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 枯れ枝に新雪がかぶさって、風が吹くと砂糖を指でこねながら散らすようにさらわれていく。天気が荒れていようとも、一向に動じず山の間を走っていく電車の音を、扉にもたれながら目を(つむ)って聞いている。駅に近づくと電車は緩やかに減速していき、右の扉が開くことが男性の声でアナウンスされた。ぼくはコートに両手を入れて、左の扉へとうつった。  ボックス席に横並びに座るひとは一人もいなくて、ひとりぼっち外を見ているおばあさんもいれば、斜め向かいに腰を下ろして、素知らぬように教科書か参考書をめくっている制服姿も見える。中には店名が印字された茶色い紙のカバーで表紙を隠して、電灯の明かりを頼りに本を読んでいる学生もいる。  当時のぼくは――高校生のぼくは、受験生になればイヤでも勉強をするようになると思っていた。だけど実際は、親に隠れて小説ばかり読んでいて、模試の成績も悪ければ、補講で教えられる内容もうまく理解できず、教師からはさんざん怒られた。  八月十八日の誕生日に、おばあちゃんが図書カードをくれた。これで参考書を買うと言えば、勉強をサボっていることの後ろめたさを、少しは払拭(ふっしょく)できるかと思った。だけど、おばあちゃんは、自由に使っていいんだよと、もうすっかり大人の身体になっていたぼくの肩を、泣きやまない子どもにするように優しく()でてくれた。  第一志望の大学に受かることはなかった。滑り止めで受けた大学に進むか、一浪をするかという選択は、ぼくひとりで決めるには重すぎるものだった。でも結局、滑り止めで受けた大学の方を選んだ。どうせ、一年のあいだ勉強をし続けることなんてできない。ぼくは、本を読むために生まれてきたのだ。そう自分に言い聞かせた。でもほんとうは、はやく実家から飛び出したいという気持ちが強かったのだろう。  そうだ、思いだした。あの夏の日の駅のホームで、ぼくは本を買ってもらえる嬉しさをこらえきれなくて、走り回っていたのだ。抑えきれない興奮が、ぼくの両手を羽のように広げさせて、8の字を描くように駆けさせたのだ。町の大きな本屋さんは、小さいぼくにとっては宮殿のように思えたし、きっとお店の地下に本を作る工場があって、新しい本はそこから運ばれて本棚に並ぶのだと想像していた。  母さんは、どれだけ駄々をこねても一冊しか買ってくれなかった。読んでいる途中で、「あっちにすれば良かったな」と思いはじめて、「よし、次に本屋さんに行ったら、迷っていたもうひとつの方を買ってもらうんだ」と心に決めることもあった。ても、いざたくさんの本棚を眼にしてみると、どれを手にすればいいのか分からなくなった。  思ってもいない出会いがたくさんあり、想像を裏切られることも何度もあった。あれを買おうと思って入っても、出るときには違う本を持っていることなんて、数え切れないほどあった。当時のぼくにとって本屋さんは〈なにもかもがうまくいかない〉ところだった。
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