鬼の手助け

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「ウミヘビ……?」 「東の国の海流に住むと言われている怪物ですね。船を転覆させる程の大きさがあると聞いていますが、決められたルートを辿れば遭遇する事はないはずです」  東の国に渡航するのが難しいのは、入国規制が厳しいのもあるが、ウミヘビという怪物が海流に潜んでいるのも理由の一つ。だが、ウミヘビは決められた航路を行けば遭遇する事はない。  実際、奴隷商船で東の国から渡ってきたジェードもウミヘビに遭遇はしなかった。 「今回乗せてもらう船はホンビアント家のものですから、航路を間違える事は無いと思います」  納得したセルリアと共に、ジェードは乗らせてもらう船員に挨拶をし、船内へと足を踏み入れた。  随分と立派な船だ。ジェードが乗って来た奴隷商船よりは小ぶりだが、清潔感が漂っている。キッチンも設置されている船内には、白いテーブルクロスが敷かれたテーブルが設置されている。奥には船員が寝泊まりする場所もあるという。東の国へ行くのには充分過ぎる広さだった。  船内には挨拶をした船員の他に数人いた。突然乗り込んで来たジェード達に不審な眼差しを送ってきたが、ヴェニットから話を聞いている船員が説明をしてくれた。 「それでは、ホンビアント様が治めるシャヨメまでご案内します。シャヨメに到着するまで、船旅をお楽しみください」  船長らしき壮年の男が客人をもてなすように、ジェード達をテーブルに案内してくれた。少し落ち着かなかったが、好意に甘える事にしてセルリアと共に席に着いた。  船員達も船長も人間に見えたが、ヴェニットと同じ鬼なのだろうか。 ヴェニット=ホンビアント。不思議な雰囲気を纏った少女だった。彼女とはきっとまた再会する――何故かそんな確信があった。  少しして、船は出港をした。陸がどんどんと離れていくのが丸い窓越しから見える。 「無事、出港出来たね」  窓の景色を見つめながら、セルリアがそう呟いた。 「はい。ヴェニットさんのお陰ですね」  ヴェニットのお陰で東の国に向かえるが、その後の居住など考えなければならない事が多い。リュウソウカに戻れば居住は確保出来るが――戻りたくない自分もいる。  それに、とジェードはセルリアを見つめる。村の歴史を重んじる祖父のカワセミが外の者であるセルリアを迎えるとはとても思えなかった。  ふと、セルリアと視線が交わる。 「ん、なあに? じっと見つめて」 「えっ、いや、その……何でもないです」  ジェードは視線を逸らして頬を赤らめる。勢いでプロポーズをしてしまう程セルリアの事が好きになっているジェードだが、女慣れはしていないのでつい照れてしまう。  それを知ってか知らずか、セルリアは身を乗り出してジェードの顔を覗き込んだ。 「えっと……今更ですが、セルリアさんは東の国に行って良いんですか? あちらには弟さんだって残っているでしょう……?」  照れ隠しで話題を逸らしたのだが、その問いにより、いつも明るいセルリアの表情に陰が落ちた。 「……あの子はあたしがいなくても大丈夫だよ」  触れてはいけない話題だったか、とジェードは何の気なしに尋ねてしまい後悔をした。セルリアはそう言っているが、身体の弱い弟が心配に違いない。  下手したら、もう二度と弟に会えないかもしれない。セルリアの平穏な暮らしを奪ってしまった、と改めて感じた。 「すみません……」  どんなに謝っても、セルリアの日常は戻って来ない。ずっと傭兵として生きて来た彼女の未来を、会ったばかりの自分が壊してしまった。憎まれてもおかしくないのだ。  しかし、セルリアは小刻みに震えるジェードの手をそっと両手で包んだ。 「ジェードは何も悪くない。あたしはジェードと一緒に逃げた事、後悔していないよ」 「セルリアさん……でも……」 「でもは無し!」  手を包んでいた両手が、今度はジェードの頬を抑える。自然とセルリアと真正面から視線を交わす事となり、ジェードはまた頬を赤くした。 「後ろを見てももう戻れないんだから、前を向こう! ね?」 「……はい」 「シャヨメに着いたら、ヴェニットのお兄さんに色々と相談してみよう! きっと何とかなるからさ!」  セルリアはいつも前向きで、内向的なジェードを導いてくれる。セルリアの言葉は、ジェードにとって暖かいものばかりだ、すぐには難しいが、いつかセルリアを弟と再会させてあげたい。ジェードは心の隅で、ひっそりと決意をしたのだった。  船が出港してから数時間が経った。陸は既に見えなくなり、水平線が広がっている。陽は海の向こう側で赤みを帯び、沈もうとしている。  船首に出て水平線を見つめていたジェードとセルリアだが、船員に食事が出来たと教えてもらい、船内へ戻った。 「シャヨメまではどれくらいかかるのですか?」 「そうですね……。三日くらいだと思います」  席に着き、食事を頂きながらセルリアが船員に問いかけると、そんな返事が返ってきた。  気候も安定していて、波も穏やかなので奴隷商船に乗った時のような船酔いにもなっていない。  船員達と談笑して、穏やかな時を過ごし、ジェードとセルリアはヴェニットが使用していたという個室を用意してもらった。  二段ベッドと小さなチェストが置いてあるだけの小さな部屋だが、寝床としては十分すぎるものだった。  しかし、二段ベッドとはいえ、セルリアと同室なのは気が引ける。 「あの……セルリアさん……」 「ジェードの言いたい事は分かるよ。女と同室なのは気が引けるんでしょ? 大丈夫! あたしは男達がいる中でも雑魚寝が出来るから!」 「ちょ……! それは止めてください!! 襲われたらどうするんですか!!」 「だいじょーぶ! その時は急所を蹴り上げるから!」  親指を立てて笑うセルリアに、ジェードは目眩がした。  セルリアが強いのは分かっているが、あまりにも警戒心が無さすぎる。今後は自分が守ってあげなければ、と密かに思った。 **  セルリアと少し会話をしてから、ジェードは眠りについた。  三日も眠っていたというのに、眠気は当たり前のように押し寄せてジェードの意識を奪う。  記憶に残らないような夢を見ていたのだが、いきなり視界が切り替わり白い靄が掛かった場所になった。  夢の中でこんなに意識がはっきりしている事に、ジェードは動揺する。すると目の前にうっすらと人影が見えた。白い靄のせいで顔が見えないが、人影はジェードに向かって手招きをしている。 「誰? ……セルリアさん?」  影は何も言わず、ジェードに手招きをしている。ジェードはゆっくりとそちらへと歩み寄る。  ジェードが歩を進める度に、地面が水面のように揺れる。不思議な夢だ。まるで海の上を歩いているかのよう。  影と距離が縮まり、ようやく姿が露わになる。  黒のように見えるが、光の加減で深緑色に見える髪。顔は前髪で覆われており、表情が分からない。浅葱色の着物を着た青年。あまりにも見慣れた姿に、ジェードから呆けた声が漏れた。 「……僕?」  服装は地下牢に閉じ込められていた時のものだったが、自分の姿を見間違うわけがない。目の前の自分は、手招きを止めるとゆっくりと顔を上げた。 「……っ!」  違う。自分じゃない。  額から生えた二本の角。顎から頬に掛けて生えた翡翠色の鱗。角によって前髪が上げられ、露わになっている瞳は――赤ではない、金色。鋭い爪が伸びた手が、ジェードをゆっくりと指差し、牙の生えた口がゆっくりと言葉を紡ぐ。 「呼ばれている――」 「ジェード!?」  ジェードに似た男の声の後に、セルリアの焦燥感を帯びた声が聞こえ、ジェードの意識は一気に夢の世界から引き離された。 **  セルリアの声で夢から一気に引き戻されたかと思うと――内臓が宙に浮くような気持ち悪さがあった直後、ジェードの身体は海の中に沈んでいた。 「!?」  今どういった状況か理解出来ず、ジェードは混乱して口から空気を放出してしまい、泡がゴボゴボと海面へと昇っていく。  何故海中にいるのか、と考える余裕もなく、ジェードは息が出来ない苦しみにもがく。内心パニックだった。夢の続きだと決して思えない呼吸の出来ない苦しさ。  誰か助けて、と水面に向かって手を伸ばそうとした時、セルリアが海中へと飛び込んで来た。頬に空気を溜め、ジェードに向かって手を伸ばす。  セルリアは、ジェードの手を掴むと一気に海面へと引っ張り上げた。海面へ顔を出し、空気を吸う事が出来たジェードは何度も咳き込んだ。 「せ、セルリアさん……どうして……」 「ど、どうしてはこっちのセリフだよ! 突然ベッドを抜け出したかと思ったら船首から突然飛び降りるなんて……!!」 「え……!?」  先程まで夢を見ていたジェードに、そんな記憶はない。だが、切羽詰まった表情でジェードに「どうしてこんな事をしたの!?」と詰め寄るセルリアが嘘を吐いているとも思えなかった。 「す、すみませんセルリアさん……。僕、その記憶が無くて……気づいたら海の中にいたんです……」 「な、何それ夢遊病ってやつ?」 「そんな事はないと思うんですけど……。ご迷惑をおかけしてすみません、セルリアさん……」  夢の中で自分にそっくりな男と出会ったかと思ったら、現で海に落ちていた。もう夜明けのようで、水平線から僅かに陽の光が漏れている。白みがかった空を見て、何故か白い靄のかかった夢の中を思い出した。 「とりあえず、無事で良かったよ! どうにかして船員さんに引き上げてもらおう」  誰かしら見張りの番をしているはずなので、ジェード達が船から落下した異変に気付いている事を念頭に、セルリアが船へ呼びかけてみる。そうすれば誰かが見つけてくれると思ったのだが――  僅かだが、海面に不自然な揺らぎを感じた。ジェードが海面に視線を落とすと、下から黒く大きな影が見えた。 「せ、セルリアさんっ……!」  顔を青ざめさせて、セルリアの名を呼ぶ。彼女も異変に気が付いたようで、ジェード同様に顔を青くさせる。 「ええっ……このルートにウミヘビは出ないんじゃないの……?」  影だけでも分かる、船一艘を飲み込んでしまうくらいの大きさ。ジェードは船に向かって叫びながら、どうにか逃げようとセルリアを抱きながら必死に移動する。しかし、海中ではウミヘビのスピードに適うわけもなく―― 「きゃああああ!!」 「セルリアさ――」  海中で大口を開けたウミヘビによって、二人は呑み込まれてしまった。
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