上流家庭

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上流家庭

人の価値を会社の看板や肩書き、出自で決めることに強いアンチズムを覚え私は席を立った 初めて彼の両親とのお食事はやはり高級なホテルの最上階のレストランであった。はるか下の人々の日常が窓から見える。私はその日常を送るごく普通の人間のうちのひとりだ。なんのご縁があってか今こうして高みの見物をしている。大企業の重役の息子の彼。そうとも知らず出会い今このテーブルの席につき彼の両親と談笑を交わす。金持ちの家はみんなこうなのか。普通、普通というけれどどこが人間の普通や標準なのかは気にしたこともなかったこれまで。そもそもがこんな世界の人と交際を持つことなど考えてもみなかった。上流家庭の人は穏やかだが気難しいものと一方的に決めつけていたが存外彼の両親は気さくに私と談笑を交わした。主に話しをリードしていた彼のは母、その隣で彼の父親はグラス片手に常時にこにこと間の手を入れたりするだけであったが話しは彼や彼の父親の会社の大きさや収入の自慢話からやがて私自身のことへと及んだ。 「本当に品のある方ね、大学はどちらでしたの?」 私は一瞬言葉に詰まった。嘘をつくことも考えたが正直に答えた。 「私は高卒なんです」 それまで満面の笑みであった彼の母親から笑顔が消えた。 「まあ⋯綺麗で身なりもいいのに」 さも残念そうに彼の母親は言った。私はたぶん生まれた家庭がコンプレックスになっていたのだと思う。綺麗に着飾り流行りのものは借金してでも買い入れ見た目だけはお嬢様で通していたのだ。普通の会社の事務員ではブランド物を買い集めるには借金しかなかった。もう元金がいくらに膨れ上がっているのか知るのが怖くて調べたこともない。そうまでして私は外見には気を遣い所作もさもいい家の出のように務めて繕って生きてきた。今思えばたいして裕福でもなく良くない家庭環境であったことに気付く。 「ところでお父さんは何をされているんですか」 今度は彼の父親が私に尋ねた。答えたくなかった。あまり人には言いたくなかった。隠しておきたかったのだがこの期に及んで隠す気も失せてしまっていた。 「長距離トラックの運転手を」 「ああ、そうですかあれは大変なお仕事らしいですからね」 彼の父親は笑顔も崩さずそうフォローしてくれたのだろうが彼の母親の表情はみるみる曇り眉間に皺が寄っているのを見逃すことはできなかった。やはりここは私の居場所ではないことが知らしめられてゆく。彼の父親は商売柄他人に悪い顔をしないだけで腹の中は違うだろう。 「あなたお住いはどちらに」 完全に笑顔が消えた般若のような顔の彼の母親は言った。 「市営住宅に子どもの頃から」 私は知っていた。小学生の頃から団地の子どもとしか遊んだことがなかった。それは他の子どもの親が口々に、団地の子とは遊ぶなと言っていたのを知っていた。私も社会人になり様々な人たちと出会ううちに職業差別というか偏見というものがあることを知った。トラック運転手や土木作業員などは底辺職種と呼ばれることも知った。やはりそれなり。私の父親は素行も悪く頭も良くない。それに勝るとも劣らない母親もガラの悪い人間であったし兄も不良でチンピラのようなものであった。ただおばあちゃんがいつも言っていたのは 「どんな仕事でも恥ずかしいことなんてない一生懸命まじめにやったらそれでいい、人のために尽くしたらそれでいいんだよ」と。だから私は彼にも何も本当のことなど話していなかった。父親の職業を聞かれても小さな会社の月給取りとだけ話した。それは嘘ではないだろう月給制の運送会社であったし。そしていつも団地の向こうの高級住宅街の辺りで彼の車を降りた。とても人を呼べるような家じゃないからと、何度か家に来たがる彼を拒んだ。高卒の小さな町工場の事務員が付き合えるような人ではないことは最初からわかっていた。しかし言わなければいいとこのお嬢様でいいとこ勤めの女に見えるよう背丈に合わぬ格好をしていたことは結局私自身が見栄を張りさもヒエラルキーの上の方の人間を装っていただけなのだ。 長い沈黙の時間が流れた。まだほとんど手をつけていない料理がどんどん冷めてゆく。 次のコースの料理が運ばれてきたとき私はテーブルをひっくり返して 「舐めんじゃねえぞクソ野郎ども」 そう吐き捨てたい気持ちを抑えた。三つ子の魂百まで。いくら着飾ろうとも私の本質はこちら側なのだ。 私は無言で席を立った 彼は私を止めることはなかった お願い店を出るまで落ちないで涙
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