毒龍の住まう湖

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 毒龍の住むマシロ湖は、集落からは離れた鬱蒼とした場所にあった。セルリアは、ジェードを先導しながら上半身を屈め、低木に隠れながらマシロ湖を確認する。  キオ島は晴れていたというのに、マシロ湖周辺は白い霧に覆われている。霧に毒の成分は含まれていなさそうだが、念の為アイカから貰った毒消し草を煎じた粉末を口に含んだ。ジェードもそれに続く。  マシロ湖の真ん中に、毒龍はいた。  濃い紫のような毒々しい色をした、先程倒したウミヘビよりも明らかに大きい龍は、湖面をまるで地面のように横たえて空を見上げている。巨大な蛇に手足が生えているような姿で、全身強固な鱗で覆われている。そして背には蝙蝠のような伸縮性のある飛膜でできた翼が生えている。  毒龍の姿を目の当たりにしたセルリアは、息を呑んだ。ジェードのような人型でない龍の姿は初めて見る。  珍しく自分の心臓が早鐘を打っている。セルリアは一旦深呼吸をしてから、ジェードの方を見る。前髪で隠れた顔だが、彼からはそれ程緊張が感じられない。陰から毒龍を冷静に観察していた。 「あれが毒龍さんですね……。飛ぶタイプは空へ逃げられる可能性が高いので厄介ですね」 「ジェード、随分と冷静だね」 「龍はリュウソウカで何度か目にした事がありましたので……」  龍を知るジェードがこちら側にいるのは有難い。ジェードによると、龍は知能が高い為、人と会話が可能だという。キオ島を滅ぼさずにマシロ湖に留まっているという事は、そう簡単に破壊行動を起こさないはず。 武力行使よりも対話が有効的というのがジェードの考えだ。 「……ジェード、とりあえず今日は毒龍さまの様子を確認したかっただけだから、もう少し観察してから戻ろう――」 「観察なら、もっと近くですれば良いだろう」  ごく近くでしわがれた声が聞こえ、セルリアとジェードは同時に顔を見合わせた。ハッとして毒龍の方を見れば、金色の瞳をこちらに向けている。  ——バレていた。細心の注意を払い、極力気配を殺していたはずだが、毒龍にはお見通しだったようだ。  どう行動すれば正解なのか、セルリアは躊躇する。穏やかな声色からは、アイカが言っていたような恐ろしい龍だとは思えない。  そんなセルリアの手を、ジェードがそっと握る。 「毒龍さんの所へ行きましょう。この場から去るのは、正解ではないと思います」  ジェードの手の温もりが、セルリアの緊張を解いていく。彼と一緒ならば大丈夫だ、とセルリアは頷いた。  セルリアとジェードは、ゆっくりと立ち上がって毒龍の前に姿を見せた。歩みを進める度に、毒龍がかなりの大きさである事が分かる。それでも気圧されなかったのは、ジェードの手から伝わる温もりがあったからだろう。  湖の目の前に立つと、毒龍も湖に身体を滑らせてこちらに寄って来た。 「人間が二人か。この島の者ではないな」 「僕はジェード、こちらはセルリアさんです。あなたが毒龍さんですか?」 「そうだ。儂に臆せず話しかけてくる男など、何百年ぶりだろうか」  龍は長い首を動かしてジェードに顔を寄せる。人間を丸呑みできるくらい大きな口が側に寄って来たので、セルリアは身構えようとしたが、ジェードが強く手を握った為、ハッと我に返った。  毒龍はジェードの姿を上から下まで見ると、僅かに首を傾げさせた。 「……懐かしい匂いを感じる」 「……僕はジェード。リュウソウカ村出身の者です」 「リュウソウカ……ヒスイのいた村か。確かにお前から感じる匂いはヒスイのものだ」  ジェードの言葉に、毒龍は満足そうに首を上げてジェードから顔を離した。  聞き覚えの無い名前に、セルリアはジェードの方を見る。 「ヒスイ……?」 「僕の先祖の龍の名前です。知っているという事は、毒龍さんと交流があったのですね」  ジェードの先祖が龍だとは聞いていたが、名前は初めて聞いた。ヒスイと聞いて、ジェードが龍に変化した時に生えた鱗が翡翠色だった事を思い出した。  毒龍は、喉の奥を震わせて笑う。 「フフ、あのいけ好かない龍は随分と面白い事になっているようだ。人の依代が無いと生きていられない身体とは」 「……依代?」 「……」  セルリアの問いに、ジェードは何も言わなかった。 「まあ、良い。久方ぶりの客人だ。ゆっくりと話をしようではないか」  知り合いの先祖に会えた事に機嫌を良くしたようで、毒龍は湖の中で身体を丸める。話を逸らされた事で、それ以上問い詰められなかった。  気になる事はあるが、今は目の前の毒龍に集中しなければならない。まずは情報収集をしよう、とセルリアは引きつった笑みを浮かべながら口を開いた。 「あのー、毒龍さまはいつからここにいるんですか?」 「ここに居ついたのは数百年前だ。その時はほとんど人間もおらず、動物達と共存していた。だが、人間どもがここに住み着いて、儂らの住処を占領し始めた為、毒を流した。そんな儂を邪魔に思った奴等がこの湖の底に封印したのだ」 「それで、最近になって封印が解けて毒龍さまが目覚めたと」  そういう事だ、と毒龍は少し声のトーンを落として言った。  アイカの話では、毒龍は守り神として祀られていたが、人間の愚かさに怒り、マシロ湖に毒を流して多くの人々を殺した為、封印されたという。  アイカの話と大方筋が通っている。毒龍の話により、信憑性が増した。 「外の人間がここへ来ないよう細工をしていたが、まさかヒスイが流れ着くとはな。貴様らはいつまでここへいるんだ?」 「船があればすぐにでも出航したいんですけど……。ね、ジェード」 「ま、まあそうですね……」  船を出せば毒龍が沈没させると聞いていたので、出航イコール死になってしまうわけだが、本人(龍)を前にしてそんな事を言えるわけがない。  だが、察しがついたのか、毒龍はフンと鼻で笑った。 「お前達は沈めんよ。儂が憎いのは、この島を汚した者達だけだ」  毒龍は気だるそうに身を捩じって、首を器用に曲げて自分の身体の上に顎を置いた。  それから毒龍と会話をし、情報を得る事が出来た。  毒龍はこのキオ島を守り、動物達と共存していたが、ある日人間が数人流れ着いて来たという。哀れに思った毒龍は、人間達に住処を提供し、共に生活する事を了承した。  人間達は毒龍に感謝をし、慎ましく暮らしていたという。彼らは毒龍を守り神とし、必要最低限な暮らしを送っていた。  人間達が家族を作り、そして子へと世代が変わっていくにつれ、彼らは慎ましさを忘れた。そして自分達の住処を増やしていき、動物達を不必要に狩り、島の環境破壊を進めていった。  それに怒った毒龍は、湖に毒を含ませ、多くの人々の命を奪った。その後、一人の青年によって湖の底に封印されていたという。 「人間は欲深い。自分達の繁栄の為に、他の生物達の住処を奪い、不必要に命を奪う。だから、儂は報復として奴等を殺したのよ」 「でも、そんな事をしては新たな憎しみが――」  言いかけたジェードの口を、手で覆う。今、毒龍を否定するのは得策ではないと感じた。 「毒龍さま、話してくれてありがとう。体調が悪そうだけど大丈夫ですか?」 「ああ、少し喋り過ぎたようだな。今日はもう眠るとしよう」 「そうですか。じゃあお邪魔しては悪いので、私達はこれで!」 「この島を出る時は言うと良い。手出しをしないようにする」  セルリアは一礼すると、何か言いたそうなジェードを無理やり引っ張ってマシロ湖を後にした。  マシロ湖から充分離れた後、ジェードが困惑した様子で口を開いた。 「セルリアさん、まだ本題に入っていないのに……」 「いきなり毒を出さないでくださいって言っても毒龍さまはそう簡単に了承しないでしょ? 今回はここまでにしよう」 「なるほど、セルリアさんもきちんと考えて行動しているんですね」 「ジェードー? あたしがいつも考え無しに行動しているって思っているの?」 「い、いやそんな事は……」  どもるジェードの髪を、セルリアは後ろから両手でぐしゃぐしゃにした。 「な、何するんですか!」 「失礼な事考えているジェードは、わしゃわしゃしてやるっ!」 「や、やめてくださいー!」  ジェードとじゃれている間、セルリアの脳裏には毒龍の言葉が残っていた。  ——依り代。 そう言われたジェードは、何も言わなかった。今尋ねても、きっとその時と同じように口を噤むのだろう。 セルリアは気になる事はすぐに聞いてしまう質だが、この言葉の意味を聞くのがとても怖く、明るい表情の裏に不安を隠した。
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