おはようのクレヨン

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「ねぇ、優」 「なぁに?? お母さん」 「お母さん。 もう遠くに行かなくちゃいけないの……」 「どこに行くの? 僕も行きたい!」 ボクは、病院のベットで横たわるお母さんの顔を見つめた。 「ごめんね。 優は、連れていけないんだ……」 「え? どうして?僕も連れていってよ!」 ボクは、目に涙を浮かべて懇願した。 「泣かないの。 優は、男の子でしょう?」 お母さんが、弱々しく尋ねる。 「……うん」 「だったら、泣くのを止めて。 お母さん、優の笑う顔がみたいな」 悲しいのに、笑うことなんて出来ない…… だけど、ボクは精一杯の笑顔を作ってみた。 「うん!いい笑顔だ! 優、その笑顔を大事にしな! お母さんは、先に逝っちゃうけど、笑顔を大切にね……」 それが、お母さんの最後の言葉だった。 お母さんは、ニッコリと笑うと、そのまま静かに息を引き取った。 僕は、何も出来なかった。 お母さんの手を握る事も出来なかった。 僕は、お母さんに何が出来たのだろうか? 僕は、静かに泣いた。 声を出さずに静かに泣いた。 お父さんは、もういない。 僕が産まれる前に家を出て行った。 兄弟も居ない。 親戚も居ない。 居るのは、無口なおばあちゃんだけ。 僕は、そのお婆ちゃんに引き取られる事になった。 部屋は、肌寒い屋根裏部屋。 何もない何もない何もない部屋。 あるのは、大きなベッドと小さなタンス。 物置代わりに使われて居た為か、埃っぽい。 そして、色んなものがあった。 何も無いんだけど色んなものがあった。 熊の置物。 日本刀のレプリカ。 僕は、毎日自分の部屋を探検した。 自分の部屋なのに探検をした。 幼稚園には行っていない。 幼稚園には悪魔がいるから。 だから、僕は飽きるけど自分の部屋の探検をした。 そして、僕はクレヨンを見つけた。 古い古い古いクレヨンを…… 僕は、紙を用意して、すらすらとクレヨンで書いた。 赤いクレヨンで、トマトを書いた。 するとそのトマトが、ふんわりと紙の上に現れた。 そのトマトをかじってみた。 美味しくない。 これは、きっと僕の絵が下手だからだろう…… トマトはすぐに消えた。 僕は、次に欲しかったおもちゃを書いてみた。 すると下手だけど、そのおもちゃが現れた。 ちょっと遊んでみただけなのにすぐに壊れた。 そして、消えた。 気付いた事がある。 僕が書いて現れたモノは、30分で消える。 このクレヨンは、30分だけ書いたモノを外に出す事が出来るんだ。 僕は、思った。 これで、お母さんを書いたらどうなるのだろう……? 僕は勇気を出して、お母さんを書いた。 そしたら、下手なお母さんが出た。 「優……」 僕はお母さんに抱きついた。 お母さんの匂いがする。 お母さんの声がする。 僕は、お母さんにいっぱい甘えた。 本当は、ずっとお母さんの絵を描いてずっと居たかった。 だけど、それをしてしまうとクレヨンが早くなくなってしまう。 そんなことは、子供の僕にでもわかった。 「どうしたの?」 お母さんが、僕に尋ねる。 僕は、首を横に振って答えた。 「なんでもないよ」 僕が、そう言うとお母さんは、ニッコリと微笑んだ。 そして、30分が過ぎた…… 僕は、この30分後が大嫌いだ。 お母さんが消える。 それだけで、胸が張り裂けそうになるから…… 僕は、決めた事が一つだけある。 お母さんを呼ぶのは、朝の時間にしよう。 そうしたらひとりぼっちの夜が怖くなくなる。 憂鬱な朝が来るのが楽しみになる。 僕は、朝が来るのが待ち遠しく。 眠れない夜が続いた。 僕は、ゆっくりと空を眺めた。 空には無数の星空が輝く。 そして、僕が気付いた時、僕は眠っている。 毎日がこれの繰り返しだった。 僕は、赤いクレヨンでお母さんを書いた。 「おはよう」 僕が、絵から出てきたお母さんに言う最初のセリフ。 するとお母さんは、笑顔でこう答える。 「おはよう」 お母さんは、そう言って僕の体をギュッとする。 お母さんの体が少し暖かくなってきた気がする…… それは、きっと僕の絵が上手になったからだと思う。 僕は、それが嬉しくて嬉しくて堪らなかった。 お話は、いつも同じ話をする。 絵の中のお母さんには記憶がない。 だから、毎回毎回同じ話をする。 お母さんは、死ぬ前に僕が話したことしか知らない。 だから、死んだお父さんの話や死んだおじいちゃんの話なんてもちろん知らない。 それでも、僕は楽しかった。 物凄く楽しかった。 でも、それが毎日続くとは思えなかった。 なぜならクレヨンは、もう残り僅かになったのだから…… 最後の最後の最後のクレヨン。 魔法のクレヨンは、とうとうあと一回書けるか書けないかの大きさになった。 僕は、小さな小さなお母さんを書いた。 「おはよう」 「おはよう」 お母さんは、笑顔で答えてくれる。 その笑顔がどこか寂しい。 「お母さん。 もう遠い場所に行かなければいけないの」 いつもと違う。 あの時のお母さんの言葉が、僕の耳の中に入ってきた。 「嫌だよ! 僕も遠い場所に行く!」 僕は、駄々をこねる。 「ごめんね。 優は、連れていけないんだ……」 「どうして? どうして? 僕も連れて行ってくれないの!」 「泣かないの。 優は、男の子でしょう?」 小さなお母さんが、弱々しく尋ねる。 僕は、何も答えない。 僕が、頷くとお母さんは、言葉を続けるだろう。 そうなったら、また僕はお母さんと、サヨナラしなきゃいけなくなる。 でも、答えなきゃ。 でも、答えなきゃ。 僕は、逃げちゃいけない。 逃げたらずっと逃げなければいけなくなる。 「泣くのを止めて。 お母さん、優の笑う顔がみたいな」 でも、悲しいのに笑うなんて僕には出来ない。 それでも、僕は、笑わなくちゃ…… 僕は、精一杯の笑顔を作った。 「うん!いい笑顔だ! 優、その笑顔を大事にしな! お母さんは、先に逝っちゃうけど、笑顔を大切にね!」 お母さんは、そう言ってニッコリと笑った。 そして、静かに姿を消そうとした。 「お母さん!」 僕は、お母さんを呼んだ。 「ごめんね……」 お母さんが、静かに謝った。 「え?」 「ごめんね…… こんな残酷な事を2回も味あわせてしまって……」 「どういうこと?」 僕は、お母さんに尋ねてみた。 「お母さんね。 神様にお願いしたの。 『優にもう一度会いたい』って……」 「え?」 「でも…… 結局、優を2度も悲しませる事になちゃったね」 お母さんは、苦笑いを浮かべる。 「お母さん何を言ってるの?」 「優!」 「はい!」 「さっきの笑顔、大事にしなよ!」 お母さんは、そう言って姿を消した。 クレヨンは、もうない。 続きを聞く事は、出来ない。 でも、わかった。 絵の中のお母さんは、本当のお母さんだったんだって…… 僕は、それに気付いた時、涙をボロボロとこぼした。 魔法のクレヨンは、もうない。 だから、またお母さんと会うことは出来ない。 だけど、お母さんはずっといる。 不思議だけど、お母さんのことを思うと心が暖かくなるんだ。 これって、お母さんが僕の心に生きているって事だよね? 僕は、空箱になったクレヨンに向かって小さくあいさつした。 「おはよう」 声は、返ってこなかった。 ~完~
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