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 箕島はそれを固唾を飲んで見守っていた。箕島は桝野の過去を調べた。今では何故飯田の話を簡単に信じてしまったのか分かる気がしていた。  桝野の母親は専業主婦だった。学校から帰って母親がいることは箕島には羨ましく思えた。いつも身綺麗にしていて、料理も美味しくて家はいつもピカピカだった。だが内情は見かけほど美しくなかった。夫からのDVやモラハラの数々。それでも彼女は夫を愛していた。だが桝野が大学で家を出ると、若い愛人と一緒になると言い離婚を言い渡した。そして家から追い出すと、その家すらあっさり売り払った。桝野の母はほんの少しの慰謝料を持って、息子のところに身を寄せるしかなかった。気苦労が重なっていたのと知らない土地で心許せる友人もいなかったのも重なって。彼女はアルコールに逃げた。そして気がついた頃には身体も心も壊れてしまっていた。そして運の悪いことに若年性アルツハイマーを発症した。  桝野は母が人知れず泣いてる姿をずっと見てきたのかもしれない。桝野は母親を助けることができずに、ずっと後悔していたのだろう。傷ついて目の前で涙する飯田と母親の姿を重ねてしまったのかもしれない。 「──お前さんが飯田のことを思ってるなら全部喋っちまうことだ。いま奴にできる最大のことはそれしかない。もっともお前さんが騙されたことに腹が立って話さねえっていうなら、それでも構わねえよ。困るのは奴だ」  滝本がそう静かに言うと、桝野の顔はぐしゃぐしゃに歪んでいった。やっと滝本の言ってることが真実だと悟ったのだ。 「そんな……バカな。だって腕にアイロンをあてられたって火傷の痕を見せられて……」 「奴は迷いなく自分の指すら潰せる女だ。火傷の痕も自分でやったと言ってる」  そんな。桝野は力なく項垂れた。声も肩も震えていた。泣いているのかもしれない。箕島は拳を強く握りしめるしかなかった。 「──私は騙されて人を刺したってことですか」そう言って顔を上げた桝野は笑っていた。「とんだ馬鹿野郎ですね」 「ああそうだな」滝本はあっさりそう返した。桝野の乾いた笑いだけが響き渡った。 「お前さんはここにくる前、家庭の事情で勉強が遅れていた子どもに勉強を教えてたことがあったな。宮坂伊織って子は覚えてるか?」  桝野の笑い声がやんだ。  宮坂伊織とは箕島が桝野の母親が通っていた病院に聞き込みに行った時に偶然出会った。 「その子に会った。その後どうなったか知ってるか? 奨学金をもらって進学して、今では看護士として立派にやってるぞ。勉強ができるようになって今の自分があるのは、桝野先生が色々相談にのってくれたおかげだとよ。なあ、桝野。お前のやるべきことはヤクザを刺すことか? 違うだろ?」  桝野は滝本の顔を凝視したままだった。その瞳からは大粒の涙が零れた。そしてそのまま机の上に顔を伏せて声を上げて泣き始めた。そして嗚咽とともに飯田に頼まれたと小さく呟いた。
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