毒龍の住まう湖

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 毒龍が死に、生き残った島民達は喜びに満ち溢れ、三日三晩踊り明かす勢いだった。  マシロ湖に来て生き残った島民は三割程度だった。集落に残っていた島民達と協力をして、死んだ島民達を埋葬し、宴の準備をする。  セルリアやアイカも宴に誘われたが、断った。アイカの家に戻ったセルリアは、眠っているジェードをベッドに寝せてやる。  毒龍が息絶えた後、ヒスイは地上に降り立ってから、意識を失った。倒れたジェードを抱き起こし、呼吸をしている事を確認したセルリアは、酷く安堵した。穏やかな寝顔は、彼のものだったから。  オーキ達は毒龍を殺したヒスイを宴で称えたいようだったが、セルリアが断固拒否をした。ジェードが一番望んでいないと思ったからだ。  眠っているジェードの髪を指で撫でながら、セルリアはアイカに尋ねる。 「アイカは、これからどうするの?」 「そうですね……。とりあえず、父の体調が良くなったら、島を出たいと思っています。それが、夢でしたから」 「……そう」  アイカの声色は穏やかだった。彼女の夢は、島を出る事だったから、それに一歩近付けたのだろう。  セルリアは、アイカの顔を見る事が出来なかった。 「セルリアさんは、まだこの島にいらっしゃるんですか?」 「ううん。今すぐにでも発とうと思う」 「え!? ですが、まだジェードさんが起きていませんよ?」 「ジェードは、私が背負っていく。それより、船を用意してもらって良い?」 「え、ええ……。小舟でよろしければ、すぐ用意します……」  アイカは何かを言いたそうだったが、小舟を用意してくれる事になった。 本当は、ジェードの回復を待ってから発つべきなのだが、どうしても毒龍の最期の言葉が引っかかっていた。 ――儂が死んだら、早くここを――  最後まで聞けなかったが、恐らく毒龍は「早くここを発て」と言いたかったのだと思う。それを聞き、セルリアは居ても立っても居られなかった。  更に、ジェードを祀り上げようとする島民達に気色悪さを感じており、さっさと後にしたかったのもある。  セルリアは、ジェードの額に滲んだ汗を布で拭いてやり、彼の髪を指で梳かす。  早く、ジェードと二人で平穏に過ごせる場所を見つけたかった。  それから数時間して、アイカが小舟の準備が終わったと伝えに来てくれた。セルリアは礼を言うと、ジェードを背負ってアイカの家を後にした。  ドアが閉まる直前、ぼうっと虚空を見つめるアイカの父が、こちらを見たような気がした。 「せめて、荷物を持たせてください」  アイカはそう言って、セルリア達を見送ってくれる事となった。  集落の方は通りたくないと言ったら、抜け道を教えてくれた。獣道のような場所で通るのに苦労したが、集落を通るよりもずっとマシだった。  道中、アイカはずっと未来についての話をしていた。未来についてようやく考えられる、とアイカは嬉しそうだった。  そうこう話している内に、小舟の停まる海辺へと辿り着いた。  アイカは小舟に荷物を乗せると、セルリアに方位磁石と地図を渡してくれた。 「これだけで、本当に大丈夫ですか? 辺りにはウミヘビが出ますよ……?」 「うん、ありがとう。航路は聞いていたから大丈夫だよ」  セルリア達を船に乗せてくれた船員に、どういった航路を通るかは事前に聞いていた。  セルリアは何度か海を渡った事がある。傭兵団長のリリスに航海術を習っていた。  ジェードを船に横たえ、毛布を被せてから、セルリアは船に乗る。 「じゃあ、アイカ。今まで本当にありがとう」 「いえ、そんな……! お礼を言うのは私の方です! キオ島を助けてくださり、本当にありがとうございました!」  そう言ってアイカは晴れやかな笑顔を見せた。その笑顔に複雑な思いを抱きながら、セルリアは舟の帆を張り、出発した。セルリアは、一度も振り返らなかった。  天候にも恵まれ、海は荒れていない。眼前には、水平線が広がっている。  海を見ていると、故郷を思い出す。リアトリス傭兵団団長のリリスは、セルリアを決して許さないだろう。  故郷に置いてきてしまった弟を、静かに思う。 「イチイ……」  そっと弟の名を呼ぶ。誰よりも、姉のセルリアを心配していたイチイは、この状況を知ったらどう思うのだろうか。 「……イチイって誰ですか……?」  今まで規則的な寝息を立てていたジェードが、突然むくりとジェードが起き上がった。 「あ、ジェード! 良かった、目が醒めたんだね。もうキオ島を出ちゃったんだ。勝手に出発してごめんね」 「いえ、それは良いんですけど……。イチイって誰ですか……?」  寝起きだからか、少々機嫌が悪い。目は隠れていて見えないが、口はへの字を描いている。 「あ、言った事なかったっけ? あたしの弟、イチイっていうの」 「……弟さん、ですか」  ジェードは、また寝転がった。少し寝ぼけているようで「良かったぁ……」とポツリと漏らしている。いつも通りのジェードに、セルリアは胸をなでおろした。 「ねえ、ジェードは……今までの事、覚えている?」 「いえ、正気を失った毒龍さんに振り飛ばされてから記憶が無くて……。一体、どうなったんですか……?」  セルリアは、今まで起きた事を全て話した。毒龍がヒスイによって殺されたと聞き、ジェードは酷く動揺したようだった。 「僕が……毒龍さんを……」 「違う、やったのはジェードじゃない、ヒスイだよ」  それは確信して言える。毒龍を殺したのは、ジェードの意志は絶対に入っていない。それでも、ジェードは自分を責めているようだった。 「僕が意識を奪われなければ、こんな事には……」 「残念な結果になったけれど、アイカ達は普通に暮らせるようになるよ」 「違います……。僕が弱かったから乗っ取られた――くっ」 「ど、どうしたの!?」  ジェードが頭を押さえて苦しむ。——ヒスイが出て来た時と一緒だ。ジェードの意識を奪わせたくなくて、彼の背中を擦る。  しかし、セルリアの願いは虚しく――顔を上げた彼の瞳の色は金色だった。セルリアは、瞬時にジェード――ヒスイの身体から離れた。 「随分と嫌われたものだ」 「——っ、早くジェードに戻して!」  ジェードと同じ姿なのに、どうしてこうも嫌悪感が強くなるのか。ヒスイが表に出る度に、セルリアの焦燥感が強くなっていく。  ヒスイは肩を揺らして笑ってから、キオ島の方を振り返った。キオ島はもう見えなくなっている。 「なあに、お前と少し話をしたかっただけだ。身体はすぐあれに戻すさ」 「あたしに話……!?」  突然、ヒスイがセルリアの手首を掴んだ。油断はしていなかったのに、あまりにも素早い動きで反応が出来なかった。  すぐに振り払おうとしたが、ヒスイの力は強く、びくともしない。何も出来ないと思っているのか、ヒスイはセルリアの様子を見てニヤニヤと笑っている。  だが、黙って好きにされているセルリアではない、セルリアは掴まれていない右手を軸にして、ヒスイの頬に強烈な蹴りを食らわせた。 「あたしを舐めてもらっちゃ困るね」 「威勢のいい女だ」  蹴りをモロに食らったというのに、ヒスイの頬は少しも傷がついていなかった。セルリアの手首を掴む手も、離していない。  喧嘩腰のセルリアに、ヒスイはやれやれと首を竦めた。 「全く、あいつでは毒が吸えないから、わざわざ出てやったというのに」 「……え?」 「お前、毒を浴びたこいつに口づけをしただろう。そこから微量の毒が入っていた。支障をきたす量ではなかったが、念のため全て吸い取らんとな」  ヒスイは、セルリアから毒を吸い出そうと出て来てくれたそうだ。まさか自分を思って表に出てきたとは思わず、何も言えなくなってしまう。  どうやら手首から毒を吸っているようで、少しの時間が過ぎてから――ヒスイは手を離した。 「これでお前の中にある毒は全て消えた」 「あ、アリガトウ……」  心なしか身体が少し軽くなった気がする。ヒスイに感謝するなど不覚だったが、助けてもらったので棒読みの礼を言う。 「……でも、少量とはいえ、口から直接毒が入ったのに、どうしてこんなに毒が効いていないの? 毒を浴びた人は……死んでしまったというのに」 「あれは、毒龍が本気で殺そうとして生成した毒だからな。毒龍の身体から溢れていた毒は、そこまでの濃度ではなかった。まあ、あの男は浴びすぎて死にかけたがな」  あの男、とは毒龍の首元にしがみついていたジェードの事。それでも、セルリアは疑問が残る。 「だって、アイカのお父さんは毒を少し浴びてしまって廃人状態になってしまったって……」 「毒龍がどんな奴だったかは、話して分かっただろう? あいつは、正気を保っていれば人間を廃人にするまでの毒は浴びさせなかった。ーー嘘をついていたのは、一体誰か」 「……」  毒龍が正気を失った後、アイカの口元は―― 「お前は、あの女に違和感を覚えたのではないか? その違和感が、あの女の本性よ」  ——歪んだ弧を描いていた。
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