毒龍の住まう湖

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 アイカが泣き止んだ後、ジェードが気になったセルリアは部屋へ戻る事にした。その背中を、アイカが呼び止めた。 「あの、セルリアさん……。お願いがあるのですが、明日……私もついて行っても良いでしょうか?」 「え? 毒龍さまの所へ?」 「はい……。外から来たセルリアさん達に任せきりでは申し訳ないのです」 「そんな事気にしなくて良いよ! あたしは傭兵やっていたから、依頼を受けたと思ってやっているし」  アイカには言えなかったが、島民を憎んでいる毒龍の前に彼女と会わすのは得策ではないと感じた。だが、アイカは引き下がらない。 「私……父の成しえなかった毒龍様との対話をしたいのです……。今までは一人で行く勇気が無くて出来なかったのですが……セルリアさん達となら、一歩踏み出せそうな気がします」  泣き腫らしたアイカの目は、決意に満ち溢れていた。  その覚悟を決めた表情に、セルリアは何も言えなくなる。 ――姉さんと一緒なら、一歩踏み出せそうだよ。  過去に弟と交わした言葉と、アイカの言葉が重なった。 「——イチイ」 「え?」 「あ、ううん何でもない。分かったよ。一緒に行こう」  我に返ったセルリアが了承すると、アイカはホッと安堵した表情を見せた。 「ありがとうございます、セルリアさん」 「明日はよろしくね」  セルリアは軽く手を振ると、ジェードのいる部屋へと向かった。  ジェードのいる部屋の前に立ったセルリアは、控えめにノックをする。  返事はない。寝ているのだろうかと、扉を開けて顔を覗かせる。 「ジェード、寝ている――」  声を掛けている途中で、ジェードがベッドの上に座りボソボソと呟いていた。 「——いい加減——でも――僕はここを――だが、お前は――」  どの言葉もジェードが発しているものだが、いつものジェードの声と、やや低い声が聞こえた。まるでジェードと誰かが喋っているかのようだ。 (この声、ウミヘビを倒した時に聞いた……) ――ああ、まだ勝手が効かんな。 「——ジェード!」  セルリアはあの声を振り払いたくて、大きく音を立てて扉を思い切り開くと、ベッドに座るジェードの両肩を掴んだ。勢いあまってそのまま押し倒してしまう。 「せ、セルリアしゃん!?」  突然ベッドに押し倒された状態になったジェードは、その拍子に重たい前髪が乱れ、赤い目が露わになる。少年に見えてしまう顔立ちのジェードは、顔を真っ赤にしていた。  セルリアとの接し方から、女慣れしていないのが分かる彼からしたら、今の状況は心臓がバクバクと激しく脈打っているのだろう。だが、セルリアはそれどころでは無かった。 「今、誰かと話していた?」 「話……!? い、いえ! 独り言です!」  顔を真っ赤にして動揺していたが、セルリアの言葉で違う意味の動揺をしたようだった。 「嘘! 船に乗った時から変だよ。ジェードの身体に何が起きているの? 貴方は龍人なの?」 「セルリアさん、どうして龍人の事を――」  セルリアは、先程アイカから聞いた龍から力を貰った龍人について話した。ジェードは目を伏せてから「そうでしたか」と呟いた。 「……僕の一族は、子供に龍の力を入れ込むという儀式を行います。僕も小さい頃に龍の力を貰ったのですが、あの時まで龍になる事は出来ませんでした」  だから祖父は龍の力を引き出させようと辛く当たり、嘆き、母屋に閉じ込める事もよくあった、とジェードは説明してくれた。 「龍の力を貰って無事だったのは僕だけだったので、祖父も僕に期待していたんでしょう。でも、僕は今の今まで龍の力を発揮する事は出来なかった」 「……ジェードって兄弟達がもういないって言っていたよね……。もしかして……」 「僕の兄弟達は、龍の力に耐えきれずに亡くなりました」 「そ、そんな……」  兄弟達の死にそんな事情があったとは、とセルリアは言葉を失う。セルリアが想像したよりもずっとジェードの境遇は酷かった。下手したらジェードも命を失ってしまっていたかもしれないと思うと、ゾクリとしたものを感じる。 「生き残ったにも関わらず、龍の力が使えないので、死んでしまった兄弟達に申し訳なかったんです。祖父による毎日の叱責にも耐えられず逃げ出しました。でも、セルリアさんを守りたいと思ったら、龍の力を発揮する事が出来たんです」  暗く重い過去を話しているというのに、ジェードの赤い瞳が絶望に染まっていないのは、目の前にいるセルリアに希望を持ってくれているからなのか。 「僕がウミヘビを倒した時……まるで別人だったでしょう? あれは龍の力に残された人格です。龍の力は自分に縁が無いものだと思っていたので、すっかり忘れていましたが、昔祖父に説明されていたのを思い出しました」 「龍の力が覚醒して、その龍の人格がジェードの中に入っているって事?」  ジェードは小さく「はい」と肯定した。  あの時見たジェードは、やはりジェードではなかった。だがそれが分かったとしても、違う人格が彼の中に秘められているのは、不安が拭えない。 「ねえ、それは大丈夫なの……?」 「龍化したばかりで、まだ力がうまく使えなくて……。たまに龍の人格が出てしまうのですが、慣れれば出て来なくなると思います」 「本当?」 「はい。今は使いこなせていませんが、何回か変化したら人格が統一されるはずです。——以前、祖父がそう教えてくれましたから、間違いはないかと……」  セルリアはベッドに倒れたままのジェードをそのまま抱き締めた。 「わ、わ! どうしたんですか、セルリアさん!」  ジェードの焦った声が耳に届き、高鳴っている鼓動が、身体から熱が伝わって来る。これは全てジェードのものだ。ジェードの匂いが鼻腔をかすめ、心地よく感じる。 「本当に、大丈夫だよねジェード? あたし、不安で……」  ジェードはセルリアにとってかけがえのない男になっていた。もう、誰かを失う思いはしたくない。  少しの間固まっていたジェードだったが、そっとセルリアの背中に手を回した。 「大丈夫ですよ、セルリアさん。貴女の事は僕が守ります」  ジェードの声色は穏やかなもので、セルリアの不安を取り除こうとする。しかし、セルリアはムッとしてジェードの手を振りほどき、彼の頬を抓った。 「痛! 何すりゅんでふか、セルリアひゃん!」 「ジェード、少しズレているよね! あたしが心配しているのはそんな事じゃないのに!」  セルリアが心配しているのは、ジェードがジェードでなくなってしまう事だ。自分の身の事など少しも考えていないジェードに腹が立ったが、両頬を摘ままれて不格好になっている彼の顔を見ていたら、笑みが零れてしまった。 「……そんな所も、あたしは――」 「せ、セルリアひゃん? 何か言った?」  セルリアはジェードの頬から手を離すと、彼の額を軽く小突いた。 「ジェードがあたしを守るっていうのなら、あたしはジェードを守るよ」  ジェードはきょとんとしたが、セルリアの言いたい事をようやく理解したいようで、そっと微笑んだ。 「そうですね。お互い守り合いましょう」  そう言ってから、ジェードは我に返ったようで再度顔に熱を溜めた。 「そ、それよりセルリアさん……。そろそろ離れて……」 「あ、ごめんごめん」  そういえばずっと押し倒した形になっていた、とセルリアはジェードから離れて身体を起き上がらせた。ジェードも顔の熱を下げようと手で仰ぎながら身体を起こした。ずっと見えていた顔も、前髪によってまた隠される。 「と、ところでセルリアさん……僕に何か用がありました?」 「そうそう、さっきアイカと話をしていたんだけれど……」  セルリアは先程アイカと話した事をジェードに伝えた。  アイカは島民達と違って毒龍と共存できないかと考えていた事、彼女の父は毒龍と対話をしようと試みたが、その当日に毒に汚染されて廃人になってしまった事、彼女の夢は父と一緒にこの島へ出たいという事——  ジェードは真剣にセルリアの話を聞いていた。 「島民達の事は気に食わないけれど、アイカの事は助けたいの。だから、どうにかして毒龍さまと対話が出来ないかな……」 「そうですね。アイカさんのお陰でここまで来られたわけですし、毒龍さんを説得しましょう。僕達、三人で」  セルリアは大きく頷いた。  セルリアとジェードは、アイカを連れて毒龍の所へ行くのを決意し、明日へと備える事にした。
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