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Side:縁人【形態を変えた蝶は──】
思えば十年数前の遠く幼きあの日、あの瞬間から、俺の中で目に見えぬ"何か"が、大きく変わり始めたのかも知れない。
なんて……小説にも書かない様な文章が頭を過ぎった。
妹の凪沙が命名した娯楽室でゲームをやりながら、ふと(なんでコイツなんやろ)と、今度は疑問が頭を過ぎった。
「ふふっ……擽ったい、ゲームやってるんじゃないの?」
コントローラーを片手に待ちながらも、気付いたら蒼蒔の首筋を撫でていた。撫でられている蒼蒔は、何かの書類を見ていた。
「そん書類は?」
「これは伊吹から提出された計画書。縁人が持って来てくれた、書類袋の中にあった」
「あぁ……今日、お前んとこの会社に行ったんやったな」
ハンとリュウを蒼蒔と一緒に留守番をさせて、俺はお供の秘書と一緒に出掛けた。出掛けたといっても、親父に頼まれた仕事の件で会社に行っただけだが。その後、Krone芸能プロダクションに立ち寄った。
蒼蒔と伊吹の父親でもある、クローネの社長に会って仕事の話をした。それが済むと社長は『蒼蒔くんは元気?』と、さっきまでの快活さとは逆の、沈み込んだ顔をして切り出した。
『相変わらず一人で賑やかです。お盆に会うたでしょう』
『うん、会ったけどね、蒼蒔くんも伊吹もお参りが済んだらサッサと帰っちゃうんだもん。縁人くんが一緒じゃないから早く帰りたかったんだろうね。何はともあれ、縁人くんが一緒に居てくれるなら、蒼蒔くんも安心だね』
声のトーンこそ明るかったし、よく喋ってはいたが、表情はどこか寂しそうだった。その顔を見ていると、本当に心配しているのだと感じ取れる。
その顔を見たら"俺と居て安心かは解らないが、安全ではない事は確実に言える"なんて事は、いくら俺でも口には出せなかった。
「せや、会社で伊吹に会うたんや。ほん時に「CMのデモを送ったからチェックして欲しい」言うとったで」
「そんなの見なくても……まだ自信がないのかな」
伊吹は圧倒的に経験が足りない。それが自信のなさに繋がっている事は、蒼蒔もよく解っていた。それでも蒼蒔が伊吹にやらせようとするのは、伊吹の中に才能と素質を見出していたからだ。
蒼蒔と伊吹、どっちの言わんとする事も解らなくもない。
評価する側は、本当に"良い"と思っているからこそ、任せようとする。だが、される側は違う。常に"これで良いのか"と自問自答を繰り返すのだ。
「伊吹は、お前と違て繊細やからなぁ」
「そう?あぁ見えて、意外とふてぶてしくて頑固だよ」
「そこはお前に、よお似とるわ」
「んふっ……そうかもね」
そう言って、また企画書に目を通し始めた。その横顔を見ながら(ほんま……なんでコイツやねん)と、本気で思った。
蒼蒔は世間一般的に、美人だとか可愛いだとかの部類に入るらしい。身体付きも華奢で、中性的な見た目をしているから、余計そういう認識をされるのだと思う。
だけど、俺の認識は違う。では一体、どんな認識なのかと訊かれたら『喋って動く西洋ドール』としか答えられない。
人形の様に整った顔をしていて、ガラス玉の様な瞳は青みがかった薄い灰。陶器の様な肌は白くて滑らかで、色素の薄い茶色の髪は陽に当たると金色っぽくなる。
(やっぱ人形みたいやな。しかし……如何せん性格が……)
別に顔の善し悪しで一緒に居る訳ではない。だからといって、性格の善し悪しで一緒に居る訳でもない。なのに(なんでコイツなんやろ)という疑問が、頭の中でさっきからループしている。
「ふっ……縁人、足……擽ったい……」と言って、足を避けようとする。
その足を片手で掴んで、指先で太腿までなぞりながら「擽ったいだけか?」と、意地悪く訊いた。
「んっ……げ、ゲームは……」
「気ぃ変わった。ゲームよりコッチや」
俺は蒼蒔の後ろから抱き着いて、パジャマのズボンを脱がせると、耳元で「自分でチンコ弄ってや」と囁いた。蒼蒔はその白い肌を赤くしながら、黙って頷くと自分で弄り出した。
首筋に軽くキスしながら、シャツのボタンを外して乳首を弄ると、身体を震わせて「あっ……」と、甘い吐息と共に小さく喘いだ。
ソファに凭れ掛かると、蒼蒔の身体を後ろ向きのまま引き寄せて膝の上に乗せる。そして足を開かせると、蒼蒔は「これ、やだ……」と首を振る。
俺が「よお見えんで」と揶揄うと、顔も身体も真っ赤に染めて「縁人の顔が見えない……」と言う。その言葉を無視して口に指を入れた。
「そんままチンコ弄りながら、俺の指濡らしてや」
「ん゙、ぐっ……」
耳朶を甘噛みしながら口の中で指を動かして、蒼蒔の舌を撫でたり引っ張ったりした。その度に涙目で、苦しそうに顔を歪める。嗚咽混じりの喘ぎ声を漏らし、涎を垂れ流す。
「手ぇ止まっとんで、ちゃんと動かしや」
「ふっ、ん……」
蒼蒔の頭を抱えて顔をコッチに向かせると、指を抜いてキスをする。抜いた指をアナルに当てると、身体がビクッと反応した。挿り口が柔らかくて、思わず「なんでこないに、柔こいんや?」と訊いた。
「ゆ……縁人がシたい時に、いつでも、出来るように……お風呂の時、いつも準備してるから……」
「ふはっ……んな事言うて、お前がヤりたいだけやろ」
涎塗れになった指をアナルの中にゆっくりと挿れると、また身体をビクつかせる。一本で慣らす様に動かすと同時に、再びキスをして舌を絡めた。
蒼蒔の赤く火照った顔に汗が流れ落ちる。熱く荒々しい息遣いが苦しそうで、口と頭を離した。その反動か、前に倒れそうになるのを押さえると、蒼蒔が「もぉ、これやだ……」と言って、駄々を捏ねる様に暴れ出す。
「暴れんなや、危ないやろが」
「だって縁人の、かお……」
いきなり動いた蒼蒔がずり落ちそうになるのを、いつもと同じ様に抱き抱えた。すると、満足したのか安心したのか、俺にしがみついて頬擦りをする。
「これでええやろ」
「ぅん……」と言って、俺の首筋を舐め始めた。
(相変わらず猫みたいな事しよる)
アナルに指をもう一本挿れると、二本の指を交互に動かした。ピンと勃った乳首に吸い付いついて、舌先で焦らす様に舐めた。
「はっ、あっ、ん゙ん゙……」
「っ……」
背中に爪を立てられた。快楽に弱い蒼蒔は、気持ち悦いとすぐに爪を立てるか噛み付いてくる。けど、最初からそうだった訳じゃない。蒼蒔は"俺しか知らない"のだから、こんな癖がついたのも、こんな身体になったのも俺の所為だ。
「ゆかり……もぉ、欲しい……いれて……」
「すまん、今ゴム持ってないねん。せやから今日は、指で我慢しぃや」
「生で、いい……なかに、出していい……から、いれて……」
「腹壊すで」
そう言った所で、快楽に堕ちた蒼蒔には通じない。案の定、首を振りながら「やだ、もぉ……いれて……」と、再び駄々を捏ねる様に言う。
「ほな自分で挿れや」
「むり……」
「押えといたるから」
腰を浮かせた蒼蒔のアナルに、挿れやすい様にと自分のチンコを当てて、その細い腰を押さえる。蒼蒔はゆっくりと腰を落とし始め、自分で俺のチンコを中に挿れた。
「はぁ……んっ……あ"っ、ん"んっ……」
「ちゃんと挿れられたなぁ。ほな自分で動いて悦い所に当てや」
「ん、あっ……んん……」
悦い所に当たっているからか腰は揺れているが、何とも焦れったくなる様な動きだった。
「もっと動かんと、悦くないんとちゃうんけ?」
「でっ、も……っはぁ……あっ……」
「物足りんか?」
解っていてわざと訊くと、涙目で頷いて「奥……ほしい……」と言った。
「素直に言えたご褒美やろな」と言うと。俺は下から軽く突き上げて、揺さぶる様に動かした。
「あ"っん……ん"っ、あぁ……ゆかり……きもち、いぃ……」
「まだ足りんやろ」と言うと、更に奥まで突き上げた。
「お"っ……ぅぐっ……」と、苦しそうな喘ぎ声と共に、肩の辺りに爪が食い込むのが解った。
ゆっくりと、あまり激しくしない程度に下から突く。苦しそうだった声も少しづつ艶めいて、熱くて甘い吐息と共に、形の良い小さな口から漏れてくる。
さっきまでの涙目も、苦しげに歪んだ顔も、今は快楽に蕩けている。
(ええ顔しとるわ)
「ゆか、り……もっと……んんっ……」
「もっと?もっと、どないして欲しいねん」
乳首を弄りつつ焦らす様に突き上げながら、答えが解っているにも関わらずわざと問い掛ける。
「あっ、ん"っ……奥……おく……ほしぃ……」
「ふはっ……んな奥突いたら、お前の腸破けんで」
「いぃ……よ……」
「アホか」
そう言って笑いながらも奥を、今度は激しめに突き上げた。その度に、蒼蒔の身体が前後に揺れる。離れないと言わんばかりに、俺にしがみついてくる。肩に蒼蒔の頭が乗った瞬間、噛み付かれた。
「っ……。お前、また噛みよったな」
「ごめっ、んっ……なさい……でもぼく……へん……」
「変なんはいつもやろ」
「あ"、やめ……縁人、止まっ……」
蒼蒔が変なのは昔から。だから変だと言われても、止まれと言われても、止める気はなかった。
「なんか、ぁんっ……いつもと違う……な……なんか出ちゃう」
「イってもええぞ」
「違っ……あっ、やぁ……出ちゃ……ぅんっ……」
蒼蒔はそう言ったかと思ったら、派手に射精……ではなく、派手に潮を吹いた。
「おぉ……派手に漏らしよったなぁ」
「え……な、何これ……僕お漏らししたの……?」
「ちゃうわ。潮吹いただけや」
俺の顔を見て、蒼蒔は不安そうな、泣きそうな顔をした。俺は「潮吹いた奴はお前が初めてや」とその頭を撫でながらも、笑いを堪えて言った。
「しお……?潮吹いた……えっ……?!」
初めての経験に、流石の蒼蒔も驚いた様だ。そんな俺も驚いたけど。確かに今まで散々遊んできたけれど、潮吹いたのは蒼蒔が初めてだった。
(まぁ、加減しとったし……コイツに限って言えば、潮吹く前にイくか、気失うかやったしな)
「ほんだけ気持ち悦かったって事やろ。けどまだ終わりやないで」
俺はそう言うと、再び下から突き上げた。蒼蒔は「え、あっ、ちょっ……んっ……」と、動揺しながらも再び快楽へと堕ちる。
「あ"ぁっ……だめ、あっ、んっ……」
「気持ちええやろ?」
「も、また……出ちゃう……ゆかりっ、あっ……やだっ……」
「イってええんやで」
耳元でそう囁いて首筋を甘噛みすると、蒼蒔は「あぁっ……イっ、イっちゃ……っ、んっ……」と身体を後ろに大きく反らし、再び俺の背中に爪を立てた。
その後、俺がイって終わる頃には日付は変わっていて、蒼蒔は俺の腹の上でグッタリしていた。その髪を掻き上げて「風呂入んで」と、少し眠そうな顔を見て言う。
「ん……解っ──」
恐らく「解った」と言って、俺の上から降りようとしたのだろう。だが蒼蒔は、バランスを崩したのか落ちそうなり、俺は「おい」と、咄嗟に手を伸ばしてその身体を引き寄せた。
「大丈夫け?」
「ごめんなさい。上手く力が入らなくて……」
「大事ないならええ」
頭の中で(ちとやり過ぎたか?)とは思ったけど、そんな事より(はよ風呂入らんと)という気持ちが強かった。
俺は風呂に入るべく手近にあった寝巻きを羽織り、裾を捲り上げると、蒼蒔を包む様に抱きかかえてて、風呂へと向かった。
風呂場に着いて「立てそうか?」と訊いて、立たせようとしたものの、未だ力が抜けてる様で足元が覚束ない。
仕方ないので、蒼蒔を抱きかかえたまま洗う事にしたが、とても洗いにくい。
「椅子に座るくらいは出来るか?」
「うん、ごめん。後は自分で洗う」
そんなこんなで、お互い身体を洗って風呂に浸かってると、蒼蒔が「体力落ちたかも」と言い出した。
「セックスは運動に入らんからなぁ」
「それを言うなら"ダイエットにならない"じゃない?」
笑いながら言う蒼蒔を見ながら(んな事、どうでもええわ)と思った。
「外出たいか?」
「縁人が一緒ならね」
俺が一緒じゃなくても、誰かを付けておけば外出は出来る。
お盆には蒼蒔の母親の墓参りに、父親と伊吹の三人で行った。邪魔にならない様にハンとリュウを、離れた所から見張らせた。その後も、元宮と出掛けてたいと言い出したので出掛けさせた事もある。その時も手の空いてる奴を遠目から見張らせた。
「僕達も、青葉と灯里みたいにジムに通う?」
「ジムなぁ……検討しとくわ。ほな、そろそろ出るか」
「は〜い」
「もう立てるか?」と揶揄い半分で訊くと、蒼蒔は「回復しました」と、笑いながら言った。
風呂から出て髪を乾かしていると、先に終わらせていた蒼蒔が、椅子に座ってウトウトし始めていた。
「眠いんやったら先に部屋行って寝とけ」
「やだ……待ってる……」と言いつつも、半開きの目は眠そうだった。
(コイツが寝たら、ゲームの続きしよ思おてたのに……無理そうやな)と、そんな事を思っていたら可笑しくなった。
ゲームに集中せず、変な事を考えてループさせた。挙げ句の果てにはゲームを放り出し、書類をチェックしていた蒼蒔にちょっかいを出した。
なのにゲームの続きが出来ない事を、蒼蒔の所為にしようとしている自分が、何となく子供じみてて可笑しかった。
「ほい終わった。部屋行くからまだ寝んなや」
「ん……解ってる」
(あ、部屋も掃除しんとあかんのやった。……しゃーない、先に掃除するか)
蒼蒔を寝かし付けた後、雑巾と水入りバケツを持って娯楽室に行った。部屋の電気は疎か、テレビとゲームの電源も、全てが点けっぱなしだった。ついでに言うなら、スマホも置きっぱなしだった。
(書類も出しっぱなしやんけ……あ、俺がちょっかい掛けたからか。何やろな……アレと居ると色々と調子狂うんよな……ほんま、何でアレなんやろ)
手を動かしながらも、頭の中では再びさっきの疑問がループし始める。
(そもそも、アレが変な事を言い出さなかったらこんな……ちゃうな。条件付きとはいえ、あの提案を受け入れたんは俺やったわ……)
容姿が良いと得するのは、子供の頃から嫌という程知っていた。だがそれを武器する事で、人心掌握のスキルを覚えた。
知識はあればある程、役に立つ事も知っていた。勉強は嫌いじゃなかったから、暇があれば勉強はしていた。お陰で、学校の成績は良かったが、物足りなさを感じていた。だから更なる知識と、可能な限りの経験を求めた。単純に好奇心もあったけど。
高校生活の最初の一年間はやりたい放題やっていたら、必要以上に良くも悪くも目立ってしまった。今後の事を考えるなら、もっと慎重に控え目にした方が良かったのかも知れない。
(まぁ……俺が大人しゅうなった所で、相手も大人しゅうなるとは思えんけどな)
一族の跡目騒動が再燃した事で、俺の敵は身内だと痛感した。勿論、両親や妹を含む本家筋は全くの別物。それは俺が"守るべき対象"であり、俺が唯一"大切にする対象"だ。あくまでも俺の敵は、分家筋の人間達だった。
そんな中、俺にとってのイレギュラーな存在が現れる。いや、元から存在していたが、俺にとっては対象外だった為に気付かなかった。
それが、動いて喋る西洋ドールの蒼蒔だ。
蒼蒔は子供の頃から、いつ会っても一人でよく喋った。俺が黙ってゲームをしていても、そんな事はお構いなしに喋った。俺が聴いていなくても"喋りたいから喋っている"といった感じ。
俺が『煩い』『ちと黙れ』等と言うと、決まって『ごめんね』と言って大人しくなった。
黙って本を読んでいる姿は、絵になった。人形の様な整った顔に、陽射しが当ると煌めく色の薄い髪。確かに、今まで会った誰よりも綺麗だとは思った。けどそれと同じくらい(喋らなきゃええのに)と思った事を覚えている。
それでも、蒼蒔が話す芸能界の事や、貰った役の話を聴くのが楽しくて、俺の興味をそそった。
芸能人なんて俺の周りに居ないから、余計そう感じたのかも知れない。蒼蒔から仕事の話が出た時は、ゲームをしながらも聴き耳を立てた。
それに蒼蒔は昔から察しが良くて、俺が触れて欲しくないと思う事には敏感だった。そういう時は何も訊いて来なかったし、深く立ち入って来る事もなかった。それが俺には心地良かったのかも知れない。
蒼蒔は俺の機嫌を窺う事はあったが、媚びを売る事はなかった。ずっと喋っているのは鬱陶しかったけど、そこに悪意も計算も感じなかった。
可愛げのない子供の頃から、面倒臭い事は可能な限り避けて通って来た。友達という存在も、作るとか出来るではなく、俺にとっては"観察する対象"であり、面倒臭い奴か否かだった。
そういう意味では、蒼蒔はまさに"観察する対象"だった。
だからあの日が来るまで、本当に……蒼蒔は俺にとっての居場所であり、親友と呼んでも過言ではない程の大切な友達だった。
やりたい放題だった高校一年の間、噂通りに過ごしていた訳じゃない。学校でも人脈作りはしていたが、私生活ではそれ以上の人脈作りやら何やらをした。
蒼蒔とは同じ高校に進学した。周りが引く程『一緒の高校に行く』と言い張っていた蒼蒔は、入学して半年も経たずに俺から離れた。まぁ、離れたといっても、学校内では必要最低限しか話さないとか、頻繁に来ていた爺さんの家に来なくなった程度。
俺は高校に入ったら行動に移そうと思っていた。でもその事を、蒼蒔に話した事はない。だから事情を知らない蒼蒔が離れても、それは仕方のない事だ。寧ろ離れて、他人の振りをしてくれる方が都合が良かった。
なのに、蒼蒔が来ないなら……と、今度は俺が蒼蒔の家に気分転換がてら出入りする様になった。遊びに行けば今まで通り、普通に話もするし、一緒にゲームもやっていた。
そして、ある時期から蒼蒔が裏で何かをしている事に気付いた。それとなく揺さぶってみたが、ずっと白を切り通した。そんな蒼蒔が面白くて、好きにさせる事にした。
(どんだけ楽しませてくれるんやろな)
そう考えるだけでゾクゾクした。あの顔で、どんな悪巧みを考え出すのか。あの顔が恨み辛みや悔しさで、どんな風に歪むのか見ていたいと思った。
学校で殆ど話をしなくても、俺にバレない様に裏でコソコソ何をやっていても、それは割りとどうでも良かった。それよりも気になる事があった。
蒼蒔の俺を見る目が、昔とは違う事に気付いていた。それがいつからだったかは定かではない。もしかしたら蒼蒔本人も、自覚したのはこの頃だったのかも知れない。
だけど、蒼蒔には今まで通りの関係で居て欲しいと思った。余計な駆け引きもなく、無駄な気遣いをする事もない。蒼蒔と居る時が一番、気楽で居心地が良かった。
(気の所為であって欲しい。俺の自惚れだと笑って欲しい……)
そんな願いにも似た想いは、高校二年のあの日……夏の終わりと共に、俺の"観察する対象"が、暗い闇の中へと消えていった。
あの日蒼蒔は、俺に気持ちを伝えようとした。一瞬で頭に血が上った。言葉を遮ると、今度は『身体だけの関係でもいい』と、泣いて縋って来た。腸が煮えくり返る様だった。
ここまで我を通して、後に引かない蒼蒔は初めてだった。だからといって、受け入れる事が出来ない俺も後には引けなかった。
だからわざと突き放す様な事を言って、残酷とも思える条件を出した。それで引いて欲しかった。万が一それで、俺から離れ行っても仕方ないと思った。
蒼蒔とそんな関係になるくらいなら、本気で縁を切っても良いと思った。
(そう思うくらいには、本気で大切やったんや……)
だから、蒼蒔から『やっぱり無理』だという、連絡が来ないかと待った。
(よりによって蒼蒔に決めさせるなんて、俺らしくもない)
今までどんな結果になろうと、自分で考えて決めて来た。だから、狡いとか卑怯だとか言われても、思われても仕方ない。
約束をした二週間の間、そんな連絡は来なかった。連絡がなかったのだから、約束を守らなくてはならない。
俺は夜の予定を再確認すると、ホテルの予約を入れた。そして蒼蒔に、時間とホテル名と部屋番号をLINEで送った。
(蒼蒔は覚悟決めたんやろか……)
だからといって、本気で酷くするつもりはなかった。まぁ多少おざなりであったり、変な情が湧かない様に淡々と、性欲処理をする程度にしておこうと思っていた。
だが二週間では到底、俺のチンコが根元まで挿入る筈もない。例え毎日の様に慣らして解したとしても、やはり二週間では無理がある。
楽な様にとバックから挿れたものの、キツ過ぎて半分も挿入らなかった。蒼蒔が痛がるのも無理もないが、挿れてる俺も痛い。意図せず宣言通りの、酷いセックスになってしまった。
その日から、蒼蒔とは身体だけの関係になった。
そんな関係になってから、半年が経とうとしていた頃。俺の周りで、不審な動きが目に入り始めた。俺が水面下で密かに動いている事を、連中の誰かが嗅ぎ付けたのだろう。
東京に住むと言って家を出て来た日。爺さんに『何処に居っても何も変わらんぞ』と言われた。それはそうだろう。俺が生きている限り、人間関係もその状況も何も変わらない。
でもその関係が変わって状況が変わっても、人間性が変わらない事もある。蒼蒔は変わらず適度な距離を保っていて、こんな関係になっても心地良かった。
「こないガキ相手によおやるわ」
「ただのガキだったら相手にしてませんよ」
「俺なんてまだまだ……ただのガキやろ」
そう……爺さんの足元にも届かない、その爪先にすらも届かない子供だ。それでも、少しづつであっても、確実に近付いてはいると思いたい。
「姫の事、掴まれてないといいですね」
「ん~、他の奴等と派手に遊んどる様に見せとるからなぁ……アイツの事に気付く奴は少ないんとちゃうか」
シンの言った"姫"とは蒼蒔の事だ。そんな関係になってからは、蒼蒔の家にも行っていない。会うのはもっぱら、都心部のホテルの部屋。念の為、ホテルも部屋も毎回変えている。
ここまで念入りにしたのだからと、油断していた訳じゃない。ただこの時の俺は、目の前の敵しか眼中になかった。敵は身内だけとは限らない。それすら想像してなかった事が、既に油断だったのかも知れない。それは学校で起きた……。
紅白まんじゅうの紅(ベニ)こと赤城と、白(シロ)こと白川の二人に出会ったのは、高校に入ってから。
俺と同じ様にゲームが趣味だと知って、意気投合して話をする様になったのは二年の春頃だった。
赤城と白川は幼馴染みで、二人でゲーム配信をしているのだと話してくれた。
「一ノ瀬も配信しようよ〜」
「その顔と声ならすぐにリスナー増えるよ。プレイもめちゃくちゃ上手いし」
「興味ない。んな暇もあらへん」
そう、この頃はまだ配信に興味はなかった。でもこの年の冬休み、蒼蒔と二人で試しにやったゲーム実況が好評だった。それで単に調子に乗ったのか、単に配信するのが楽しかっただけなのかは覚えてないが、蒼蒔と日程が合う日は配信をする様になった。
「縁人が全国的に有名人になるね」
「んな訳ないやろ」
「少なくとも、学校での人気がまた上がるよ」
「敢えて言わんけどな」
誰にも言わないと解ってはいたが、蒼蒔と赤城と白川の三人には、配信の事は"誰にも言うな"と念を押した。
そして二年になったある時。一緒にコラボ配信をしようという話が出た。蒼蒔とまだ"そういう関係"になる前だった。蒼蒔に相談して一緒に配信する事にしたものの、赤城と白川の二人と俺の都合がなかなか合わなかった。
そうこうしているうちに夏も過ぎて、蒼蒔とはそんな関係になってしまった。
なのに間が悪い事に周りが煩くなり、蒼蒔と会う時間は減った。当然ながら、赤城と白川との配信の話も出来なかった。それでも赤城と白川の二人は、諦めず根気よく待っていてくれた。
そして気付けば二年も終わりに近付いて来た頃。春休みになれば、何とか時間が出来るかも知れない状況になった。それを二人に話すと、放課後に予定だけでも決めようとなった。
「テスト最終日の放課後に、予定決めようぜ」
「七種にも話しとくな」と、蒼蒔と同じクラスの白川が言った。
それを聴いて(こん二人が居っても、学校で俺と話をするんは嫌やろうな)と思った。
そしてその当日。俺は(一応、LINEだけでもしとくか)と、昼休みにLINEを送ったが、放課後になっても既読は付かなかった。
(学校では電源切っとんのか?)
でも蒼蒔は、学校に居るであろう時間にLINEしても、すぐに返信を送って来る。だからこそ不思議に思ったのだが、トイレから戻って来た白川の言葉に唖然とした。
「一ノ瀬の取り巻きの二人が、七種を連れて"使われてない方"の視聴覚室の方に行ったのが見えたんだけどさ……七種って、一ノ瀬の取り巻きと仲良かったっけ?」
「は?」
「他の奴と七種を見間違えたんじゃねぇの?」
「いやいや……七種と見間違える相手いないって」
俺が知る限り、蒼蒔と俺の周りに集まる奴等に接点はない。少なくとも、蒼蒔の口から奴等の名前が出た事もない。
(使われていない視聴覚室の方へ……奴等が蒼蒔を……?)
「悪いけど話はまた今度にしてんか」と、立ち上がりながらそう言うと、赤城が「一ノ瀬?」と、心配そうな顔をして言った。
「んな顔しんなや。ちょお行って来るわ」
俺は教室から出て足早に、その視聴覚室へと向かった。
(嫌な予感しかないわ)
白川は"俺の取り巻き"と言ったが、その二人とは俺も、そこまでの接点はなかった。
一人は確か都議会議員の息子で、もう一人はどこぞの会社社長の息子だった記憶がある。
(あ、前にシンが注意しろ言うてた奴等やな)
その二人は学校では真面目に振舞っていたが、裏では親の名と金を使って、割りと悪どい事をしていると耳にした事がある。
(アレのやっとお事も対して変わらんがな)と思った。そう思った時(もしかして実は裏で繋がりがあって、その手の話をしとるんか……?)と考えて(いや、それはない)と、すぐにその考えを否定した。
蒼蒔のやっている事は、逐一シンに調べさせてある。だが、シンからそんな報告は受けていない。蒼蒔はあくまでも単独で動いている。しかもそれは"俺に関する事のみ"で、その二人と連んで何かをしている様子はない。
(単にアレが狙われとるんか……だとしたらそん理由はなんや?それとも、俺を誘き出す為やろか……)
それなりの学生生活を送っているあの二人が、学校内で何かをやらかすとは思えなかった。でも本当に、蒼蒔や俺を狙っているのだとしたら、学校内でしか接触は出来ないだろう。何故なら、蒼蒔も俺も学校の外では捕まりっこないからだ。
シンの報告では、蒼蒔は学校と塾とピアノ教室以外は、一人で外出する事は滅多にないと言っていた。例外があるとしたら、俺との約束の日だけ。そして俺も、学校以外だと殆ど家から出ない。用事や仕事があって外出する時は、必ずシンが一緒に居る。
(だからって学校内で……?)
そんな事を考えていたら、視聴覚室の前に着いた。中から数人の話し声が聴こえる。一人は蒼蒔だと解ったが、何を話しているのかまでは聴こえない。
(白川の見間違えちゃうかったな。さて、どないしよ……)
勢いでここまで来たはいいが、普通に話をしているだけなら何も問題はない。何が目的かは知らないが、表面上は仲良くしていてもおかしくはない。
(何もないなら戻るか)と思った時、中から蒼蒔の「触らないで!」という声と、机か何かがぶつかり合う音が聴こえて来た。
(おぉ……漫画や小説に出てくるやつや……)と、変な所で感心してしまった。
そしてまた、何かを話している声が聴こえたと思ったら、蒼蒔の「やだ、やめて!」という声と「痛っ……」という声が聴こえた。それと同時に、ガタガタと何かが倒れる様な、凄い音が聴こえた。
そして俺の後ろから、二つの足音と「一ノ瀬?」と、小声で俺を呼ぶ赤城と白川の声が聴こえた。俺は後ろを振り返り、口元に指を当てて、静かにというジェスチャーをした。
俺は教室のドアを開けようとした。しかし、鍵が掛かっていて開かない。
「はあぁ……テンプレやんけ……」
「何事?」
「なぁ、動画か写真撮れるか?」
「いいけど……あ、証拠ですね〜」
ボソボソと小声で話をしている間にも、中からはガタガタという音が聴こえて来る。俺はヘアピンを弄りながら二人に言う。
「ほな漫画の主人公らしく、友達を助けに行くか……」
「鍵は?」
「要らん」
俺はそう言うと、細工したヘアピンで鍵を開けた。背後では「何の漫画だよ」「それが主人公のやる事?」という、小声が聴こえて来る。それらの声を無視して中に入った瞬間、人生で二回目の激しい怒りに襲われた。
中に入ってまず目に入って来たのは、ブレザーを脱がされ、半開きになったワイシャツから覗く白い肌。そして、スラックスが尻の辺りまで下ろされた蒼蒔の姿だった。
きっとそれだけだったら、ここまでの激しい怒りは湧いて来なかったかも知れない。
「何コソコソと楽しそうな事しとんのや?」
「い、一ノ瀬……どうやって……鍵は掛かってた筈……」
「古いタイプの鍵で良かったわ」と、ヘアピンを見せながら言うと、もう一度「で、何しとんのや?」と訊いた。
「これは……」
「そ、そうだ。えっと、七種が誘ってきてっ……ぐっ……」
俺はその口を両側から挟む様に掴むと、手に力を入れながら「嘘はアカンなぁ」と言った。
「お前ら誰のモンに手ぇ出しとるんか、解っとるんやろな?」
「だっ、だったら名前でも書いとけよ」
「ぶはっ……小学生か。けどそれええなぁ……名前はちと悪趣味やな」
俺が二人と対峙している間に、動画を撮っていないのだろう白川が、蒼蒔の傍に行って「大丈夫?」と声を掛けるが、蒼蒔は青ざめて震えていた。
白川の差し出した手すら「やだ!」と言って振り払い、小刻みに震えている。完全に恐怖に落ちている様だった。
「殴ったんはどっちや?」
「え……」
「手ぇだしたんはどっちや?お前らの目的はなんや?」
俺が畳み掛ける様に訊くと、二人は黙ってしまった。
「はよワシの質問に答えんかい!」
黙ったまま話そうとしない事にイラついて(あ〜、これはアカン……今すぐシバキ倒しとお……)
「おい、ワシをこれ以上怒らせん──」
「ゆ、一ノ瀬くんダメ!ここは学校で、僕ならだっ、大丈夫だから……ね?」
そう言って蒼蒔が、俺のスラックスの裾を掴んだ。
「お前は黙っとけ」
「ちょっと、一ノ瀬。七種の言う通りだよ。流石に学校で揉め事はマズイって」
そう言った白川が、今度は俺を押さえようとしている。すると赤城が「でも目的くらいは知りたくね?」と言った。
二人は赤城が動画を撮っている事に気付いた様で、慌てて一人が「何撮ってんだよ」と言ったが、もう一人が「一ノ瀬、覚えてろよ!行くぞ」と言って教室から出て行った。
「ぅわ〜、悪役モブがよく言うセリフ」
「あははっ……いやマジ、リアルで言うヤツ居たんだな。初めて遭遇した」
「どこまでもテンプレな奴等やな」
俺達は、倒れた机や椅子を直しながらそんな会話をした。最初から最後まで全ての流れが、漫画か小説のテンプレの様で可笑しかった。
「赤城、ありがとな。動画は後で俺に送ってくれ」
「解った」
「白川もありがとさん」
「何もしてないけどね」
俺は二人に礼を言うと、下を向いて震えている蒼蒔に近付いた。驚かせない様に「大丈夫か?」と声を掛けたが、蒼蒔は黙って下を向いたままだった。
「あ〜、オレ達……鞄取ってくるわ」
「何だったら、昇降口の所に置いとくけど?」
「ほな、昇降口の所に置いといてや」
「解った」
そう言って二人が歩き出そうとした時、蒼蒔が二人を見て「ありがとう」と小さく言った。二人は驚いた顔をしつつも「いいって」「気にすんなよ」と言い残して、二人も教室を出て行った。
俺は蒼蒔に自分のブレザーを羽織らせると、蒼蒔が「っ……怖っ、怖かった……」と呟いて、堰を切った様に泣き始めた。どんなに怖くても、泣かない様に我慢していたのだろう。
蒼蒔は昔から、仕事以外で泣く事がなかった。きっと誰の前でも、こんな風に泣いたりはしないだろう。涙目になったり、涙を堪えたりする事はよくあったけど。
だけど俺の前で、こんな風に泣くのは『芸能界に居るのが辛くなった』と言って泣いた、中学の時以来……二回目の事だった。
中学二年の夏休みのある日。俺は夏休みに入ってすぐ、東京に来ていた。爺さんの家でいつもの様に、ゲームをしながら過ごしていた時だった。
爺さんの家に通っている家政婦に、蒼蒔が来た事を告げられた。俺は部屋に通す様に伝えて、ゲームを一旦止めた。
少しして、ドアをノックする音が聴こえた。ドアに向かって「入りや」と言ったが、ドアは一向に開かない。俺は(聴こえんかったんか?)と思い、立ち上がってドアへ向かって歩いた。ドアの向こうには、確かに人の気配はする。
(なんや?)と思い、ドアノブに手を掛け様とした時。ドアの向こうから、声を押し殺してすすり泣く音が聴こえた。
「蒼蒔、開けんで」とそれに気付かない振りをして、わざと大きめの声で言った。
「っ……ごめん、開けないで……」と、か細い声が聴こえた。
(は?蒼蒔が泣いとるんか?)
そう思った時、俺は心の中で(どない表情しとるんや)と興味が湧いた。思い返せば、蒼蒔はいつだって笑っていた。拗ねた様な表情をしたり役者の表情をしたりと、本当にコロコロと表情を変えていたが、泣いた所は一度も見た事はなかった。
「ごめ……やっぱり、かっえる……」
つっかえながら喋る声が聴こえた瞬間、ドアを開けて、蒼蒔の細い手首を掴んで、部屋に引き入れた。そして、咄嗟に両手で顔を隠して下を向いた蒼蒔に、視線が合う様に屈んだ。
「何があったんや?」と訊いても、蒼蒔は黙って首を横に振るだけだった。
(顔が見えん……)
そう思って無理矢理、蒼蒔の手を顔から離そうとすると、蒼蒔が「見な、いで……」と抵抗した。
蒼蒔が抵抗した所で大した事はない。俺は再びその手を掴んで力任せに引っ張っると、涙でグチャグチャに歪んだ顔が見えた。その泣き顔を見て(あ、これはあかん)と思ったが、その時点で既に、何かのスイッチが入った気がした。
恐らく蒼蒔は、泣き顔を見せたくなかったのだと思う。だから帰ろうとした。顔を見られない様にと、両手で隠した。なのに俺が見てしまった。
(人形が泣いとお。見られたないのに見られたって顔しとお。ほんでその恥ずかしさで、余計に歪んだこの表情……ええなぁ……)
心配していない訳ではなかった。だけどそれ以上に、蒼蒔の泣き顔に興味を持ってしまった。見たら見たで、その表情に今まで抱いた事のない、何とも言えない感情が芽吹いた。
「取り敢えず座れ」と言うと、蒼蒔は黙ったまま頷いてソファに座った。
小さな冷蔵庫から、蒼蒔がいつも飲んでいるお茶のペットボトルを取り出して渡した。
「なんかあったんか?」
「大した事じゃないよ……」
「ほな、何で帰ろうとしたんや?」
「それは……」
さしずめ"話を訊いて欲しい"と思って、俺の所に来たのだろう。来たはいいが、話をする前に堪え切れず泣いてしまった。それに耐え切れずに帰ろうとした。
今の蒼蒔の心の中は、色々な感情で渦巻いているだろう。
(思おた事を一つ一つ指摘していけば、また泣くんやろか。涙で顔を歪ませるんやろか……)
涙の理由は、一言で済ませるなら"悔し涙"だった。
どんなに頑張って上手く演じられても、生まれ持ったその容姿と、Krone芸能プロダクションの御曹司という立場で評価されてしまう事。決して自分自身を評価して貰えてる訳ではないのだと、下唇を噛み締めながら俺に話した。
身を置く世界は違うが、蒼蒔が言いたい事は解った。
蒼蒔のそれは、俺が小さい頃に感じていた事と同じだ。見た目や家柄だけで俺を評価する。誰も本当の俺を見ない。だから蒼蒔の気持ちは、理解すると同時に共感も出来た。
だけど今の俺にとっては、見た目も家柄もただのツールにしか過ぎなかった。それで得られる物があるなら利用するだけ。でも今の蒼蒔には、まだ解らないだろう。だから言った……。
『お前の価値が解らない奴等の言葉を鵜呑みにすな。んな奴等の所為で泣くな』
自分でも、なんでそんな事を言ったのかは解らない。ただ蒼蒔が泣いているのが気に入らなかった。その理由が俺じゃないのが気に入らなかった。
今も気に入らない。蒼蒔が泣いている原因が、俺じゃない事が気に入らない。
それでも、子供の様に泣きじゃくる蒼蒔を抱き締めると、あやす様に背中をポンポンと叩いた。暫くすると嗚咽が小さくなり、呼吸も静かになってきた。
「迎え呼ぶから待っとけ」
俺はそう言うと、スラックスのポケットからスマホを出して、通話を開いてシンのアイコンを押した。呼び出し音が聴こえる間もなく『どうしました?』とシンが出た。
「悪いんやが迎えに来てんか」
『どこです?』
「まだ学校や。裏門から出るよって、裏で待機しててんか」
『15分で行きます』
「頼むわ」と言うと、スマホを切って再びスラックスのポケットに入れた。
俺は座り込んでいる蒼蒔の前にしゃがみ込むと、下を向いたままの蒼蒔に問い掛ける。
「奴等の目的はお前け?」
すると蒼蒔は自分のブレザーを手繰り寄せて、ポケットからスマホとイヤホンを取り出した。そしてボイスレコーダーを二回押すと、俺にイヤホンを差し出して再び下を向いた。俺はイヤホンを受け取って耳に差し込むと、蒼蒔がスタートボタンを押した。
録音は奴等が蒼蒔に声を掛けた後の、視聴覚室へと向かう途中から始まっていた。どうやら"何かを"察した蒼蒔が、機転を利かせて録音をしていたらしい。
俺の声が入っている所まで聴くと、蒼蒔に「もうええ」と言って、溜息を吐きながらイヤホンを返した。ついでに時間を見る。予定通りなら、そろそろシンが着く頃だった。
「歩けるけ?」
立ち上げりながら訊くと、蒼蒔は黙ったまま頷いて立ち上がった。そして、羽織っておいた俺のブレザーを返して寄越した。代わりに、手繰り寄せた自分のブレザーを着た。
学年末テスト最終日の放課後という事もあって、残っていた生徒は殆ど居なかった。それでも人気を避けて裏門まで行くと、一台の車が停まっていた。
車の後部ドアを開けると、蒼蒔に乗るように言うと、素直に車に乗った。それを見て「鞄取って来るよって大人しゅう待っとけや」と言うと、シンに小声で「見とけ」と告げてドアを閉めた。
赤城と白川は約束通り、昇降口に二人分の鞄を置いといてくれた。二人分の鞄と靴を持って、来た廊下を引き返した。その途中で、鞄に入れっぱなしになっていた小さ目のフェイスタオルを取り出して、水道で濡らして適度に絞った。
車に戻ると、蒼蒔に靴を履き替える様に言って鞄を置いた。靴を履き替えるのを待って、濡れタオルを渡して冷やす様に言う。すると「自宅でいいですか?」と、シンが訊いてきた。
「先に病院行ってくれんか」
そう言って、融通の利く病院へと向かわせた。そこで蒼蒔の顔を手当てして貰う事にした。蒼蒔はずっと黙っていて、痛みで眉間に皺を寄せる事はあっても、声は出さなかった。
「さて、診断書を書かないといけないんだけど……この程度なら、顔も手首もすぐ治るのは解ってるよね……」
「解っとお。ほんでも書いてや」
「まぁ、ボスの命令だから書くけど……打撲としか書けないよ」
「打撲でも立派な怪我やろ。完治までの日数は、大袈裟にしといてくれひん?」
「う〜ん……でもまぁ、これだけ肌が白いから、青痣引くまでに時間掛るだろうし……少し盛る程度なら大丈夫かな。それじゃあ待合室で待ってて」
単なる打撲……しかも、軽い打撲のは一目瞭然だった。完治するまでの日数も、大して掛からないだろう。だけど、この病院に来たのは、そういう融通が利くからだった。
話をしている相手は、シンの紹介で知り合った医者だった。繁華街にある雑居ビルで、開業している医者。それだけ聴くと、誰もが闇医者の類を連想するだろう。俺も最初はそう思った。
だけど目の前の医者は、日本とアメリカ、それぞれの国の医師免許を取得していた。そんな優秀な医者なのに、何故こんな場所で開業しているのか謎だった。
治療が終わって30分くらい待合室で待っていると、医者が「はい、診断書」と言って、蒼蒔の名前が書かれた封筒を渡された。
「おおきに」
「あ、請求書はこれ」
「おん。後でシンに持って来させる」
「お大事に」
診察が終わると、シンに「この後は?」と訊かれた。このまま家に帰そうと思ったが、蒼蒔の家族……特に親父さんが、蒼蒔の怪我を見たら喧しそうだ。
「あ~、うちに連れて帰る」
「解りました」
蒼蒔は何か言いたそうな顔をしたが、黙ったままだったので、俺はそれを見なかった事にした。
家に着くと、俺はシンに「後で連絡する」と言って、自分の部屋がある二階に行こうとした。すると蒼蒔が、俺のブレザーの裾を掴んで「どうして?」と、数時間振りに声を出した。
「お前に話があんねん。それに、そん顔で帰ったら親父さんが気絶するやろ」
「あぁ……そうかも」と言って、困った様な表情をした。
部屋に入ると、鞄を置いてソファに座る様に言い、俺は机の上のPCを立ち上げた。その間に、あの二人の事についてシンにメールを送った。
振り返って、蒼蒔に「さっきの録音、コピーさせてや」と言うと、黙ってスマホを差し出した。それを受け取るとPCに繋ぎ、音楽のファイルへコピーを開始する。そしてそれが終わると「ありがとさん」と言って、スマホを蒼蒔に返した。
蒼蒔はまた黙った。足の上に置かれた手首には、包帯が巻かれていた。俺は顔を覗き込んで「痛いか?」と、赤くなっている頬を軽く触った。
「少し」
「こん顔によお手ぇ出せるわ」
「僕が抵抗したのが、気に入らなかったんだよ」
「抵抗せんかったらヤられとったで」
あの時……蒼蒔が抵抗して大きな声を出していなかったら、中で行われている事に気付かずに、俺は教室に戻っていたかも知れない。
(もしそうなっていたら……)
「奴等みたいな人間は、掃いて捨てるほどおる。俺と一緒に居ったら、この先もまた同じ事があるかも知れん。今なら、前みたいに友達に戻す事も出来る。せやから──」
「やめて!僕はもう"ただの友達"には戻れない。それに……」
言いかけて止めた蒼蒔の顔から、血の気が引いている。黙って次の言葉を待ったが、なかなか話そうとしない。
「奴等以上に、もっとタチの悪い奴等も居るんや。もお怖い思いはしたないやろ?」
「怖かったよ……でもその怖さは、こんな目に遭った僕を、縁人は捨てるかも知れないって怖さだった。でも……それ以上に、縁人以外の誰かに触られるのが気持ち悪かった」
そう言うと蒼蒔は、本当に気持ち悪かったのだろう。不快そうに顔を歪めて、静かに泣き始めた。
「せやったら……」
「嫌って言ってるでしょう。縁人は狡い……あの日僕は、告白したら、ちゃんと元通りの友達で居ようと思ってた。なのに言わせてくれなかった」
「今からでもやり直せる」
「無理言わないで!だったらどうして言わせてくれないの?!だったらなんで抱いたの?!僕のあんな馬鹿な提案なんて縁人なら簡単に受け流せたでしょう?」
自分でも、自分勝手な事をしている自覚はある。蒼蒔の想いを踏み躙っているのに、身体だけは繋がっている。蒼蒔の言う通り、あんな提案なんて一蹴出来た筈。なのに……。
「お前だけは違う思おてた。解ってくれてる思おてた。せや……俺は狡い」
(今からでも突き放せばええ……蒼蒔はコッチ側に来たらアカンのやから……)
「僕は縁人を傷付けた。僕だけは、何があっても縁人を裏切ったらダメだったのに。だからこれからも……例えどんな目に遭っても、僕はどんな形でも縁人の傍に居る」
「またこんな事が起きるかも知れんのにか?もっと酷い目に遭うかも知れんのやぞ?」
「それでも縁人の傍に居られるならいい」
「守り切れんぞ?」
「最初から何も……傍に居る事以外、何も望んでないよ」
そう言って薄ら笑った蒼蒔の顔が歪に見えた。その表情を見て、俺は思考と理性を捨てた。
蒼蒔の腕を掴んでベッドの上に押し倒すと、ブレザーを脱がした。慌てた様に「待って」と言う蒼蒔に、俺は「怖いけ?」と訊いた。
「違うけど……」
「なんや」
蒼蒔の言葉を無視してネクタイを外して、ワイシャツを肌蹴させると、乳首に吸い付いた。
「ぅんっ……お、お風呂入ってない……準備も、してない……」
「構わん。お前は気持ち良おなっとけ」
「でも……」
「喧しい」
そう言うなり蒼蒔にキスをして、軽く開いた隙間から舌を入れ、蒼蒔の舌と絡めて喋らなくさせた。腫れた頬が痛いのか、たまに顔を顰める。
口を離して再び乳首に吸い付く。身体に傷や痣はなく綺麗だったが"俺以外の奴も見た"と思うと、訳の解らない苛立ちが湧き上がった。
「……触られたんか?」
「ぇ……?」
「身体触らたんか?」
「触られたくないから抵抗した。そしたら叩かれた……でも……」
あの時の事を思い出したのか、言葉を詰まらせた。そして、自分の身体を抱きかかえて、横を向いて泣き出した。その姿を見てヤる気が失せた。
ベッドから降りてクローゼットに行き、適当に洋服を取り出すと、蒼蒔に「着替えや」と言って渡した。すると蒼蒔は、更に泣きながら「なんで……」と涙声で言う。
「なんでって、怖いんやろ?そんな奴を無理に抱く趣味はない」
「だったら……縁人が忘れさせてよ!怖いのも、痛いのも、縁人が忘れさせて!」
そう叫びながら蒼蒔は、手当たり次第に物を投げ付けて暴れ出した。離れている時間の蒼蒔を知らない。だけど"俺が知っている蒼蒔"は、ヒステリックに泣き喚いて暴れたりしない。
確かに"あの日"も大きな声は出した。でもこんな風ではなかった。今の蒼蒔はまるで別人みたいで、薬でもキメたかの様だった。
「落ち着け」
「狡いなら狡いままでいて!中途半端に優しくしないで!」
優しくしているつもりはないが、蒼蒔にはそう感じ取れるのだろうか。
(狡いなら狡いままか……)
「ほな、途中で「怖い」とか「痛い」言うても止めんで」
「止めなくていい……酷くして……」
「そおいう趣味はないんやけどな」
そう言いながらも、涙でグチャグチャに歪んだ顔に、また少し興奮して、笑って欲しかったのに泣かせたくなった。
(俺にしか見せない泣き顔……俺にしか見せない本当の笑顔……俺しか知らない快楽に満ち堕ちた表情……)
結局、蒼蒔の意識が飛ぶまでヤりまくった。身体を拭いて着替えさせると、その隣に横になった。モゾモゾと擦り寄ってくる、俺より小さな身体を抱いたまま眠りに就いた。
この日から蒼蒔がセックスの度に、引っ掻いたり、噛み付いてくる様になった。俺の顔が見えなかったり、身体と身体が離れると酷く不安がる様になったのも、この日から……。
それが面倒だと思う事はしょっちゅうだったが、そうさせている、そう言わせている原因が"自分なんだ"と思うと、悪い気はしなかった。
その、子供特有の独占欲と優越感が、蒼蒔に対しての甘えだと気付くのは十数年後。
目を覚ますとカーテン越しに陽が射し込んでいて、隙間から見える陽が眩しい。枕元のスマホを見ると、朝の8時になろうとしていた。今日は日曜で、予定も特になかった。
(あ~なんや、懐かしい夢見た気ぃする……しかもオムニバス。そういえば前に、コレが走馬灯がどうのこうの言うてたな……)
死の直前じゃなくとも唐突に、昔の記憶が思い出されたりする事は 、特に珍しい事ではないだろう。まぁ、夢で見る確率は低いだろうけど。
そんなどうでもいい事を考えて、布団から出ようとしたら、蒼蒔が俺の寝巻きの袖を掴んだ。
「縁人、おはよう……どこ行くの?」
「おはようさん。タバコ吸いに行くだけや」
「僕も行く」
その時ある事を思い出して、徐に蒼蒔のパジャマを捲った。
「えっ、何?」
「あぁ……やっぱりや」
「何が?」
「だいぶ色が落ちとると思おてな」
蒼蒔の腰には蝶がいる。だがその蝶も、最後のタッチアップから年月が経っていて、だいぶ色褪せてきてしまった。
「タッチアップして貰うけ?」
「う〜ん……僕は……歳と共に、色褪せて消えていくのも良いと思ってるけどね」
美容だとか何だとかに煩い蒼蒔の事だから、この蝶のタトゥーの色褪せも、てっきり気にするかと思っていた。
「あ、別に消えて欲しい訳じゃないよ。でもこの色落ちは、花が咲かない僕みたいで好きなんだ」
「なんやそら。けど……花が咲かんのやったら、せめて蝶は綺麗にしたった方がええんとちゃうけ?」
「それもそうかな……僕の好きな華は枯れずに綺麗に咲き続けてるしね」
消えて欲しい訳じゃないのは解った。けど、どれが何の比喩なのかが解らない。でも、蝶は間違いなく蒼蒔の事の筈。それとも、その認識が既に間違えなのだろうか。
(咲かない花がコレ……なら蝶は俺なんか?けど、咲き続けてる華ってなんや?あ~、いや……解らん。そのうち訊いてみよ)
蒼蒔のタトゥーは俺が入れさせた。あの時の『だったら名前でも書いとけよ』という言葉で、怪我が治った後の蒼蒔に入れさせた。
どう考えても名前は悪趣味過ぎると思い、蒼蒔のイメージからモルフォ蝶にした。
モルフォ蝶は見た目こそ綺麗だが、ひっくり返すと蛾と大差ない色と柄をしている。陽に当たると発光して、雌や人の視線を誘う。成虫になると体内に毒を孕み、花や蜜ではなく腐った果実や動物の死骸を好んで食す。
それはまるで蒼蒔の、表の顔と裏の顔の様だと思った。極端なまでの正と負……光と闇の二面性を表している様だ。
付け加えるなら、モルフォ蝶は不規則な動きをする。それはまるで、蒼蒔の掴み所のない思考そのモノの様に思えた。
初めてその事に気付いた時、酷く興奮した。喋って動く西洋ドールが、見た目通りの性格じゃなかった。寧ろ俺にとっては、良い意味で裏切られた気がした。
次に見せる表情は何か、次は何をやらかすのか。それを予測するのが楽しかった。
(だからって……なんでコイツやねん)
予想すらし得なかった事といえば、危険性の高い薬に手を出した事と、こうして一緒に暮らしている事くらい。
(これが運命という名の必然なんか?)
「……でね、縁人はどっちがいい?」
「あ?」
「もお~、やっぱり聴いてない」
蒼蒔はおかしそうに笑いながら「眠いの?」と言うので、俺は「もお充分、寝たで」と言って、視線をモルフォ蝶に戻した。
危うく昨夜から続く思考のループに陥りそうになった。もしかしたら、そんな事をループさせるくらい考えていたから、懐かしい夢を見たのかも知れないとすら思えてきた。
高校三年になってすぐに、赤城と白川に『一ノ瀬の本命って七種なの?』『付き合ってんの?』と訊かれた。俺は『んな訳あるか』と即答した。
それから十数年経って、蒼蒔と暮らす事になった。
結人と伊吹には"二人は付き合ってる"と思われている。そう思っているのは、青葉と元宮も同じだろう。
蒼蒔がよく、凪沙と莉夏に『にぃに、蒼蒔さんの事好きじゃん』『甘々やん』等と、揶揄われているらしい事を話していた。
単純に好き嫌いでいうなら、好きなんだと思う。ただその"好き"に対して、何かしらの意味を持たせないとならない場合、どういう意味の"好き"にするべきなのか解らない。
(せやけど、子供レベルの独占欲と優越感は未だにある。甘えとる自覚もある……成程)
当たり前の日常なんてない。それはいつ終わるか解らない。それは誰にとっても同じだ。
その"当たり前"が当たり前過ぎて……遠き幼いあの日から、常に傍に……近くに在り過ぎていて気付かなかった。
幼い頃から恋愛に対する興味は薄かった。誰も"本当の俺"を見ようとはしなかったから。周りが見てるのは、家柄と見た目だけ。だから恋愛をする気もなかった。
でも違った。爺さんを除いた、たった一人だけ……蒼蒔だけは、いつだって本当の俺を見てくれていた。そして当たり前の様に傍に居た。
時折シンが、蒼蒔の事で何か言いたそうにしていた。もしかしたらシンはとっくに気付いていて、解っていたのかも知れない。
(灯台元暮らしやな。考えるまでもなかったんや……)
「縁人、ずっと考え事してる。何かあったの?」
「何もないで。せや……こん蝶は気に入っとるから、やっぱりタッチアップして欲しい」
そう言いながら腰に居る蝶を撫でると、蒼蒔は身体をビクッとさせて言った。
「縁人がそう言うなら、タッチアップする……あははっ……擽ったいよ」
「擽ったいんやなく、気持ちええ事するか?」
「ふふっ……朝から?」
「時間なんて関係あらへんやろ」
「ねぇ縁人、僕ずっと思ってたんだけど……」
そこまで言って次の言葉を躊躇う。蒼蒔が言葉を濁したり、躊躇う時の大半は"言ってもいいのか"と考えているのだと思う。そうさせたのも俺だ。あの約束が未だにそうさせている。
「なんや言うてみい」
「どうしてコレ入れさせたの?これがなくても、僕は縁人のモノなのに」
「嫌だったんか?」
「違うよ。そうじゃなくて……なんていうか意外だったから」
それはそうだろう。あんな約束までさせといて、蒼蒔にタトゥーを入れさせるなんて、幼稚なのは俺の方だったのだ。当時の俺には、それがただの独占欲だという事も、その感情の奥にある、別の感情に気付く事もなかった。
「意外か……せやろな」
「しかも、何でモルフォ蝶なの?」
「綺麗やろ。お前に似とる」
「は?蝶と僕が似てるの?」
蒼蒔は大きな目を更に大きくして、驚いた様に言った。俺が「形態はちゃうけどな」と笑って言うと、頬を膨らませて「当たり前でしょう」と呆れ顔をした。
「気になるんやったら、検索してみりゃええやろ」
「それは後でね。それより……伊吹の前や学校の体育の時に、皆と一緒に着替える事が出来なくて困ったんだからね」
「脱がなきゃ見られんかったやろ。それとも誰かに見せたかったんか?」
「そんな訳ないでしょう。縁人以外の人に見られたくないから困ってたの」
そう言うと、今度は少し頬を赤らめて下を向いた。俺が「俺以外に見る奴は居らんやろ」と言うと、蒼蒔は「僕だけの宝物だから誰にも見せないよ」と、屈託なく笑った。
その頬を撫でながら(こういうんも悪くないなぁ)と思った。
西洋ドールは今日もよく喋って、蝶の如くよく動く。コロコロとよく変わる顔を見ながら思った。
(最期の時まで何も言わんとこ)
【終】
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