袖のともがら

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カップにミルクを注ぎながら、彼が嘆くように言う。 「僕と彼の関係を知っている人間なんて、ごく一部だと思うのですが」 「それも将棋関係者に至ってはゼロのはずです」 「あなたの情報の出どころを明かす気はありません」 「なるほど」 彼に納得した様子は無かったが、拘泥する気も無いようだった。 「電話でもお話しましたが」 「12年前、俺は第七十期名人戦の記録係を務めました」 「柴が初めて名人を獲った対局、ですね」 俺は黙って頷いた。 あの日から現在に至るまで、彼の名人位は一度たりとも失われることはなかった。 「その対局が始まる瞬間、俺は確かに見たんです」 「彼の袖から覗く白い紙を」 俺はあらかじめ仕込んでいた和服の袖の中のナプキンが彼に見えるように、右手を斜め上に向けた。 男物の和服の袖付け部分は縫われており、袋状になっている。 「思えば、その直前に彼は左手を右手の袖の中に入れていました。そのときは対局前に服を整えているように見えましたが」 「袖のポケットの奥にしまっていた紙を袖口まで引っ張り出していたのでしょう」 俺が少し間を置いても、川上は押し黙ったままだった。
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