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校庭の樹木から葉が落ち、枯れ葉すら風に攫われて消えた頃、僕はまだ正体不明の少女と文通を続けていた。彼女との文通が続いた時間はもうすぐで半年になる。我ながらよくここまで名前も顔も知らない人間との関係が続いたものだと感心する。
けれども、彼女から言わせれば、そうだったからこそ、僕と彼女の関係は長く続いたということになるのだろう。
もう少しで雪が降るな、と教室の窓の外を眺めながら思う。先月の席替えで窓際の席を引き当ててからというもの、どうしても授業に退屈を覚えてしまうと視線を窓の外へと逃がしてしまう。
いけない、授業に集中しなければと思ったあたりで、教卓に座っていた先生が腕時計を見てから「やめ」と短く言った。僕は慌てて握っていた鉛筆で解答用紙を擦った。ここはひとつ、勘にかけてみるしかないらしい。
机の上には解きかけの共通試験の予想問題が乗っていた。教科は国語。マークしていない箇所は数ヶ所あった。しかしながら、これはきっといくら考えてわからない問題だ。どうも現代文というのはただ小説を読むのとは勝手が違う。
おそらく、この答案用紙は次回の授業で採点されて返ってくるであろう。そのとき隅に三桁の点数が書かれていることを願って、僕は解答用紙を前の席の人に渡した。
ともあれ、これで午前中の授業は終わった。僕は迷いなく席を立ち、すぐに図書室へ足を運んだ。
「どうも、現代文というのは性に合いません。答えは全て本文に書かれている、と葛西先生はよく言っていますが、それがいくら探しても見つかりません。もしかしたら、行間を読みすぎて変な想像を膨らませてしまっているのがよくないのでしょうか」
本棚から例の三部作の最後の一冊を開くと、そこには一枚の紙が挟まれている。もちろん、それは少女からの手紙だ。文通が始まったあの日から、この小説は僕たちの手紙を預けるための郵便ポストとしての役割を担うようになっていた。昼休みになると、本棚からその本を手に取る。そして、中に入っている手紙を取り出し家に持ち帰ると、返事を書いてそれを次の日の昼休みにその本の中に挟む。返事を確認するのは三日後の昼休みだ。そうやって今まで、彼女との文通は数日に一回の楽しみとして僕の学校生活を大いに潤してくれた。
その日の少女からの文通には、一部に前述した内容の文章が書かれていた。
「まったく同意見です。どうやら、本を読む習慣というのは、案外共通試験には役に立たないことのようです」
僕は肯定の旨を伝える言葉を手紙に書き止め、それからもしばらく手紙の内容を考えていた。
文通の内容は当初から比べて、当たり障りのないことを伝え合うだけの質素なものになり始めた。しかし、それも別に面白みに欠けるというわけでもない。むしろ、当たり障りのないことであるからこそ、僕と少女はお互い何か気共通の部分が欠落している、という点で似たもの同士であったことに気が付かされた。
この現代文に対する感想がよい例だ。
けれども一つ、面白くないことがある。
それは彼女が、自分に関する素性を一切明かさないことだった。彼女との文通が続いて半年になるが、僕はまだ彼女が女の子で、自分と同学年であるということしか知らない。
僕はどうしても、彼女の正体が気になって仕方がなかった。
「あなたにお会いしてみたい」
痺れを切らした僕は一度、文通にそんな願いを乗せて本に挟んだことがある。
良い返答をされなかったという話は、僕の名誉のためにも秘密にしておきたかった。
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