夢幻の友人

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「初めまして、城野さん。  あなたが私と似たような感想を持っていたことを光栄に思います。私もこの小説の結末が好きです。私は凍えるような冬の日、停留所でなかなかやってこないバスを待っている間に、かじかんだ手で握った誰かの掌を想像しました。しかし、確かに「地獄に咲いた一凛の花」というのは美しい表現だと思います。とても気に入りました。  普段から小説は読まれるのでしょうか? 先の手紙のおかげで、私はあなたのことにも少し……いえ、自分から手紙を送っておいて少しという表現をするのはフェアではありませんね。私はあなたにかなりの興味を持っています。できれば、あなたのことをもっと知りたいです」  その手紙には、最初の手紙と同じように可愛らしい字でそう書かれていた。  返事があったことには昼休みに本棚に戻されていた小説を開いたときには気が付いていた。しかし、僕はそれをその場でも読まずに昼休みに小説をもう一度借り、それと一緒に家まで持って帰った。何となく誰にも見られたくなくて、僕はそれを自分の聖域である自宅の自室でじっくり読むことにした。自意識過剰もいいところだ。きっと、誰も僕のことなんて見ていないのに。  やっぱり、この手紙の送り主は女性だったのか、と僕は納得した。「私」という一人称を使う丁寧な男性でない限り、手紙の送り主は女性で間違いがない。可愛らしい字だったから、なんとなく予想はしていた。  そして、きっとこの送り主はこの学校に通う学生の誰かであると思う。先生の可能性もないわけではないが、先生は学生が利用する図書室にこんな手紙を残そうとは思わないだろう。それに外部の人間という線も薄い。この文通は外部からわざわざこの学校の図書室に忍び込むというリスクを背負って行うほど価値があるとはとても思えない。  しかし、この手紙から推定できることは彼女が女性でこの学校の学生であるということだけだ。  フェアではない、か。相手は僕の苗字を知っているというのに、その相手は自分の名前を明かさないことの方が、僕にはよっぽどフェアではないように思える。  しかし、「凍えるような冬の日、停留所でなかなかやってこないバスを待っている間にかじかんだ手で握った誰かの掌」という表現はなかなか耳あたりがいい。誰かが何度か使っていそうな僕の言葉よりも、よほどよい表現に思える。  僕はその言葉のおかげで、あるいはそのせいで、この送り主に返事をすることを決めていた。  それからしばらく、正体不明の少女との文通は続いた。
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