2人が本棚に入れています
本棚に追加
【プロローグ】
スゥー、シュコッ。スゥー、シュコッ。スゥー、シュコッ。
「空っち。ちょっと吸う方が多くなっちゃってる!吸ったらそれと同じだけ吐いて!」
かっちゃんが僕に向かってボートの上から叫ぶ。
頭では分かっているが、いつも行なっている鼻での呼吸をしては”いけない”という状況下では、かえってそれを気にしてしまい、無意識に、いや、意識的ではあるがどうにも制御できずに呼吸が荒くなってくる。
そして、スーツの隙間から入ってくる海水が、よりそれを際立たせる。しかも海水は想像以上に冷たく、さらに心拍数が増え、より吸う量が増えてしまい、パニックを起こす。
一度、レギュレーターを外して、普段の呼吸を試みる。が、少し荒い海は、それを許さない。
もはや選択肢は残されていなかった。
僕は覚悟を決め、もう一度レギュレーターを口に戻す。
スゥー、シュコッ。スゥー、シュコッ。スゥー、シュコッ。
やはり前と同様、呼吸が早く、どうしても吸い過ぎてしまう。
これじゃダメだと少し冷静になり、かっちゃんの言葉を思い出す。
そして僕は、目を閉じて一定のリズムを意識する。暗闇の中、ボートの横のロープを掴む感覚だけが残っていた。スーツに入ってくる、海水の冷たさもあまり気にはならなくなっていた。
スー、シュコー。スー、シュコー。スー、シュコー。
少しずつ呼吸の荒さが収まってきた。心拍数も少し落ち着いてきた気がする。
と、そのとき、虎次郎も飛び込んでくる。水しぶきが綺麗に上がる。そしてすぐに、彼が水中から浮上してくる。
そして、僕とは違い、すぐに口呼吸を会得した。
「じゃあ、空っち、宮っち。次に、水面に顔つけて水中見てみよっか!」
かっちゃんの指示の後、虎次郎はすぐにそれを実践する。僕も彼の後に続く。
そこには、綺麗な景色が…。
ボコボコボコ。
僕はすぐに水中から顔を出した。
やはり、水中という鼻呼吸の禁止が強調された場所で、僕はより一層それを意識してしまった。
何か具体的な対象ではなく、抽象的な対象に、いや、抽象的だからこそ増大する恐怖感。上手くできない故の少しの悔恨。それを再認識して抱いてしまう諦念。
ただ、今回の旅は、これがメインイベントなのだ。せっかくだから楽しもう。きっと肉眼で見る海の青さ、しかも沖縄の海の青さは、きっと想像以上だ。そう強く思い、勇気を出してもう一度顔をつける。呼吸が荒くなるのを感じるが、その意識を意識的に飲み込んで、胃袋に、いや、堪忍袋に押し込む。そして、目からの情報である視覚を強く意識する。
すると、海の底が見えた。それは、想像以上であろうという期待すらも超えた、澄んだエメラルドグリーンだった。ボートを停めてある場所の水深はそこまで深くはなく、太陽の光が淡く差し込んでいた。
スー、シュコー。スー、シュコー。スー、シュコー。
気づけば呼吸は整っていた。
僕は、この綺麗な景色を新たな角度から楽しむというのが、この旅の一番の目的だったことを思い出した。
この状況に至る原因は、2ヶ月以上前に遡る。
—————————————————————
10月某日。
街にはほんのりと涼しさが漂う、ある日の夕方。
静けさが揺蕩う部屋に、ある男がいた。
彼はベッドに横たわり、かれこれ2時間ほど、スマホとの無言でのお喋りに熱中している。その姿はトドと遜色がない。いや、それではあまりにもトドに失礼かもしれない。
信じたくないが、彼とは僕自身である。
そして僕は、ある投稿を見てふと起き上がった。
ちなみにトドは夜行性らしい。そのため、そろそろ活動を始める時間だ。なんとも僕にピッタリではなかろうか。
そんなことはさておき、僕が見た投稿の内容は次のようなものだった。
『青の洞窟 ダイビング』
そして、LINEで、ある友人とのトークを開く。
この友人の名は、虎次郎(こじろう)。僕らは同年9月の上旬に、富士登山を共にした高校以来の友人である。(ちなみに、名字は宮本。フルネームは宮本虎次郎。古のライバル2人の名前が関係してそうである。いや、2人の血が混ざっていても不思議ではない。それほど彼は超人である。)
そんな彼に、僕はメッセージを送信した。
「ねね、まだ軽く考えてるだけなんやけど、もし行けたら春休みに沖縄行って青の洞窟でダイビングしない?笑」
「えぐ⁈めっちゃええやん」
彼の反応はかなり良かった。
しかし、通話などを重ねて相談してく中で、暗雲が立ち込めた。
彼はサークルの幹部になったため、春休みなどは行動の見通しが立たない、ということだった。そして計画は頓挫しかけ、暗雲では雷が響いていた。
そんな折、彼がある一言を放った。
「1月やったらたぶん行けるんやけどな〜。1月3日〜8日とかの間なら。」
「マジか⁈お!ワンチャン…なかったわ。授業あった…。1月5日。」
「そっか〜。」
「いや、でもワンチャンここならサボれんこともない。というか、サボるか!行こう!沖縄!笑」
いつの間にか暗雲は消え去り、眼前には青空と綺麗な海が広がっていた。(目を凝らすと海の上には「授業」という2文字が霞んで見えたが、気づけば海の底、いや、意識の底に沈んでいた。)
そして、青の洞窟を含んだ沖縄旅行が決定した。
〜続〜
最初のコメントを投稿しよう!