傭兵セルリアと引きこもりジェードの出会い

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 そして交代時間の深夜になり、地下牢にベルが鳴り響いた。セルリアはジェードに目配せをすると、ゆっくりと階段を上った。  扉を開けると、そこには交代の兵士がピシリと背筋を伸ばして立っていた。 「お疲れ様です。交代の時間です」 「はーい。ありがとうございます」  兵士はセルリアから地下牢に続く小屋の扉の鍵を預かり、中に入ろうとした瞬間——セルリアは素早く背後に回ると、剣鞘に納められたままの小型ナイフを鎧のすき間から首を強く突いた。 「がっ……!?」  背後から首を突かれた兵士は、濁った声を漏らしてその場に倒れた。セルリアは倒れた兵士が気絶している事を確認すると、腰のベルトに付けられていた地下牢の鍵を奪った。  交代したはずのセルリアが戻って来ないと、屋敷にいる者は不審に思うはずなので、地下牢の鍵を開けてジェードと脱出するまで数分程しか時間が無い。急がなければと、セルリアは早足で階段を駆け下りた。  ジェードは牢の前でセルリアを待っていた。 「あ……!」 「鍵は奪った! 後はこれで……」  鍵が開くはず、と地下牢の鍵穴に差し込もうとする。しかし―― 「開かない……!?」  鍵穴が合わない。しかし、兵士が持っていたのはこの鍵だけだった。あの兵士がこの地下牢の鍵を持っているはずだから、間違いないというのに―― 「どうしたんですか……!?」 「鍵が開かないの……!! これで開くはずなのに……!!」 「え……!?」  事の重大さを理解したジェードから焦燥の声が漏れる。ここが開かなければ、ジェードを助け出す事が出来ない。 「どうして開かないの……!?」 「本物の鍵はここにあるからだ」  背後から聞こえて来た冷淡な声に、セルリアとジェードの動きが止まった。コツコツとゆっくりと階段から下りて来たのは、癖のある長い銀髪を靡かせた褐色肌の男。 「ビアン……さん!!」  魔王と繋がりのある疑いのある一人——ビアンだ。手にはセルリアが奪ったと思っていた地下牢の鍵。少し遅れて、複数の兵士も下りてきて武器を構えてセルリアを取り囲む。  セルリアは剣を抜くと、ジェードに背を向けて構えた。 「兵からお前が龍と食事をしていると報告があったが、まさか逃げようとしていたとは。お前の役目はそこの龍の監視のはず。何故、一緒に逃げようとしているのか」 「あたしは、ジェードを救うって決めたの!! 邪魔をするなら……!!」  剣のグリップを持つ手に力を込める。ビアンが連れて来た兵は十人程。セルリアは何度も死線を潜り抜けて来た。何人もの敵に囲まれた事だってある。 (今回だって、切り抜けられる!)  セルリアは剣を構えたまま兵士達に突っ込んだ。 「やめて!! 」  ジェードの悲痛な声がセルリアの身体を止めようとしたが、それを振り払って剣を振るう。兵士達はセルリアの気迫に押されて動き出すのが遅れ、三人程何も出来ずにセルリアの剣に斬られた。  間髪入れず、セルリアは動揺の広がる兵士の輪を乱す。一人、二人、と寸分狂いなく斬っていく。  兵士達を斬るセルリアに、いつもの明るい表情は何処にも無い。瞳は獲物を狙うかの如く鋭い。 セルリアは女なので、男よりも腕力が弱いが、それを補う為に人の急所や武器の弱点を熟知している。  剣を振り下ろした兵士の死角に入り、鎧に守られていない箇所を狙う。後ろから襲い掛かる兵の攻撃を避け、剣のグリップの先で兵士の手の甲を叩き、武器を落とさせる。その隙をついて、セルリアの剣は動く。 セルリアの鮮やかな剣技は、ジェードも見惚れる程だったようだ。声を上げる事もせず、ただ見入っている。  最後の一人が地面に伏した後、セルリアは剣の先をビアンに向けた。 「あんたを倒せば、ジェードを連れて行ける」  兵が全員倒れているのを一瞥してから、ビアンは剣を抜いた。 「……優秀な傭兵を寄越したというのは本当のようだ」  十人と剣を交えたというのに、セルリアは汗をかくどころか、息を乱してもいなかった。リアトリス傭兵団を背負ってここへ来ているのだ。これくらいの兵を退けられなければやっていられない。 「だが、私には勝てない」 「そんなのやってみないと分からないよ」  セルリアは剣を構え直すと、ビアンとの距離を一気に詰め、剣を振るった。剣戟の声が地下牢に響く。  ビアンは涼しい顔でセルリアの剣技を自身の剣で防いでいる。ビアンに全く隙が無い。セルリアは自分の長所であるスピードで相手の隙を見つける戦法をよく使うが、ビアンには通用していない。  だが、得意な戦法を見切られる事など想定している。男が相手だと力で負けてしまう可能性が高いので、セルリアはそれを補う戦い方をいくつも持っていた。  セルリアは騎士ではないので、騎士のように誰かに忠誠を誓っていない。それなので、正攻法の戦い方はしない。  セルリアは一旦ビアンから距離を取ると、また真正面から剣を振るうフリをする。ビアンが剣で受け止めようと構えた時——セルリアは身を屈め、自分の足でビアンの足首を狙う。体勢を崩したところを剣で――と思ったが。 「小賢しい真似は通用しない」  ビアンは一歩身を引いてセルリアの足蹴を避け、逆にそれが隙となってしまったセルリアの首筋に剣身を添わせた。 「……くっ!!」  少しでも動けば、ビアンの剣はセルリアの首筋を躊躇なく斬るだろう。セルリアは持っていたグリップから手を離し、降参の意を見せた。  一目見た時から彼の強さは分かっていた。——相対したら、負ける事も。しかし、セルリアはジェードの事を救いたかったから、無謀な賭けに出た。 「傭兵風情が、私に勝てると思ったか?」 「まあ、少しくらいは夢見たかな」 「王の反逆罪で、即刻処刑する」 「——セルリアさんっ!」  ジェードの悲痛な声が地下牢に響く。死が首筋に寄り添っているというのに、その声でセルリアは笑みを零した。 「アハハ、ようやくあたしの名前を呼んでくれたね」 「何か言い遺した事は?」  ビアンに問われ、セルリアの脳裏に浮かんだのは、たった一人の家族である弟。だが、現在の心残りと言えば、囚われた龍の男。彼は会ったばかりの自分が殺されそうになって、必死に名を呼んでくれる。ジェードをこの窮屈な牢から出してあげたかった。 「ジェード……約束守れなくて、ごめんね」  死を覚悟したセルリアは、そっと瞼を閉じた。首筋にあった刃が、高く振り上げられたのが分かった。 「やめろ……やめろやめろやめろ!!」  背後からガンガンと檻を強く殴る音が何度も聞こえる。ジェードが必死に檻を殴っているのだろう。自分の為にそこまで行動してくれた事が、セルリアは嬉しかった。  ガキン、と何かが壊れる音が響いた。 「セルリアさんを……離せーーー!!」  ジェードがそう叫んだと同時に――轟音と突風が地下牢を襲った。背後で金属が地面にいくつも落ちる音が聞こえる。セルリアは突風に足を取られそうになったが、背後から誰かに支えられて転ばずに済んだ。  背後で支えてくれたのは、勿論ビアンではない。セルリアが目を開けると、少し距離を取ったビアンが目を見開き、驚いた様子でセルリアの背後に視線を送っていた。  セルリアは恐る恐る振り返る。そこにいたのは―― 「ジェード……?」  深緑色の髪や、長い前髪の奥でたまに見えていた赤い瞳は間違いなくジェードのもの。牢の隅で座っていた彼だ。しかし、背後にいる彼は、明らかに様相が変わっていた。  前髪は、額から伸びた二本の角により押し上げられ、顔が露わになっている。幼く見えていた顔立ちは険しくなっており、右頬から額まで、翡翠色に輝く鱗のようなものが生えている。  セルリアの腰を抱いている左腕は人間のものだったが、右手は右肘まで顔と同様の鱗に覆われ、黒く鋭い爪は少し触れただけで人の皮膚を傷つけそうだ。  その姿は、まるで龍。 「やはり……龍に変化出来るのだな」  ビアンの言葉に、セルリアは彼が龍の末裔だと言っていた事を思い出す。ジェードは龍に変化出来ない普通の人間だと言っていた。その時に嘘を吐いているようには見えなかった。まさか、今何かの拍子で龍化する事が出来たのか。  ジェードを捕らえていた牢は頑丈な檻だったというのに、人一人分の大きな穴が開いていた。人の力では到底出来ないものだ。  ジェードは、セルリアの前に立ち、ビアンと相対する。ビアンは最初驚きを見せていたが、すぐに表情を消し、ジェードに向けて剣を構える。 「死なない程度には斬り付けさせてもらう」 「ジェ、ジェード!」  得体の知れない存在になったジェードに声が届くか分からないが、それでも名前を呼ぶ。ビアンはセルリアでも太刀打ちできない手練れだ。龍に変化しているとはいえ、生身の部分もあるジェードがビアンに無策で立ち向かうのは危険だ。  すると、ジェードはセルリアの方を振り返った。表情は険しくなっているが、自我は保たれているようで、赤い瞳はしっかりとセルリアを見ていた。 「変な感じだけど大丈夫。……僕達の狙いは、あくまでも脱獄だ」  ジェードは地面に転がっている兵士達を一瞥してから、龍に変化した右手の親指と人差し指で輪を作り、それを口元に持っていく。 「飛ばされないように、僕を掴んでいて」 「う、うん……」  セルリアはジェードの腰に両手を回した。それからすぐに、ジェードは指で作った輪に向かって息を吹きかけた。するとその息は指の輪をくぐった瞬間に突風となり、檻の破片や床に転がった兵士達が壁に向かって飛ばされる。 ビアンは突風に飛ばされないよう、片膝を立てて耐えようとしたが、自分の方に飛んでくる兵士達を避けられず、共に壁に叩き付けられた。 「くっ……龍め……!」 「これで仕上げだ」  ジェードがもう一度息を吹きかけると、今度は炎が指の輪から吐き出された。ひんやりとしていたはずの地下牢の温度が上がる。炎は壁際に寄せられたビアン達を囲うように燃え上がる。 「す、すご……」 「行こう、セルリアさん!」 「うわっ」  炎を呆然と眺めていると、振り返ったジェードがセルリアをひょいと抱えて走り出した。セルリアはジェードの肩越しからビアンの方を見る。ビアンは炎の奥で、セルリア達を憤怒の表情で見つめていた。その表情にゾクリと背筋が凍る感覚を覚えた。  風を切るジェードは、地上までの階段を何段も飛ばして駆け上がり、閉ざされた小屋の扉を蹴って破壊し、外へ出た。  夜の冷たい風が二人の頬を撫でた。辺りは暗く、何処からかフクロウの声が聞こえる。屋敷の灯りは灯っていたが、まだ地下牢の騒ぎに気づいていないようだ。だが、今ジェードが扉を破壊した音で異変に気が付くはず。  セルリアは、ジェードに抱えられながら、事前に調べておいた脱出ルートの一つを的確に指示する。ジェードはセルリアの声に耳を傾け、砂利で敷き詰められた庭園を駆ける。ジェードの足は人間とは思えない程の速さで、セルリアが想定していた脱出時間を大幅に短縮させた。  兵が配置されている場所を避け、見張が手薄な場所の生け垣を飛び越え――二人は屋敷を脱出する事が出来た。  ジェードは止まる事なく、走り続ける。深夜なので、幸い誰かとすれ違う事は無かった。ジェードはセルリアを抱えたまま高く跳躍すると、屋根に着地し、飛ぶように走る。 街を出る頃には空が白み始めていた。その間、ジェードはセルリアを抱えたまま走り続けていた。 「ジェード! 少し休憩しよう?」 「……まだ、大丈夫です」  そう言うジェードは裸足のままだ。何処かで切ってしまったのか、足からは血が滴り落ち、地面に赤い跡を残していた。  走って、走って、走って。ジェードが足を止めたのは、小さな集落に辿り着いた時だった。ここも海岸沿いなので、集落は漁業を生業としているようで、港にはいくつもの漁船が見られた。  ジェードはそっとセルリアを下ろすと、フラリと身体を揺らし、そのまま地面に倒れてしまった。 「ジェード!?」 「はあっ、はあっ、はあっ……」  玉のような大粒の汗を流し、胸を大きく動かし呼吸をしているジェードにもう角や鱗は生えておらず、前髪で顔を隠したいつもの姿だ。 「ジェ、ジェード大丈夫……?」 「に、逃げられましたね……」  心配そうにジェードを見下ろすセルリアに、ジェードは息を乱しながら微笑んだ。 「ジェード、龍に変化出来たんだね!? ああ、でもそんな事より足を怪我しているから、何処かで手当てしないと……!」  セルリアは聞きたい事が山ほどあったが、ジェードの怪我も心配で頭が混乱していた。 「ああ……龍に変化出来ましたね……。何ででしょう。セルリアさんが殺されそうになった時、急に内側から力が溢れてきました。僕の想いに反応したのかもしれません」 「ジェードの……想い?」  呼吸が苦しいようで、ジェードは何回か深呼吸を続けると、話を続ける。 「僕の人生は、僕の為にあるものじゃない。村ではそう教わってきました。僕の命でないのなら、僕は死んでもいいと思っていたんです」  ずっと走っていたジェードの顔は赤らんでいたが、その赤みが更に増したように見えた。 「でも、貴女と出会って……貴女を助けたいと思ってしまった。——一緒に生きたいと思ってしまった。こんな気持ちは……初めてなんです」  地面に寝そべっていたジェードは、突然上半身を起こすと、セルリアの右手を両手で握った。汗で濡れた前髪は両目を隠せていなかった。赤色の瞳と浅緑色の瞳が交錯する。 「セルリアさん!! 僕と……結婚してください!!」 「えっ!?」  突然のプロポーズに、セルリアの思考は完全に止まった。  誰とも結婚する事は無いと思っていたセルリアは、魔王に献上されようとしていた龍の末裔のジェードに、人生初めてのプロポーズを受けたのだった。
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