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Side:蒼蒔【その華には毒があった──】
初めて見たあの瞬間から、僕は縁人から目が離せなかった。一瞬で心を奪われた様に、強く魅かれた。
縁人は綺麗な外見に反して、周りの総てを飲み込んでいくかの様な、魅力的で危険な雰囲気を纏っていた。それと同じくらい、どんな大物俳優さん達よりも、圧倒的な存在感と華やかさを持っていた。
酷く魅かれたのも、憧れに近かったのかも知れない。もしかしたら、一目惚れだったのかも知れない。
どちらにせよ、縁人が醸し出す存在感や華やかさは、僕がどう頑張っても、持ち合わせる事の出来ない物だった。
そんな縁人に会えるのは、年に数える程度だった。
縁人は生まれも育ちも関西で、東京にはお爺さんに会いに来る為だと聴いた。
縁人のお爺さんと僕のお爺ちゃんが仲が良く、縁人のお爺さんがうちに遊びに来る度に、強請る様に縁人の話を聴いた。そしてその度に、縁人に会いたくなってしまった。
『そう言うてくれるんは嬉しいけどなぁ、会いに行ったらあかんで』
『どうして?』
『蒼蒔が大きくなったら解るよ』
まだ子供だったから、ダメだと言われるとムキになる。その度に、お爺ちゃんに『縁人くんに会いたい』と言って困らせた。それを見ていた縁人のお爺さんが、笑顔で宥める様に言う。
『こっち来た時は必ず会わせたる。せやから、我慢してくれひんか』
そこまで言われると今度は、素直に頷くしかない。僕は『わかった』と言って。縁人のお爺さんと指切りをした。
縁人に"会いに行ったらいけない"という、言葉の理由を知ったのは中学生になった頃。
縁人が日本でも世界でも有数の大手グループ企業、一ノ瀬家の跡継ぎだと知った。
思い返すと、縁人がお爺さんと家に来る時も、僕とお爺ちゃんが会いに行く時も、いつだって護衛の人が傍に居た。それを見ていつも(何でだろう?)と思っていた。
でも縁人の立場を考えたらそれは当然の事で、それが普通の事だったのかも知れないと、今なら理解出来る。
七種の家も古くから、そこそこ名のある名家だった。芸能界を筆頭に、美術関連やアパレル業界、美容関連を常にリードして来た歴史がある。
うちはその中の、大手芸能プロダクションを引き継いだ。お爺ちゃん亡き後は、父さんが社長として後を継いだ。僕も俳優をやっていたけど、高校受験を言い訳に引退した。
僕の家柄もそこそこであろうと、僕の経歴がどうであろうと、一ノ瀬家の跡継ぎである縁人に、そう簡単に会える訳がない。例えるなら……縁人は、芸能人よりも遥かに雲の上の存在みたいな人物だった。
(でも絶対、会えない訳じゃない。長期休みで、東京に来る事があれば会える)
自分に思い込ませるかの様に、それを頭の中で繰り返した。大袈裟かも知れないけど、それだけを楽しみに毎日、学校や仕事を頑張った。
そんなある日、思いがけない出来事が起きた。
それは中学二年の冬。その日、学校から帰るとお爺ちゃんから、縁人がお爺さんの家に来ていると聴いた。僕はすぐにお爺ちゃんに許可を貰って、縁人に会いに行った。
久し振りに会う縁人はいつも通り無愛想だったが、何処か疲れている様にも見えた。そんな縁人を見て(何かあったのかな……でも、あまり深く踏み込んではダメだ)と、直感でそう思った。
縁人は自分から色々話すタイプではなかった。だから僕は"いつもそうである様に"一人で勝手に、つまらない学校生活の愚痴を話していた。縁人はゲームをやりながらも黙って、僕の話を聴いていた。
「三年になったら受験が終わるまでは、あまり会いに来れなくなっちゃう」
「来たいならいつでも来たらええやろ。勉強も教えたる」
特に深い意味はなく、何気なく言った僕の言葉に、縁人はごく当たり前の事の様に言った。
「え、いいの?」
「気が向いたらな」と言って、縁人は軽く微笑んだ。
とはいえ、縁人は関西の名門進学校に通っている。そもそも、学校はまだ長期休みではない。だからすぐにでも、関西に帰るのだろうと思っていた。
「でも縁人、帰っちゃうでしょう。そうしたら教えて貰えなくなるよ」
「いや……向こうには帰らん。此処に住むよって、高校も大学もこっちの通う」
「え、本当?!本当に此処に住むの?!」
僕は驚いて食い気味に訊いた。縁人は少し鬱陶しそうな顔をして、ゲームのオープニングが映ってるテレビを見たまま黙って頷いた。
「じゃあ、これからも来ていい?」
「さっきから、そう言っとろおが」
「あれ?じゃあ、中学はどこかに編入?」
僕は"一緒だったらいいな"という、淡い期待を込めて訊いた。すると縁人は「行かへん」と素っ気なく、少し突き放す様に言った。
ついさっきも『帰らん』と言っていた。そして、中学にも『行かへん』と言う。その短い言葉だけで、詳しい事情を訊かなくても、向こうで何かがあったのだろう事は僕にも解った。
こうなった時の縁人には、何も訊かず、何も言わない方が懸命だという事を、そう深くもない付き合いで知って学んだ。
(やっぱり、踏み込まなくて正解だった)
その時だと思う。僕の中で、どす黒くて醜い感情が生まれた。でもそれが何なのか……それが何処から来るモノなのか、僕自身にもよく解らなかった。
その感情の正体に気付いたのは、高校に入ってからだった。
縁人は子供の頃から目立っていたし、子供らしからぬ風格と雰囲気を持っていた。それは高校に入っても変わらなかった。縁人はただ立っているだけで、男女問わず人を惹き寄せる。
校内のどこに居ても、人集りの中心には必ず縁人が居た。明白に性的な媚びを売る女子。その中には男子も居た。その名を利用しようと、媚びを売ってくる連中。そういう事柄に惑わされず、気さくに声を掛けて来る者も居て、縁人の周りにはとにかく絶えず人が集まった。
僕はその輪の中には入らなかったし、入りたくなかった。縁人本人からも、その周りからも、そんな連中と一緒にされるのが嫌だった。もっと言ってしまうと、本心では僕以外に向ける笑顔を見るのが嫌だったのだ。
僕ですら縁人に気安く触れる事が出来なかったのに、周りはベタベタと気安く縁人に触れた。それを許している縁人にも腹が立った。それどころか、縁人から触れる事もあった。
そういう現場を目の当たりにしたくなくて、学校では縁人と一緒に居る事は、殆どなくなった。それがその時の、僕のちっぽけなプライドだった。
そんな僕とは逆に、当の縁人は何を思ったのか、急に羽目を外し始めた。
まずは、校則違反にも関わずピアスを開け始めた事。昔から縁人は、ファッションやアクセサリー等に、興味や関心を持たなかった。なのに急にピアスを開けたから驚いた。
そして最初の噂が流れる。
縁人にとって告白は日常茶飯事だった。その所為なのか、女遊びをしていると学年で噂が流れた。しかも女だけではなく男遊びもしていて、学年も問わずに無節操に遊んでいる。そんな噂が、最終的には学校中に広がり始めた。
噂はそれだけではなかった。他校の生徒と喧嘩をしたとか、悪い連中とつるんでいる等、そういったあまり良くない噂も流れた。
(縁人は子供の頃からずっとこんな風に、嘘か本当か解らない噂を流されてたんだろうな。中には多分、悪意に満ちた噂もあったのかも知れない)
そんな縁人だったが、成績は常に変わらず良かった。すると今度は、そういった連中から鬱陶しがられた。影でヒソヒソと、縁人を批判する連中も少なからずいた。
例えどんなに素行が悪くても、文武両道に長けている上に、家柄の事もあるのだろう。教師達は縁人の事を持て余し、縁人のお爺さんは笑っていた。
縁人は一年生も半ばにして、校内一の有名人で、問題児になった。
そんなある日。学校から帰って自分の部屋に行くと、縁人がベッドの端に座って呑気にゲームをしていた。
「おん、お帰り。遅かったやないか」
「え……っと、ただいま。何してるの?」
「見て解るやろ」
「まぁ……。でも、昼休みが終わってから学校に居なかったでしょう。なのにどうして、僕の部屋でゲームしてるの?」
縁人のサボり癖も割りと日常茶飯事ではあったけど、僕の家に居る事は、僕にとっては完全にイレギュラーな事だった。
「あ~、女と居ったんやが──」
「え、ちょっと縁人、その傷どうしたの?!待ってて、すぐ救急箱取ってくる」
縁人の左頬に傷があるのを見付けた僕は、質問すると同時に、慌てて下の階に降りて救急箱を取ると、急いで部屋に戻った。
「滲みるかも……」と言って、消毒液を浸けた脱脂綿で、傷を消毒し始めた。その間、目を閉じていた縁人はビクとも動かなかった。
「この傷はどうしたの?傷跡が残らないと良いけど……」
僕が訊くと縁人は目を開けて、面倒臭そうに口を開いた。
「一緒に居った女に引っ掻かれた」
「引っ掻かれた?!一緒に居たの、隣のクラスの人だよね?」
「遊びでええなら付き合う言うたんや。ほんでもええ言うから付き合うたのに、本気になったからちゃんと付き合うて欲しいとか言い出しよった。せやから、別れる言うたら引っ掻かれた」
解っていて付き合ったのに、思い通りにならないと解った途端、手を出すとは一体どんな神経をしているのだろう。でもこんな事も、良く聴く縁人の浮いた話ではあった。それでも僕は(縁人を傷付けるなんて許さない)と思った。
「それでも……」
「ん?何か言うたか?」
もうやめて欲しかった。これ以上悪い噂が立つのも、そういう奴等と連むのもやめて欲しかった。
でもそんな事を、僕に言う資格は無い。そんな事を言える筈もないと解っていた。なのに頭の中では、縁人に対しても、そんな奴等にも腹が立って仕方がなかった。
「女は面倒やな……まぁ、男は男で面倒やけど」
「誰か一人と付き合えば良いんじゃない?ちゃんと付き合えば、こんな事にもならずに、面倒も減るでしょう?」
「あ~、誰か一人か……けど"特別な相手"は作らん。出来んなぁ。そっちのが面倒やわ」
普通に考えたら特定の誰かと付き合う方が、面倒が少なくて済むと思う。それにこのままだと、いつか縁人がもっと酷い目に遭う気がしてならない。
「あんな蒼蒔……俺は何も欲しくないんや。もしほんまに欲しい思おたら、そん時は自分の手で、自分の力で手に入れる」
唐突にそう言われて、僕は「え、どういう意味?」と言った。そして、続けて訊いた。
「縁人は一ノ瀬の跡取りでしょう?地位も名誉も、富や権力だって欲しい物なら黙ってても、幾らでも手に入るでしょう?」
「それは俺が望んだもんやない。自分の力で手に入れたもんやない。せやから親にも親戚連中にも、何も要らん言うたったわ」
誰もが一度は"その内の一つでもいいから欲しい"と願う物を、縁人は生まれながらに持っている。なのに縁人は要らないと言う。
「俺がこっちに来たんは、爺さんの元で自分なりに、自分だけの力を手に入れる為や」
「でも……こんな事ばかりしてたら意味ないんじゃないの?」
「そうでもないで」
そう言って薄く笑った縁人の顔は、ゾッとするほど綺麗で、その眼は、ゾッとするほど残酷だった。
僕の中の本能が"逃げろ"と警告を発していたが、僕の心は"囚われたい"と願ってしまった。
そう思ってしまったが最後。いつかの、どす黒い感情がハッキリと、芽を出してしまった。
(例えその芽に花が咲く事もなく、枯れ果てても僕は……)
それからだった……。僕が、犯罪行為だと思われる様な事を始めたのは。
七種の名前と伝手、使えるだけのお金を使って、それとなく裏から手を回した。
縁人を傷付けた相手や、縁人を貶め様としている奴等を、二度と縁人に近付けられない様にした。特別じゃなくても、お気に入りだと思われる相手も、縁人に近付けない様に根回しをした。
(僕がやった証拠も形跡も全て削除。決して、縁人に気付かれてはいけない……悟られてはいけない……)
それから暫く経ったある時。遊びに来ていた縁人に、問い詰められた。
「蒼蒔。お前、何がしたいねん」
「なんの事?」
「要らん手間、掛けさせんなや」
「だから、なんの事?なんの話しをしてるの?」
縁人に気付かれる事なく、悟られる事もなく……とは思ってはいても、それは到底、無理な話ではあった。
前提として、縁人には嘘も隠し事も通用しないのは、小さい頃から縁人を見てきた僕が一番解っていた。それでも僕は、一貫して白を切り通した。
でもこうして問い詰められるという事は、僕がやっている事もお見通しなのだろうと思った。なのに、それ以上は追及されなかった。
(もしかしたらいつかは僕が、手痛い目に遭うかも知れないな)と、何処か他人事の様に思った。
それとほぼ同じ頃。僕が関与していない所でも、縁人に関与した人達は狙われた。きっと、上京したのもそれが原因の一つだろうと察した。
そしてそれが多分、縁人が言っていた一ノ瀬の親戚と、縁を切りたがった一番の理由で、そうした煩わしさから離れたかったのだと解った。
僕は(きっと、縁人本人も狙われているんだ)と思ったけど、すぐに(違う……もしかしたら一番狙われているのは、縁人かも知れない)と考え直した。
それでも縁人の事だから、例え一人であっても戦うつもりなのだろう。決して誰にも本心は明かさず、見せる事もない。あくまでも"自分の信念"を貫き通す為に。
(縁人が信じるのは自分自身だけ……)
その覚悟が、どれだけ辛くて寂しい事であっても、縁人はきっと、それを貫いて生きるのだろう。そう思ったら、自分の事ではないのに、僕は辛くて寂しくて泣きたくなった。
縁人はきっと、弱音を吐いたり、泣く様な真似はしないのだろう……そんな姿は、決して誰にも見せないのだろうと思った。
それに気付いて、僕は"僕に出来る事"を、必死に考えた。別に協力してくれと言われた訳じゃない。だけど、少しだけど話してくれたから。そして気付いてしまったから。
僕に出来る事なんて、何一つないのは解っている。それでも考えずにはいられなかった。
(縁人の為なら何でもするのに……)
問い詰められて、白を切り通して……そんな事があっても、縁人と僕の関係は何も変わる事はなかった。
ただ僕の縁人に対する気持ちが、日に日に大きくなっていった。あのどす黒い感情は、恋愛感情だった。一度自覚してしまうと、そこからは早い……とは良く言ったものだと思う。
特別になれないのは解っていたし、僕もそれを望んでいた訳じゃなかった。それ以前に、僕の事を"そういう風には見ていない"という事も解っていた。それでも好きだという想いは募っていく一方だった。
僕自身は、同性愛に対する偏見は何一つなかった。だから、縁人に一目惚れしたというのが、恋愛や性への目覚めだというのなら、僕は縁人に会ったあの瞬間から、もうずっと縁人に恋をしている事になる。
縁人がどうして男女問わずなのかは解らない。そもそも縁人は、何に対しても偏見を持つ事がなかった。特に興味がある様にも見えなかったけれど。
そんな縁人だから、相手が異性だろうが同性だろうが、特に気にならないのだろう。
(だからって、好きでもない人とセックスをするのは、よくないと思う。それも男女問わず。まぁ、遊びで出来ちゃうんだから、縁人にとってのセックスは、特に意味のない行為なのかも知れない。そうか……意味がない……)
そんな縁人とは対照的に、僕は"好きな人とセックスしたい"と、誰もが思う様な事を考えていた。だから……というのもなんだが、僕は当然の様に恋愛対象である、縁人を思ってオナニーをする事もあった。
そんな僕の気持ちに気付きもせず、縁人はいつもフラっと遊びに来ては、お爺ちゃんが持っている本を読んだり、ゲームをしては僕のベッドで寛いでいた。
本当に今まで通り、何も変わらず一緒にゲームをしたり、勉強で解らない所を教えて貰ったりしていた。それは進級してクラスが別になっても、何も変わらなかった。
僕はというと、可能な限り縁人を意識しない様に、縁人とは最小限の会話しかせず、机に向かって勉強をして、一定の距離を保つ様にした。まぁ、一緒にゲームをやるくらいはしていたけど。
そんな夏のある日。フラッと遊びに来た縁人に、一緒にゲームしようと誘われた。僕もその日は、勉強よりもゲームがやりたい気分だったから、笑顔で誘いに応じた。
いくつかのゲームを何回かプレイした後、少し休憩する事になった。コントローラーを置いた縁人が、溜め息混じりに口を開いた。
「誰かと一緒にゲームやるんやったら、蒼蒔が一番ええわ」
「そんな事言って……縁人が、楽したいからじゃない」
「あははっ……バレてもおた」
屈託なく笑う縁人の顔を見ていると、心臓の音が早くなる。例えゲームの相手であっても、そう言って貰えるのは嬉しかった。
そのままベッドに横たわった縁人が、僕の頭を撫でると「相変わらず綺麗な髪やな」と言った。
僕は一瞬にして、顔も身体も熱くなるのが解った。縁人にそんな気がないのは解っていても、縁人が嘘を吐かない事を知っているから、余計に意識してしまう。
「ゆ、縁人だって髪の毛サラサラじゃない。陽に当たると茶色くなってキラキラしてるよ」
「そんくらい誰でもなるやんけ。けど、蒼蒔の髪の毛はちゃうやろ」
「隔世遺伝で僕だけがこの顔。瞳の色も肌の色も、髪の毛の色も薄いしね。伊吹も、瞳と髪色だけは少しだけ薄いんだよ」
「ふはっ……珍しく照れとお。可愛ええやっちゃ」
そう言って笑いながら、縁人は頭を撫で続ける。好きな人に褒められたら、誰だって照れると思う。他の誰かに褒められても全く嬉しくないけど、縁人はやっぱり別だ。
それに何だか、今日の縁人はいつもと違う気がした。いつも優しいけど、それ以上に優しい気がしたのだ。だからつい魔が差した。
「ねぇ、縁人……」
名前を呼んでしまってから(しまった)と、思わず目を閉じた。
「なんや」
「あ、いや……何を言おうとしたか忘れちゃった」
「ほんまか?お前、嘘吐いとおやろ」
「嘘じゃないよ。本当に疑い深いんだから」
僕が頬を膨らませて言うと、縁人は「ふ〜ん」と言っておきながら、僕の脇腹や首筋を擽り始めた。
「あははっ……やめっ、擽ったい……あっはは……」
「何隠しとるんや?一度は許したったけど、二度はないで。ほら、はよ言わんかい」
「ほんっ……あははっ……解った……あははっ……言うから止めて」
やっぱり前に問い詰められた時、白を切り通した事はバレていた。まぁ、バレているとは思っていたけど。なのに今日は執拗に、問い詰めて来る。縁人の中では"僕が話せる事"だと、認識したのだろう。
「ただの疑問なんだけどね」
「疑問?」
「えっと、キスとかセックスって気持ち良いのかな?って疑問」
「ん?もしかして蒼蒔、まだ経験ないんか?」
珍しく驚きを隠さない顔で縁人が訊く。逆に僕は「どうやったら経験あると思うの?」と訊いた。
「蒼蒔やってモテるやろ。正統派王子様らしいやないからな。こん前も告白されとったやろが」
「皆、見た目しか見てないから、王子様なんて言われるんだよ」
縁人ほどではないけれど、一部の人達の間では、僕もそれなりに人気があった。でもそれは見た目の所為だと思う。祖母が海外の人だった。その特徴を、隔世遺伝で僕が全て受け継いだ。
役者をしていた時も、見た目だけで役を押し付けられる事もあった。その所為で告白してくる人達も、見た目しか見ていないのだろうと思ってしまう。
「見た目の印象はしゃーない。それやって立派な武器やけどな。でもまぁ……お前は王子より、姫のほうが合っとる気いするけどな」
「どっちも嫌だよ。大体、好きでもない人から告白されても嬉しくない」
「なんや蒼蒔、好きな奴おるんか?」
言ってから今日二度目の(しまった!)という、心の叫びが頭まで響いた。縁人がいつも以上に優しくて、機嫌が良い所為だ。つい子供の頃の様に、口から勝手に言葉が出てしまう。
「好きな人はいない。だからって、話もした事がない相手から告白されても嬉しくない」
「ほ〜ん……けど、キスやセックスには興味ある訳や」
「そりゃあ僕だって興味くらい持つよ。しかも縁人みたいなのが近くに居たら、余計気になるしね」
「俺みたいなって、なんや失礼やな」
笑い流しながらも、僕を揶揄う様子はなかった。寧ろ、そっちに興味が湧いた様な気がした。僕は、揶揄われなかった事に安堵したけど、同時に嫌な予感もした。
「キスもセックスも、ノリと勢いで出来る。蒼蒔もヤってみりゃあええ」
「そんなの嫌。するなら好きな人としたい」
「ぶはっ……今時、女子でもそない事言う奴居らんて」
そうなのだろうか。誰だって本当は、恋愛もキスもセックスも、好きな人としたいんじゃないかと思った。
縁人に気があって近付いて来る女子も男子も、本当は心の底から、縁人を好きだと思っていたのかも知れない。でも僕にはそうとは取れなかったし、縁人の邪魔になりそうだったから、裏から手を回したりしていたけど。
「僕は、好きな人としかしないって決めてるからいい」
「へぇ……。なぁ蒼蒔、こっち向いてみいや」
「何……んっ……」
振り返った瞬間、縁人の唇が僕の唇に当たった。驚いて、縁人の腕を退かそうとした。でも逆に、後頭部を押さえ付けられて、口の中に舌を入れられた。
「ん"……」
縁人の舌が僕の舌に絡み着く。その度に、軽く開いた口の端から、僕の荒い息遣いと、ぴちゃぴちゃと卑猥な音が聴こえた。
(何で……何で僕、縁人にキスされてるんだろう……でも、気持ち良いかも……)
不意に唇が離されて「ふっ……さすが初心者、下手やなぁ」と、今度はハッキリと揶揄う様に言った。しかも「何や気持ち良かったか?チンコ勃っとんで」と、付け加える様に言った。
僕はまだボーッとしながらも、慌ててそれを隠して「何でキスしたの?」と訊いた。
「したい思おたから。これで解ったやろ。ノリで出来るっちゅう事が」
「この流れでセックスもするの?」
「時と場合、相手にもよるなぁ。けど蒼蒔。ファーストキスは俺が奪ってしもおたけど、セックスはちゃんと好きな人としいや」
この状況で突き放す。如何にも縁人がやりそうな事だ。僕が「トイレ行って来る」と言って、部屋を出ようとしたら、縁人が「俺はそろそろ帰んで」と言って、ベッドから降りた。
それから暫くの間、縁人が遊びに来る事はなかった。でも僕はあのキスが忘れられなくて、一人思い出しては、オナニーをしていた。
(あんなキスされたら……)
そして高校二年の夏休みが始まった。学校がなければ、縁人に会う事もなかった。何回かフラっと遊びに来ては、いつも通り一緒にゲームをした。そして、遊ぶだけ遊んで満足すると、笑顔で『ほなまたな』と言い残しては帰って行った。
(昔は夏休みが楽しみで楽しかった。仕事がなくて、お爺ちゃんの許可があれば、いつだって縁人に会えたのに……って、そんな事よりプレゼント考えなきゃ)
夏休みが終わればすぐ、縁人の誕生日がある。その後には、弟の伊吹の誕生日がある。
僕は二人の為に、何を贈ろうかと考えていた。誕生日プレゼントを考えるのに毎年、決まって時間が掛かってしまう。
縁人はピアスを開けたから、ピアスにしようと思った。でも他の子達もきっと、ピアスを贈るんだろうと考えたら、違う物にしようと考え直した。
伊吹はまだ中学生だから、何がいいのか解らない。いつも、何をあげても無表情で、嬉しいのか嬉しくないのか解らない。伊吹は昔からそうだった。自分から、何かを欲しいと強請る事もなかった。だから余計、何を贈れば喜んでくれるのか悩む。
次の日は、二人へのプレゼントを買いに出掛けた。悩みながらも、二人に似合いそうな物や、好きそうな物を選んで買った。
だけど縁人へのプレゼントはこの年以降、本人に渡される事はなく、クローゼットの引き出しに溜まり続けた。
そんな……夏休みも終わりを迎えようとしていたある日。久し振りに縁人が家に遊びに来た。
「夏休みの間、縁人は何をしてたの?」
「特に何もしとらん。蒼蒔こそ何しとったんや?」
「何かにつけて、父さんに連れ回されてたよ。きっと、芸能界に復帰して欲しいんだと思う」
「したれや」
芸能界は馴染みがあって、知り合いも多い。縁人の隣に居る時の、次くらいには居心地も良い。今の芸能界には興味もある。でも役者に戻る気はサラサラなかった。
役者になってしまったら、縁人との距離が更に広がってしまう気がした。会える時間も今より、遥かに少なくなってしまう。でもそれは多分、大学に行くようになっても、社会に出ても同じだろうけど。
「僕は、大学で経営と情報の勉強をしたいんだよ。会社を継ぐ為にもね」
「ほ〜ん、蒼蒔が会社継ぐんか」
「継げるかは解らないけど、役には立てるでしょう?縁人はまだ継ぎたくない?」
「継ぐ気はあらへんけど、立場は利用はするやろうな」
そう言った縁人の表情が、悪巧みを働く時の顔になっていた。その顔に、僕は全身が痺れる様にゾクゾクした。僕の好きな、縁人の表情の一つだった。
会えなかった日は、ずっと"会いたい""声が聴きたい"そんな事ばかりを考えていた。だから、次に会った時は、思い切って告白しようと決めていた。
ただ、僕の気持ちを知っておいて欲しかっただけだ。もう……この気持ちを抑え切れなかったから。
「ねぇ、縁人……あのね、実は僕──」
「蒼蒔。それ以上言うたら縁切るで」
そう言って僕の言葉を遮った。でもその顔は、言葉の冷たさとは真逆な表情をしていた。
「僕まだ何も言ってないよ」
「何が言いたいんか、お前を見てれば解る」
そんなに解り易く、顔や態度に出ていたのだろうか。だとしても……いくら"特別"を作らないとしても、最後まで言わせてくれないのは酷いと思った。しかも『縁を切る』とまで言った。
「蒼蒔とは今まで通りの関係で居たいんや」
「解ってるよ。でもっ……」
「俺よりも……お前を大切にして、幸せにしてくれる相手が出来る。わざわざ俺なんか選ばんでもええやろが」
「僕の気持ちや人生を、縁人が勝手に決めないで!僕の相手は僕が決める!」
僕が珍しく声を荒げて言ったからか、縁人は少し驚いた様な、困った様な表情を浮かべた。昔から縁人に対して、強く何かを言った事はなかった。だから流石の縁人も驚いたのだと思う。
「執拗い。ほんなら、お前との付き合いも今日までや」
「そんな事言わないで!お願いだから、言うだけ言わせて!」
子供みたいな事を言っている自覚はある。告白の言葉を、最後まで言わせて貰えなくて、少しムキになっていた。感情が昂り過ぎたのか、涙が込み上げてきた。
「ええから落ち着け」
「……だったら……身体だけの関係でもいい」
「は?何を言い出すんや」
僕に残されたのは"これしかない"と、何故かそう思った。だから縋る様にそう言った。様子を窺う様に縁人の顔を見ると、呆れた様な顔をしていた。
「蒼蒔。自分で何を言うとるんか解っとるんか?」
「特別じゃなくてもいい。どんなに酷くしてもいい。身体だけの繋がりでもいい。縁人の気紛れで抱いてくれも構わない。だからお願い……」
「経験ないのに出来るんか?やり方解るんか?俺は教えんぞ」
溜息混じりに縁人が、捲し立てる様に言う。僕は「自分で覚える。だからお願い……」と、必死に訴えた声が涙混じりだった。堪えていた涙が、頬を濡らしているのが解った。
「はあぁ……二週間後。時間と場所をLINEで伝える。それまで、頑張るんやな。やっぱり無理やと思おたら連絡してこい」
「解った」
僕がそう言うと、縁人が「せや……」と、何かを付け加える様に言い出した。
「これからはお前の名前は呼ばん。お前の都合なんぞ知らんし、優しくもしいひん。俺がヤりたなったら抱いたる。少しでもそれっぽい事を言うたり、求めたらその場で終いや。ええか……なんも期待しんなよ」
そう言った縁人の声は冷たくて、何の感情も籠っていなかった。なのにその顔は、心なしか苦痛に満ちている気がした。
「解った。約束する」
約束と言うよりは、まるで何かの契約の様だった。それでも僕にとっては、一歩前進した感じがした。
でもこの"約束"が、自分を精神的に追い込む事になるとは、この時の僕は考えもしなかった。
次の日から僕は早速、ゲイビを観たり、知り合いのゲイの人に話を聴いては、色々とアドバイスを貰った。必要だと教えて貰った、浣腸、ローション、コンドーム、拡張プラグやら玩具の類は通販で買った。
覚えるのに必死だった。だけどお腹は壊すし、アナルは痛くなるし、慣れない異物感に気持ち悪くなって吐いた。その度に、悔しくなって泣いた。
どうして悔しいと思ったのかは解らない。普通なら悔しいというよりは、惨めになったり、虚しくなる所なんだと思う。それでも悔しさという感情が先に出たのは、自分のしている事や、これからする事に、惨めさを感じたくなかったのかも知れない。
その時の僕には、例え"特別"になれなくても、身体だけは今よりは近くなる。そうすれば"少しでも意識して貰えるんじゃないか"という、馬鹿げた考えしかなかった。
冷静に考えれば、そんな関係はもう友達でも何でもない。ただのセフレで、その他大勢の中の一人に過ぎない。そんな扱いをされるのは嫌だった筈なのに、それでも良いと思ったのは本心だった。
そんな浅ましくて卑しくて、どこか歪な想いを抱えながら、約束の二週間後を待ち遠しく思った。
縁人から連絡が来たのは、あの日からピッタリ二週間後の朝。届いたLINEには『20時、○○ホテルの1023号室』とだけあった。日付けがなかったから、それを確認するLINEを送ったけれど、学校から帰宅しても、縁人からの返信はなかった。
僕は何となく試されてる気がした。なので、縁人の普段の行動パターン、二週間前に別れた時の言葉を思い返した。それらを頭の中で組み立てると、僕は(縁人の事だからきっと今日の夜の事だ)と結論を出した。
間違えていたら帰ってくればいいだけ。普通ならそうだろう。でも、相手が縁人だと思うと(ミスをしたら、次はないかも知れない)と思ってしまう。そのくらい、あの日の縁人の言葉は僕の心に、棘の様に突き刺さっていた。
僕は時計を見て、時間にまだ余裕がある事を確認すると、暫くトイレに籠った後お風呂に入った。
湯船に浸かると(縁人とセックスする……)という興奮で、心臓がバクバクしてくる。でも、それと同時に(本当にこれで良かったのかな……)という不安も襲って来た。後悔するだろうという事は、あの日から解っていた。
もしかしたら、縁人に出逢ってしまった時点で、僕の中の何かが狂ってしまったのかも知れない。
でももう遅い。あの醜くて汚くてどす黒い、歪んだ感情が芽を出してしまったから。それが育ってしまったから……。
「っ、んあ"っ……い"っ、痛っ……やっ……」
その痛みは"メリメリ"という効果音が、よく似合いそうだった。引き裂かれる様な痛みの元凶は、縁人のペニスによって齎された。
「嫌なら止めんで」
今日始めて聴いた縁人の声は、突き放す様な言葉を放った。どんな顔しているのか解らない。だけど聴き慣れた声には、何の感情も込められていない事だけは、ハッキリと解った。
僕は下唇を噛みながら首を横に振り、痛みを堪えながら「いや、やめないで……」と言った。
20時ピッタリに、指定された部屋のドアをノックした。僕を出迎えたのは、優しそうな顔を見せながらも、隙のない雰囲気を纏った年齢不詳の男性だった。
促されるまま緊張しながら入った部屋の中には、不機嫌そうな顔をした縁人がソファに座っていた。その顔を見た瞬間、正体不明の恐怖に襲われて、僕は全身をすくめた。
縁人が立ち上がると、その男性に近付いて小声で何かを話していた。男性は黙って頷いて部屋を出て行った。ドアが閉まると、縁人は黙ったままベッドに腰を降ろした。
無言のままの縁人に手招きされて近寄ると、手を掴まれてベッドに押し倒された。そのまま服を脱がされると、後ろ向きに四つん這いにされた。
僕は(なんで……なんで何も言ってくれないの)と思った。その瞬間、アナルに冷たい物を感じた。突然の事に、思わず「ひゃっ……」と、変な声が出た。でも次の瞬間には、縁人の指が挿入って来た。
グチュグチュというか、ヌチュヌチュなのか解らないけど、ただ卑猥な音だけが、静かな部屋に響いていた。気持ち良いとか悪いとか……そんな事を考える余裕もなかった。ただ、されるがままだった。
優しくされたかった訳じゃないし、恋人同士の様な甘い言葉を期待していた訳じゃない。
(最初に、酷くしてもいいと言ったのは僕。だけど……そうだけど……)
好きな人とのセックスに夢見ていた訳でもない。寧ろもっと酷くされる事だって想定していた。だけど今している行為は、そのどちらにも属していない。
(そうだ……僕は、温もりすら求めちゃいけないんだ……期待するなって言われたのに……何を……)
そう思った途端、自分の愚かさに気付いて笑いそうになった。
あの日、縁人は確かに僕を止めた。告白をさせてくれなかった事に対して、怒って泣いて縋った僕の行為は、縁人を失望させ傷付けた。
(何があっても僕だけは、縁人を傷付けたり、裏切っちゃいけなかったんだ。それが、僕に出来る唯一の事だったのに……)
そう思うと、今度は涙が溢れ出て来た。心の中で(ごめんなさい、縁人……ごめんなさい……)と、声に出せない謝罪を繰り返した。
この日の事は一生、忘れてはいけないと思った。
自分が負った身体的な苦痛よりも、縁人を傷付けた事の方が、僕にとっては苦痛以上の重罪だったから。
その日以降、僕は校内で縁人を見付けては、物陰に隠れた。擦れ違う事もない様にと、わざと教室から離れた階段を使ったりもした。別に避ける必要もないし、そんな約束もしていない。
僕達のこの関係を、誰かに知られてはいけないという様な約束もしていない。そんな約束をしなくても、誰も僕達の関係を疑ったりはしないだろう。
元々、学校では殆ど絡んではいなかったし、僕にはそういう話をする相手がいない。友達と呼べる人間はもういない……。
なのに必要以上に避けたのは、罪悪感で顔を合わせずらかったから。こんな事をしていたら、逆に呆れられてしまうだろう。それでも僕は、縁人の顔を見るのが怖かった。
そんな僕の不安を他所に、再び二週間後の朝、縁人からLINEが届いた。時間とホテルの名前が書いてある。時間は同じだったけど、ホテルはこの前と違っていた。
もしかしたらもう、連絡は来ないと思っていた。だから素っ気ないその、短い文章だけでも嬉しかった。だけど僕は(本当に行っても良いの?)という疑問を抱いた。その疑問の意味は二つ。
一つは、問い掛けても答えは返って来ないであろう、縁人に対して。そしてもう一つは、最初から答えなんて持ち合わせていない、僕自身に対してだった。
ただ、僕にはもう後がない事だけは解っていた。提案した僕が行かなければ、始まったばかりのこの関係は終わる。終わってしまったら、前の様に友達にも戻れない。良くてただの"知り合い"か、悪くて"同じ学校の奴"という関係。
罪悪感を抱きながらも、それと同じくらい欲望が顔を出す。だけど、心の中の矛盾を薙ぎ倒し、醜くて汚くてどす黒い感情が支配する。
(あの残酷で綺麗な、縁人の顔が見たい。突き放す様な冷たい、縁人の声が聴きたい……)
心臓に刺さった棘には、毒があったのかも知れない。中毒性を帯びたタチの悪い毒は、僕の心と身体だけじゃなく、もっと奥底の深い深い所にまで廻り始めた様だ……。
始まりがどうであれ、僕はこの関係を続けるのに必死だった。
二回目までは、同じ曜日の同じ時間だったが、それ以降は曜日も時間もバラバラだった。塾に通っていた僕にとって、塾のある日の急な呼び出しは困った。
それが理由で成績が下がったとなれば、縁人を呆れさせてしまうだろう。お爺ちゃんや父さんにバレたら、厄介な事になるかも知れない。だから時間がある日は、ひたすら勉強をした。
とは言っても、会うのは月に一回。多くても二回。学校と家と塾を行き来しつつ、成績を下げない為の勉強。それでも半年も経てば、ルーティン化しつつあった。
セックスもそう。最初の頃はただ痛くて苦しかった。だけどその苦痛も、気付けば嘘の様に快楽へと変化していた。それもきっと慣れなんだろう。
そんなある日の呼び出しは、それまでとは少し違っていた。
いつもと同じ様に、朝にLINEが届いた。時間とホテル名と部屋番号が書かれたLINEだ。だけど、出掛ける前にもLINEが届いた。そこには、朝のLINEとは違う、時間とホテル名と部屋番号が書いてあった。
(何かあったのかな?)
何となくそう思ったが、時間やホテルの変更だけなら、特に気にする必要もないと思った。実際そういう変更は、それまでにも数回あったから。
一回だけ『今日の約束は中止』と告げるLINEが、出掛ける直前に届いた事があった。
優しくなくても素っ気なくても、僕にとっては"縁人に会えない事"が、何よりも一番辛かった。だから"中止"ではなく、ただの"変更"なら、気分が滅入る事もない。
(そう……会えなくなった訳じゃない)
少し早目に家を出てホテルに行った。すると、この頃にはすっかり顔馴染みと化した男性が、ロビーで僕を出迎えた。
その男性の名前はシン。僕達より歳上なのは、見ればすぐに解る。だけど、縁人の部下だという事までは、縁人から聴かされるまで解らなかった。
(そもそも部下って何だろう?)
僕は学校が終わった後や休みの日に、縁人が何をして過ごしているのか知らなかった。敢えて訊いた事もなかったが、縁人に訊いたところで、答えてくれるかは解らない。
(危ない事してなきゃいいんだけど)
縁人と約束をした日は、必ずこのシンさんが僕を出迎えて、部屋の中へと促す。そして、僕と入れ替わる様に部屋から出て行った。
でもこの日は、ロビーまで降りて来ていた。周りを見渡した後、僕を縁人の所まで案内してくれた。部屋のドアを開けると、僕に「中でボスが待ってます」と言った。
シンさんは中には入らず、僕が「ありがとうございます」と言って中に入ると、そのままドアを閉めた。
中に入ると、縁人は上半身裸でベッドに横たわっていた。目を閉じているのに、僕の方に腕を差し出して手招きした。その腕には包帯が巻かれていた。
僕は慌てて縁人の近くに行って驚いた。腕だけではなかった。布団で隠れて、見えていなかった片方の頬の所に、ガーゼが貼ってあり、他の所にも絆創膏が貼ってあったり、痣が出来ていた。
「どうしたの?病院に行かなくて平気なの?」
「病院に行く程やない。シンが大袈裟にしただけや」
その割りに話す声には、あまり力がない。僕は(疲れてるのかな……もしかして、何処か痛むんじゃ……)と心配になった。だけど、縁人が"大丈夫"と言うなら、僕が言える事は何もない。
「でも怪我してるし、疲れてるみたいだから休んだ方がいいよ。僕は帰るから」
「ん……こっち来い」
そう言いながら、縁人が手招きをしている。言われるまま更に近くに寄ると腕を引っ張られ、その反動で縁人の方へと倒れ込んだ。縁人は特に気に留める事もなく、そのまま僕を抱き締めた。
僕は(え、えっと……何……)と、心臓がいつも以上にバクバクして、頭の中が軽いパニックに陥った。怪我は大丈夫なのかと心配だったけど、僕はただ黙って、縁人にされるがままになるしかなかった。
(いや、でも……えっと……どうしたらいいんだろう……)と、頭の中のパニックは治まらなかった。すると、聴き取れるか取れないかくらいの、小さな寝息が聴こえてきた。
(えぇっ?!ね、寝てる?)
僕の家に遊びに来て、ベッドの上で眠そうにしていても、目を閉じていても、決して寝る事のなかった縁人が寝ている。しかも僕を抱き締めたまま。
(やっぱり疲れてるんじゃ……?)と、そっと縁人の顔を覗き込んだ。
よく見ると、閉じた目の下には薄らと隈が出来ていた。中学生の頃に縁人本人から、眠りが浅くショートスリーパーなのだと聴いていた。でもそれが習慣になっているのか、隈が出来ている事はなかった。
そういえば最近、一週間くらい学校で見掛けていない事を思い出した。クラスが違うから見掛けていないだけで、休んでるのかどうかまでは解らないけど。
(この隈と怪我……何か関係あるのかな?)
ふとした疑問ではあったが、縁人が部下と言ったシンさんの事も、訊いた所で何も話してはくれないだろう。
(話してくれなくてもいいけど、心配するくらいは許して貰えるかな。それにしても……縁人の腕の中、暖かくて気持ちいい……)
この関係が始まる前にも後にも、こんな風に抱き締めて貰った事はなかった。
でも僕は(勘違いしたらダメ。僕だからこうしてる訳じゃない)と、うっかり泣きそうになるのを堪えて、違う事を考えようとした。
それでも頭に浮かぶのは縁人の事ばかりで、僕は(縁人が起きません様に……)と祈りながら、静かに縁人の腕の中から抜け出した。
起こさない様に抜け出せたものの、今度は勝手に帰ってもいいのか解らなくなった。勝手に帰った所で、縁人は何も言わないだろう。でも僕は"縁人を一人にしたらダメなんじゃないか"という、違う意味で勝手な解釈をした。
幸いな事に明日は土曜日で学校は休みだから、縁人が起きるまで居る事も出来る。
勿論、怪我の事も心配だった。だけどそれ以上に、強くそう思ったのだ。それが何故なのかは解らない。単なる言い訳であり、単にこじつけてるだけの気がしなくもないけれど。
持って来ていた問題集を鞄から取り出して、ベッドの端に座って問題を解き始めた。暫くは問題集に集中出来ていた。けれど時間が経つと、やっぱり気になってしまって、問題集を解きながらも、頭の中では縁人の事を考え始めてしまった。
最近の縁人……今日の縁人……と、その時々の縁人を思い出していた。そしてまた、縁人に対して疑問を感じた。前に一回ドタキャンされた事を思い出したからだ。
前みたいにキャンセルした所で、僕が怒る訳でもない。なのに何故、怪我をしている上に疲れている状態で、時間と場所を変更してまで呼び出したのだろう。
(縁人の思考なんて解らない。解らないから知りたい……けど、それはきっと……)
「そこ間違えとんで」
「えっ、あ……」
「そん下の、問AとCの答えもスペル違うとる」
「ぅわ、ホントだ……何でこんな凡ミスばっかり……」
急に縁人の声が聴こえたと思ったら、僕の肩越しに問題集を指差しながら、間違えを指摘した。
僕は凡ミスを連発した事と、よりによって縁人に指摘された事が恥ずかしくなった。その所為で、一瞬で顔が熱くなったのが自分でも解った。
「英語でお前がミスんの珍しいなぁ。得意やろ?」
「得意だよ。なのにあぁ……なんでこんなミスしてんだろ。僕って本当に馬鹿」
「ふはっ……」
僕が自分に対して文句を言いながら、ミスした所を直してると、縁人がおかしそうに笑った。
「そんなに笑わなくてもいいでしょう」
「すまん……ふはっ……おもろくて……」
僕の文句に縁人は笑いながら言ったが、それでも笑いは止まらない。流石にちょっとムッとして「いつも思うけど、縁人の笑いのツボが解らない」と、僕は問題集に視線を落とした。
縁人が笑っている。怪我をしていて疲れているのに。だけど、そんな縁人の笑顔を見て少し安心した。僕は(久し振りに縁人の笑った顔見た)と、つい呑気な事を思った。
「どんくらい寝とった?」
「えっと、今が23時半だから……二時間は寝てないかな?」
「呼んどいて悪い事したな」
「気にしないで。それよりもう少し寝た方がいいよ。僕はもう帰るからね」
そう言って僕は、問題集とシャーペンを持って立ち上がろうとした。その瞬間、再び腕を掴まれて引っ張られた。またしても縁人の唐突な行動。
でもそれに驚いた僕は、持っていた問題集とシャーペンを、勢い良く空中に手放してしまった。目を閉じる前に見えたのは、部屋の中を飛んで行く問題集とシャーペン。その動きがスローモーションの様に見えた。
そして反射的に"危ない"と思うのは、生物の本能だと身を持って実感した。
「もう、危ないじゃない」
「下はフカフカの、柔らかいベッドやで」
「そういう事じゃないでしょう」
文句を言いながら目を開けると、悪戯っ子みたいな顔をした縁人が、僕を見てニヤニヤしていた。
縁人の顔のガーゼが、やけに痛々しく見える。僕は触れるか触れないか、ギリギリの所まで手を差し出して訊いた。
「……痛くないの?」
「大した事ない言うとるやろ」
そう言って今度は僕の手を掴むと、僕の指を自分の口に入れて舐め始めた。身体がビクッとして、手を引っ込めようとしたけれど、しっかり掴まれた手は引っ込められなかった。
「な、何……」と訊くと、僕の目をジーっと見たまま、無言で指を舐め続ける。
恥ずかしいのに目が逸らせなくて、指先からゾクゾクした痺れと、火照りが全身に伝わる。縁人の口の中で僕の指が、舐められたり吸われたりしている。
ただ指を弄ばれてるだけなのに、物凄く卑猥な気がした。そう思ってしまった所為か勃ってしまった。僕は余計に恥ずかしくなって、縁人に見られない様にセーターの裾で隠した。
「もっ、は、離して……」
「服……全部脱げ」
「えっ……」
指を弄ばれてるだけ……たったそれだけの行為で、勃たせてしまうなんて、セックス好きの淫乱みたいで嫌だった。だから、見られたくなくて隠した。だから脱ぎたくなかった。
(でも、僕に拒否権はない……)そう思うと脱ぐしかない。僕はおとなしく服を脱ぎ始めた。
服を脱いでいる間も、縁人の視線を感じた。さり気なく縁人を見ると、視線が合ってしまった。
(なんでそんなに見るの……恥ずかしい……)
いつもは気付かないうちに、縁人に勝手に脱がせれているか、下だけを脱がされていた。思い返せば、僕から脱いだのは初めてだった。
「おい、全部言うたやろ」
「でも……」
最後の一枚であるパンツを脱ぐ事を躊躇ってしまった。すると縁人が「勃っとるんが恥ずかしいんか?」と、気付いて欲しくなかった事をアッサリと言った。
無言で頷いた僕に「何回言えば解るんや?」と、目の色は変えずに、声音だけを変えて言った。
僕は覚悟を決めて全裸になった。すると今度は縁人がジーンズを脱ぎ出して、僕の上に跨った。
「いつ見ても綺麗な身体やな」
「縁人だって……」と言って、続く言葉を飲み込んだ。
初めてまじまじと見た縁人の大きな身体には、傷痕が幾つもあった。古い痕から割りと新しい痕もあり、縫った痕すらあった。
いつもはもう少し部屋の照明は暗いし、そもそも縁人は、全裸にならないから気付かなかった。それに毎回……身体が慣れてからも、必死だった僕にそんな余裕はなかったから。
「ん……」
縁人にペニスを触られて、ビクッとすると同時に声が漏れてしまった。僕はこのまま最後までヤるんだと思った。なのにお互いのペニスを擦り合わせて、射精して終わり。
(別にシなくてもいいんだけど……今日の縁人なんか変……)
本当にこの日の縁人は何処か変で、いつもの縁人らしくなかった。終わった後も、僕を抱いたまま眠ってしまった。
まぁ、疲れていたのは僕も同じで、気付いたら一緒になって眠ってしまったのだけど。
目が覚めた時には、縁人の姿はもうなかった。その代わりの様に、スマホの下にメモが挟まっていた。メモには『昨日はすまんかった』とだけ、縁人の字で書かれていた。
(何に対しての"すまん"なんだろう……)
友達という関係だった時より今の方が、縁人の事が解らない。
今までだって縁人の考えは、縁人にしか解らない。常にそういうスタンスを貫いていたから、僕には解る筈もないけれど。それでも、何となく解る事もあったし、察する事も出来た。
確かに、恋人の様な甘い雰囲気でもなかった。だけど、こんな関係になる前の"友達だった"頃の様に、問題集のミスを指摘してくれた。本当に、ごく自然に……ごく普通に会話を交わして、笑ってくれた。
(あんな約束をさせておきながらどうして……?なんで優しくしたの?この先何があっても、何をされても、僕は……)
僕はメモを握り締めて、疲れ果てるまで泣いた。
「何ボーっとしとんのや。眠いんけ?」
「僕、死ぬのかな?」
「はぁ?急に何を言い出すんや。こん前の健診で、何も異常なかったやろが。熱でも出たか?」
「熱か……熱はないと思うけど……」
自分の気持ちを自覚してから、僕はずっと熱に浮かされてる。もしかしたら、遠く幼い日のあの日からずっと、そうだったのかも知れない。
『どんなに酷くしてもいい。特別じゃなくてもいい。身体だけの繋がりでいいから抱いて欲しい』
この言葉で始まった関係が、まさか十年以上も続くとは思っていなかった。
確かに最初の頃は"それでもいい"という、覚悟にも似た気持ちはあった。例えそれが仮初の関係で、束の間であったとしても、一緒に居られるだけで良かった。縁人の傍に……近くに居られるなら、セフレでも何でも良かった。
なのにその覚悟も、少しづつ……日に日に不安へと変わった。ダメだと解っていながら、裏のルートを使って薬を手に入れた。依存性や副作用の強い、危険性の高い薬に手を出した。
死にたいと思った訳じゃない。でも死んでもいいと思ったのは本心だった。
疲れていたんだと思う。そう思ってしまうくらいには……。
「熱はなさそうやな。けど、そろそろ時間やし寝るか」
「もう、そんな時間?」
縁人の言葉で、僕は書斎の壁に掛かっている時計を見た。時計の針は、日付を少し過ぎた所を指していた。
「ええ子は寝る時間やろ?」
「でも、縁人はまだ仕事あるんじゃないの?」
僕を寝付かせ様とする縁人に、そう訊くと「あんで。子供を寝かせる仕事がな」と、笑いながら言った。
縁人と一緒に暮らす様になってから、僕は決められた時間に寝る様になった。たまに遅くなるけれど。そして何故か縁人も、同じくらいの時間に一緒に寝る様になった。
(僕は落ち着くから、一緒に寝れるのは嬉しいけど……仕事や配信は良いのかな?)
僕のそれは杞憂だった。縁人は、仕事が残っている時は僕を寝付かせてから、寝室で再び仕事を再開させている様だった。まぁ、配信は別室でやってるみたいだけど。
とはいえ……一度寝てしまうと、なかなか起きない僕だから断言は出来ないけど。
「ほら行くで」
そう言って縁人は僕の手を取ると、書斎を後にして廊下を挟んだ、斜め前の寝室へ入った。
僕がベッドに潜り込むと、縁人は点けたばかりの照明を暗めにした。そして、ベッドに入ってくると「さっきのは何やったんや?」と訊いてきた。
「さっきのって?」
「ボーっとしとったやろ。何か変な事でも考えてたんとちゃうか?」
「単にこう……過去の事が、走馬灯みたいに駆け抜けて行っただけ。でも割りと断片的だったから、走馬灯とは違うかも」
「死ぬ訳ちゃうんやから、走馬灯な訳ないやろ」
縁人の言う通りで、僕は死ぬ間際でも何でもない。仕事をしている縁人の後ろ姿を見ているうちに、過去の事を思い出していただけだ。
でもそれが"走馬灯の様"だと感じたから、そう言い表した。まぁ、その前に『死ぬのかな』等と口走っているのだから、聴いていた相手が縁人じゃなくても、変な誤解を招いていただろう。
「あんま余計な事、考えんなや」
「あ、縁人が考えてる様な事は考えてないよ」
「俺の考えとお事が解るんか」
「全く解らないけどね」
縁人が可笑しそうに言うから、釣られて僕も可笑しくなった。
「おやすみなさい」
「おん、おやすみ」
ほんの数ヶ月前までは、縁人とこうしてまた昔の様に笑い合える日が来るとは思ってもいなかった。こんな風に抱き合って眠る日が来る事なんて、想像すらしなかった。好きな人と一緒に過ごす毎日が、こんなにも幸せで満たされるものだと知らなかった。
だからこそ、ふとした瞬間に不安になる。縁人は「考えるな」と言ったけど、それはきっと無理だろう。僕は未だに告白をさせて貰えず、縁人は未だに僕の名前を呼ばない。遠いあの日の約束は未だに続いている。
(それでもいい……)
この幸せな日々が、少しでも長く続きます様にと…… 願わずにはいられない。
(叶うならこのままずっと……死ぬまで縁人に囚われていたい)
──生まれて初めて恋をした。甘美で残酷な美しい華に恋をした。綺麗な華には棘があるという。綺麗な華の棘には毒があるという。棘が刺さった心臓から、毒は僕の体内を駆け巡った。そしていつしか、華から伸びる茨に絡み付いていて、僕はもう身動きも取れなくなった。決して枯れる事なく咲き続けるその華に、僕は魅せられて惹き寄せられて囚われた──
【終】
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