袖のともがら

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「僕はお前に勝てなくて辞めたけどな。将棋は好きだ」 「一回くらい名人になってみるのも悪くないと思ってる」 「お前と一緒にってところも目をつぶってやる」 柴は意味が分からないのか、固まったままだ。 「和服は持ってきてるのか?」 「……ああ」 今日初めてまともな会話が成立したことに、少し安堵する。 立ち上がり、棚の引き出しからボールペンとメモ帳を取って彼の前に戻る。 メモ帳から空白のページを破り取り、ボールペンで書き付ける。 その紙を内側に四つ折りにして、彼に手渡した。 「これを持って、対局場に行け。中を見るのは開始直前だ」 僕はいたずらっぽく笑って見せた。 「僕に一手くれよ。柴」 長い逡巡の後、彼は縋るような目で紙を受け取った。 *** 柴を送り出した後、僕はひたすら自問していた。 「なぜ、あんなことをしたのだろう」 思い出すのは、小学校の教室での風景だった。 窓から差し込む陽光の中、二人で小さな将棋盤を挟んで向かい合っている。 「世界で一番強い人を名人っていうんだ」 「名人はたった一人なんだ。すごいだろ」 彼はいつも盤と駒の前で目を輝かせていた。
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