毒龍の住まう湖

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 マシロ湖を後にし、集落へ戻ると何故か人だかりが出来ていた。  何か店でも開かれているのかと不思議に思っていると、セルリア達に気付いた一人が「あの人達だ!」と声を上げた。  すると人々は一斉にこちらを向き、セルリア達を取り囲んだ。 「えっ、何!?」 「貴方達……マシロ湖から帰って来たのか?」 「うん、そうだけど……」  人だかりの中の一人の言葉に返事をすると、人々はざわめきだした。 「まさか毒龍様の住処へ行って戻って来られる人がいるなんて」 「この人達がアイカの言っていた噂のウミヘビを倒した人達か……」 「彼らなら毒龍様を――」 「ちょ、ちょっと待って誰か一人が話して!」  セルリアが焦ってそう言うと、人々は急に静かになり、誰が話すか目配せをする。少しして、白髪混じりの男が一歩前に出た。 「では、私——オーキが話しましょう。貴方達はアイカの家にいるという漂流者ですか?」 「うん。まあ漂流して来ちゃった感じですね」 「ウミヘビを倒したというのは本当ですか?」  その問いに答えたのはジェードだった。 「それは僕が倒しました」  ジェードの答えに、人々は一気に色めき立った。 「あのウミヘビを倒す人がいるなんて!」 「それならば毒龍様も……!」 「お願いです! どうか毒龍様を倒してください!」  島民達の様子に、セルリアは眉を潜めた。アイカは「毒龍を鎮めて欲しい」という願いだったが、島民達は「毒龍を倒して欲しい」と言っている。  自分達を害する毒龍は殺し、対話など求めていないように思える。そう感じたのはジェードも一緒のようだった。 「あの、先程毒龍さんと話をして来ました。毒龍さんは動物達の命や住処を奪った貴方達の先祖に恨みがあるようです。毒龍さんと貴方達で話し合う事は出来ないでしょうか?」  途端に、島民達は静まり返りバツが悪そうに視線を逸らしたり、顔を見合わせたりしていた。自分達に都合の悪い事には答えられないようだ。  あまりにも身勝手な島民達に、セルリアは顔をしかめた。そんな中、先程島民の代表として話していたオーキが首を振る。 「それは出来ません……。毒龍様は私達の話に耳を貸してくださらないですから……」 「そうでしょうか? 毒龍さんの話を聞かなかったのは貴方達では?」  やや語気を強めるジェードは珍しい。彼も自分達では何もせず、ただ助けを求める島民達の態度に怒りを覚えているようだ。  ジェードの言葉に、オーキも返せないようだった。そして、セルリアとジェードを取り囲む島民達に怒りの色が帯びた気がした。  怒りを察知したセルリアは、慌ててジェードの口を手で塞いだ。 「ちょ、ちょっとジェード! あはは、すみませんね」 「お前達は毒龍様の味方という事か?」  オーキも眉間に皺を寄せて怒りを露わにしている。  これは非常にまずい。この島に滞在している間は、毒龍や島民達との無暗な衝突は避けたい。  辺りを見回しながら、どうしようかと思考を巡らせていると、救いの手が差し伸べられた。 「セルリアさん、ジェードさん!」 「アイカ!」  人だかりを縫って姿を見せたのはアイカだった。アイカはセルリアとジェードの前に立つと、オーキを睨んだ。 「このお二人は私のお客様です! 手荒な事はしないでください!」 「長の娘であるアイカさんのお客様でしたか。いきなり取り囲んでしまって驚かせてしまいましたね。申し訳ございません」 「セルリアさん、ジェードさん行きましょう」  アイカがセルリアの手を取って歩き出すと、進行方向の人々は道を開けた。セルリアもジェードの手を取って三人並んで歩く。ふと振り返ってみると、オーキは無表情でセルリアやジェードではなくアイカを見つめていた。 「きっとあの二人なら……」  人だかりの誰かがそう言ったのが、微かに聞こえた。 **  集落を抜けてアイカの家へ着くと、彼女はセルリア達に頭を下げた。 「すみませんでした。皆自分の生活が困窮していて余裕が無くて……」 「あ、大丈夫だよ。生活が懸かっているんだもん、仕方がないよね」  そう言いつつ内心は少々嫌悪感を抱いてしまったものの、島民の一人であるアイカの前なので取り繕う。  島の長である父の娘のアイカは、表面上島民達に敬われているように見えたが、何処か溝を感じた。部外者であるセルリアにも顕著に見えた。アイカはこの島で非常に苦労をしているようだ。  そういえば、ジェードはアイカの家へ来るまで、一言も発していなかった。どうしたのかと振り返ってみると、彼は顔を俯かせていた。  表情が気になったセルリアは、顔を近付けて彼の長い前髪を手で掬ってみると、ジェードの顔は青く、冷や汗をかいていた。 「ジェード、どうしたの?」 「すみません、少し疲れてしまって……」  セルリアが顔を近付けるといつもは顔を真っ赤にするというのに、青いまま。赤い瞳は焦点が合っていなかった。 「やっぱり無理していたんだ! ゆっくり休みな!」  やはり一日で回復していなかったようだ。ジェードは頷くと、ふらりとした足取りで、アイカに借りている部屋へと入っていった。  ジェードを見送ってから、アイカの方に目をやると、彼女はロッキングチェアに座った父に話しかけていた。  アイカの父は寝たきりではなく、娘に手を引かれれば歩けるらしい。体は動くが、心ここにあらずといった感じだ。毒龍の毒は精神を蝕むものなのだろうか。  自分も何か手伝おうと思った時、ふとアイカが口を開いた。 「あの、ジェードさんは人間ではないのでしょうか?」 「えっ……」  突然の言葉に、セルリアはすぐに返答出来なかった。 「すみません、実はウミヘビを殺す瞬間を見ていて……。あの姿は、まるで龍人でした」 「龍人……」 「知りませんか? 龍の力を内に秘めた人の事を言います。東の国ではそういった人がいると聞いた事があります」  アイカに「座って話しましょう」と促され、セルリアは椅子に座る。アイカもテーブルの向かい側に座った。  龍人。ジェードはいつも「龍の力」としか言っていなかったので、聞き覚えが無かった。  しかし、ジェードは龍の力を秘めた存在なので、アイカの言う龍人はまさに彼の事のように思える。  だが、毒龍に怯える島民のアイカに龍だと説明すると怖がってしまうと思い、首を振る。 「ジェードは不思議な力を持っているけど、れっきとした人間だよ」  アイカに対して言ったのだが、無意識に自分へ言い聞かせていた。例え角や鱗が生え、鋭い爪を振るおうとも、ジェードは普通の青年だ。恥ずかしがって顔を赤らめるジェードが、本来の姿なのだ。  アイカは「そうですか」と頷いて、それ以上言及しなかった。  少しだけ二人の間に沈黙が訪れる。沈黙を破ったのは、アイカの方だった。 「そうだ、毒龍様はどのような様子でした?」 「あ、少し話して来たんだけど、外から来たあたし達には寛容で、島民達には、その……」 「やはり、毒龍様の居場所を奪った私達は相当恨まれていますよね。毒龍様の恨みも当然だと思っています」  言葉を濁したが、セルリアの言いたい事を汲み取り、アイカは悲しそうに微笑んだ。やはり毒龍を敵視する島民達違い、アイカは自分達のせいで毒龍が怒っていると憂いている。 「アイカは、毒龍さまが突然島民を襲って来たから封印されたとは思っていないの?」 「はい……。歴史書には毒龍様の事を悪く書かれていますが、守り神をされていた方が気まぐれで人を殺すとは思えませんでしたから……。父も同じ考えでした。父は、毒龍様とどうにか共存できないかと思っていました。しかし、対話を試みた日に毒によりあの状態に……」  毒龍を庇っていた島の長は、その毒龍が流した毒により、物言えぬ姿へと変わり果ててしまった。その事件も、島民達が毒龍を殺した方が良いという思いを強くしたのだろう。 「父があんな事になってしまい、つい毒龍様を鎮めて欲しいと貴女達にお願いしてしまいましたが、毒龍様の居場所や時間を奪った私達は、殺される運命にあると思うんです。報いは受けなければ」  鼻を啜ってから、誤魔化すように笑うアイカに、セルリアは眉を下げた。彼女が無理をして言っているのは明らかだった。 「そう思っているのに、あたし達にそんなお願いをしたって事は……アイカは生きたいんでしょう? やりたい事があるんじゃないの?」 「そ、そんな事は……」 「あるんでしょう?」  念押しでもう一度聞くと、アイカは下唇を強く噛んでから顔を俯かせた。 「私は……父が回復したら、この島を出て旅をしてみたいんです。海に囲まれたこの島しか知りませんから、色んな土地を見てみたい」 「あるじゃん、大切な夢が」  セルリアは前屈みになり、アイカの頭をそっと撫でた。しっかりとしているように見えるが、セルリアからすればまだあどけない少女だ。アイカの瞳が涙で潤んでいる。セルリアは快活に笑ってみせた。 「あたしはジェードと一緒に毒龍さまの毒を止めてみせるよ。アイカやお父さんを救ってみせる」 「ありがとう、ございます……」  言葉と共に、アイカの大きな瞳から涙が零れ落ちた。セルリアはアイカの頭を撫で、彼女が泣き止むのを静かに待ち続けた。
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