俺とあいつの始まりの日

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 市井に埋もれるのは無理だった。  いや、それは最初から判っていたことだ。  なぜなら俺は、高坂祥平だから。  男子は物珍しげに、女子はあわよくば恋仲に、と熱い視線を送ってくる。  芸能科のある学校を選ばずに、芸能人が街角の私立高校へ入学すればこうなるのだとは想定していた。だから俺は堂々とひとり、姿勢を正して正門から校舎を目指す。 「ん?」  咲き誇る桜並木の下、大勢の生徒が向かう昇降口にちらりと栗色の髪が見えた気がした。  倉橋と出会ったのは撮影現場。晃耶さんに連れてこられただけの、隣家の息子だ。  俺は晃耶さんの住まいを知らないし、同年齢とはいえこんな所での再会なんてありえない。 「……まさか、ね」  辿り着いた1年A組の靴箱の前に、求める姿はやっぱりなくて、俺は小さく息をつく。 晃耶さんに頼めば会えるのかもしれないけれど、今ごろはどこかの学校の教室にいて俺の知らない誰かと友達になっていくのだろう倉橋が、何度も俺に肩を貸してくれるとは限らない。 「屋上から富士山が見えるらしいよ」 「え。は、何っ?」  上履きに履き替えてローファーを靴箱に入れた途端、意味不明な言葉とともに俺の手首を掴んだ奴がいた。行こうと言って振り返らずに階段を早足で上ってゆくのは、俺と同じ濃紺のブレザーを纏った男子生徒だ。暗い階段のてっぺんで屋上へ続く引き戸を開け放った瞬間、差し込んできた陽光がその栗色の髪を黄金色へと染め変えた。 「あはは、いー天気! 3日ぶり、祥平」 「……!」  確かに3日ぶりには違いない。が、初対面のその日以前からの友人のように気安く俺の名を呼ぶ彼は、大人びた横顔を見せていた少年とは少し違って見えた。  親しみやすく快活な、15の子どもの表情をして現れたそいつの名を俺はまだ憶えている。 「3日ぶり、サク。富士山はどっち?」  倉橋朔夜。だから、サク。  他の誰とも同じじゃない、俺だけの呼び方をしてみたい。 「どっちだろ。たぶんここからは見えないよ」 「はぁっ? 見えるって言ったよな?」 「迫真の演技。騙された?」 「だっ……」  仮にも俳優の俺を演技で謀ろうとはどういうつもりだ。感動の再会などとロマンチックなことを言う気はないが、こうまで無遠慮に接してこられると長年の友人だったと錯覚しそうで戸惑わされる。 「ねぇ」  嘘つき、と呟く代わりに俺は小さく呼びかける。何、と視線で応じてサクがこちらを向き、澄んだ朝の空気をふたりが同時に吸い込んだのが気配で判った。 「「好き。俺と付き合って」」  ふたつの声が、同一の言葉を発した。 「「えぇっ!?」」  そして、吃驚して叫んだ。 「え、何、サク、今の」 「それはアレだろ」  動転してこま切れに話す俺の目の前で、サクは微苦笑を隠さず前髪をかき上げる。そのかっこよすぎる仕草に思わず見惚れる自分の鼓動が、止まれ! と命じたくなるくらいにうるさくワイシャツの下で鳴り響いていた。 「学校の屋上、制服、ねぇ、と来たら続きは告白だろ」  それは3日前、俺がミスりまくったドラマの台詞だ。女優相手にはどんなに繰り返しても上手く発声できなかった単純な一言が、サクの肩でほんの少し泣いた後にはさらりと言えた。感極まって座り込んだ彼女には悪いが、そのときの俺に演技以上の感情はなかった。  仕事なのだから当然だ。いちいち本気にされたら堪ったものではない。  けれど今、サクに告げたのは本心だ。 「俺は真剣に言ったんだけど、サクは」 「俺も真面目に言った。返事は、付き合う、だ。祥平は」  真剣な告白があっさりと受け入れられて、瞠目しつつも今度は俺が答える番になった。  髪と同じ栗色の瞳に射竦められて、鼓動が少し落ち着く感じがした。 「俺もサクと真面目に付き合う」 「よかった。よろしく」 「こちらこそよろしく」  しばし見つめ合い、ちゅ、と唇の先を触れ合わせた。初めてのキスは、案外冷静だ。 「制服、サクとお揃いだな」 「当然だ、ドラマの衣装じゃなくてマジなんだから。……3日前のも」  よかったけどな、と囁かれた声に思いがけずキスよりドキドキさせられる。 「なになに、もう1回言って」 「言わない。じゃなくて入学式っ」 「ほんとだ。時間やばいっ。誰かさんが富士山とか言って騙すからっ」 「おまえが言うかっ」 「俺の演技はお仕事ですぅー」  左腕の時計を覗いて慌て出したサクに、俺もつられて階段へと走り出す。  運命とか奇跡とか、そんな不確かなものに俺たちは自分を委ねない。  この出会いは必然。 「バカップル誕生記念に撮ろう」 「本当にバカだな」 「バカは好きの始まりだよ」 「好きがバカの始まりなんだ」  戻れぬ昨日もまだ見ぬ明日も、全てのものは連綿と繋がって未来に向けて進んでゆく。 「サクの優しくない優しさ、すげぇ好き」 「祥平の、泣き顔も笑顔もカメラを睨む目も大好きだ」 「泣き顔は余計じゃねっ?」  碧空を背に、腕を伸ばしてスマホを構えた俺の肩を、サクが大袈裟に抱き寄せて笑った。 終
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