夢幻の友人

1/8
前へ
/8ページ
次へ
 正体不明の少女との文通が始まったのは高校三年の五月のことだった。  クラス替えがあった。  生徒の文理選択をもとに、仕分け作業でも行われるみたいに理系のクラスと文系のクラスに分けられ、クラスメイトは真新しい顔ぶれに移り変わっていった。  きっとどこかでは、恋人や友人と別のクラスになったことを嘆いている人もいるのだろう。  けれども、僕はそんな嘆きとは無縁の新学期を迎えた。もとより、親しい友人は一人もいなかったし、ましてや恋人なんてできる気配もなかった。  種の植えていない花壇を見ていたところで、なんの面白味もない。芽吹く気配のない青春を待っているよりかは、既に完成されている花束を眺める方が幾分かマシだった。  この場合、花束は架空の物語を指した。  喉の渇きを潤すように、僕は孤独から目を背けるために学校生活のあらゆる時間を必要な限り図書館で過ごした。図書館という場所はとても良い場所だった。この世界におけるやかましい事柄は全て淘汰され、生存戦争を勝ち抜いた静寂だけがその空間に残り続ける。静寂こそがこの世界のあるべき姿だと、その場所は僕に教えてくれる。  約二年間で僕がどれだけの本を読んだのかはよく覚えていない。特に数えているということもなかったし、図書室の貸し出しカードは作成したのはつい最近だ。「図書室で本を読む」という行為に重要性があり、本にそのものに特別興味があったわけではない僕は、本を借りて家に持ち帰るということがあまりなかった。だからほんの先月くらいまで、貸し出しカードは自分には必要のない代物だった。  けれども、先月の頭、ちょうどゴールデンウイークが終わってすぐのこと、とても気に入った小説を見つけた。三部に渡る長編小説で、いつもはそんな長く続いている物語なんて読まないのに、どうしても作品のタイトルが気になってその小説を手に取った。思えば、その時点で僕がその小説を気に入ることは決定されていたのかもしれない。タイトルの言葉遣いと滲み出るセンスが気に入ったのなら、その作者の小説内における文体や世界観を気に入る可能性は極めて高いと言えるだろう。  その影響で、僕は初めて一冊の本をカウンターまで持っていき、貸し出しの手続きを行った。 「この本、借りたいんですけど」と僕がカウンターの奥にいた図書委員と思わしき女の子に告げる。彼女は読んでいた本を机の上に置きこちらを見た。そして、押し殺そうとはしていたものの、微かに驚いたような顔をした。  彼女は図書委員で、このカウンターによく座っている。もしかしたら、いつも図書室にいるくせに、本を一冊も借りたことがない僕が本を借りたいと言ったことに驚いたのかもしれない。 「はい。わかりました」と少しばかり愛想の欠いた冷たい声で女の子は言った。声色は乾いていたが、メガネの奥の瞳は瑞々しく艶を持ち、こちらをじっと眺めていた。  僕は渡された貸し出しカードに自分の名前と借りたい本の名前を書き、それを女の子に返した。彼女は黙ってそれを受け取ると、朱肉の上にハンコを落としたっぷりと付けたインクをカードに隅に押した。 「返却は一週間後までにお願いします」  もちろんわかっているよ、という意味を含め、僕は「はい」と短く端的に答えた。  借りた本を手に、僕は図書館を後にした。  そのあとすぐに予鈴がなり、昼休みは終わった。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加