしい匂いの正体のようだ。  どうやら何かの肉を焼いているようだが、そんな老人をあきれるように見る小石川が、 「源内師範、またですか?」 「これだけはやめられない。小石川、お前も食うか?」 「いえ、私は……」 「医者の見習いのくせに……バクから、滋養強壮にいいと教わらなかったか?」 「そうですが、やはり――」 「そうか……つまらぬ。ほれ、そこのお前どうじゃ?」  と、老人は山に聞いた。 「おいらは――」  何を焼いているのか、山彦にはすぐに理解できなかった。まあ、クジラの肉ぐらいなら、口にしたことがあるが、見た目が違う。老人の傍らにまだ焼いていない肉がある。が、味噌につけられているようで、何の肉かわから無かった。 「彦根の反本丸(へんぽんがん)じゃ。うまいぞ」  1枚だけ載せられた皿が用意され、山彦少年の前に差し出された。 「――いただきます」  差し出されたものを受け取ると、躊躇しながら口に運んだ。隣の小石川青年が頭を抱えていることに気づかずに。  口に運んでみると、食べたことのない味だった。焼けた味噌と染み出す肉汁が、口の中に広がり、旨い。少し前に食事をとったばかりであったが、急激に臓物がその肉を欲しがる感じが上がってくる。 「おいしいですね。これは一体?」 「そうじゃろう、そうじゃろう。やはり、暑さ時は、()のものを食べるのが一番じゃ」  骸骨老人は機関室の熱さを言っているのか定かではないが、小石川のほうは、 「ヤマよ。それは――」  と、肉の正体を言いかけたところで、 『――小石川隊員。医務室に出頭してください。急患だそうです』  突然、艦内放送が入った。 「医者は休まらんのう……ところで、お前、何をしに来た?」 「ああ、艦長のご命令で、このヤマの艦内の案内をするようにと……源内師範、お願いできますか?」 「任せておけ!」
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