毒龍の住まう湖

11/11
前へ
/28ページ
次へ
 セルリアとジェードがキオ島を発ってから、少し未来の話だ。  毒龍が死んで1ヶ月後。キオ島は何十人もの犠牲があったが、葬儀も済ませ、島民達は久しぶりに穏やかな日常に戻っていた。  死んだ表情を浮かべていた島民達も、今では生き生きとした表情で過ごしている。  活気が少し戻った集落を、アイカは鼻歌まじりに通り過ぎた。  アイカはウミヘビを倒した者と一緒に毒龍と“闘った”者として、島民達から敬われる立場となった。  動けなくなった父の代わりに、長としての立場を推す声もある。  毒龍によって汚染されてしまった島だが、時間が経てば毒も消えて、以前のような美しい島になり、貴族達も旅先としてキオ島を選ぶだろう。  家へと戻ると、放心状態の父親が一人。ずっと虚空を見つめている。哀れな父を一瞥してから、アイカはリビングの椅子へ座った。  アイカの父は、ずっと毒龍と共存を唱えていた。毒龍を恐れる中、彼は異端だったが、父の熱意に押され、共存を考える者もいた。 「化け物と共存なんて、無理に決まっているじゃない」  アイカは嘲笑する。龍と人間が共存出来るわけがないのだ。絶対に力の強い龍が人間を従える構図になる。  そんなものは、アイカの理想とする暮らしではない。力に怯え、生活をしていくなど耐えられない。  セルリアには、いつか島を出たいと言っていたが、それは毒龍がいるならばの話だ。毒龍のいないキオ島なら、出たくはない。  ある日、毒龍を説得すると言った父の飲料に、こっそりと毒を仕込んだ。毒は父親を殺せなかったが、何も言えない状態になった。  この状況は、アイカの方に流れが来たと思った。 『父が毒龍と対話をしようとしたら、毒を浴びせられて廃人になってしまった!』  毒龍に寄り添いたいと言っていた父が毒を浴びたという嘘は、島民達に浸透した。特に、毒龍を嫌悪していたオーキは信じ切っていた。 「長に毒を浴びさせた毒龍と対話など無用! 毒龍は殺すべきだ!!」  オーキの言葉は、島民達に「毒龍を殺す」という気持ちを植え付けた。  ピースは少しずつ埋まっていく。後は、毒龍を殺す者だけ。  どうにかして、アンセット伯とコンタクトを取り、優秀な兵を寄越してもらおうと策を考えていた時だ。救世主が現れたのは。  ジェード達がこの島に漂流してきた時、毒龍を殺すチャンスだと思った。ウミヘビを殺す時の姿は、昔本で読んだ事のある龍人にそっくりだった。  彼も化け物に変わりないが、普段は人間と変わらない姿だし、内気な性格に害は無さそうだった。更に、セルリアがジェードを従えているようだったから、問題は無いと感じた。  セルリアは情に熱いようだったので、アイカは「毒龍と共存したい島民」として演じた。父のように振舞えば良かったので、演じるのは簡単だった。  そしてアイカの努力もあって、セルリア達は完全にこちらを信じ、毒龍へ立ち向かってくれた。  頑なに対話をしようとしていたのは煩わしかったが、結果的には毒龍も死んだので、良しとする。  島民も良いところで参戦してくれた。アイカは笑いが止まらない。 「毒龍が死んで、これで平穏が戻った! あんたよりも、私の考えの方が暮らしを良くするのよ!」  父は、毒龍の毒の犠牲者として生かしていた。だが、毒龍がいなくなった今——彼にもう用は無い。  アイカは立ち上がると、ロッキングチェアに座ったままの父に近付く。アイカの手には、毒の入った小瓶。 「あんたの好きな毒龍の元へ逝けるなら、こんなに嬉しい事はないでしょ? あんたはもう、用済み」  アイカへの信頼が強まっている中、毒で弱った父が死んでも、誰もアイカが殺したとは思わないだろう。  小瓶を父の口元に近付けた時——だらしなく開いていた口が突然引き締まった。 「え!?」  アイカは思わず後退る。虚空を見つめていたはずの父親の目が、アイカをしっかりと捉えた。 「な、何で……! 毒で意識を奪われているはずじゃ……!」 「お前に毒を盛られる直前、俺は偶然解毒作用のある茶を飲んでいた。意識を取り戻したのは大分後だったが……」  いつからかは分からないが、父は意識を取り戻していた。これは予定外だった。  ロッキングチェアから起き上がれないところを見ると、足腰は十分に治りきっていないのだろう。まだ、殺すチャンスはあるとアイカは機会を探る。 「まさか、お前がこんな馬鹿な事を考えていたなんて……」 「馬鹿じゃない。私は、キオ島の事を考えて毒龍を殺したかったの!! あの化け物がいたら私達の平穏は一生来ない!!」  娘の吐き捨てた言葉に、父は目を見開いてから、唇を震わせて俯いた。 「……お前には、きちんと話をしておくべきだったな。……どうしてキオ島は、今まで“襲われなかったのか”」 「……は? 何それ……」 「俺が倒れる前に見つけた文献に、残っていたんだ。何故、キオ島は今まで平穏で暮らせていたのか。何故ならそれは――」  父の話の途中で、突然誰かが扉を勢いよく開けた。アイカは肩を跳ね上げ、手に持った毒を隠しながら振り返ると、そこには青ざめた表情のオーキが立っていた。 「ど、どうしたんですか!? な、何が……」 「う、ウミヘビが……」  直後、響く轟音と、人々の悲鳴。アイカが立ちすくむオーキを押し退けて外を見ると、遠くの方で炎が上がっているのが見えた。 「何!? 何が起こっているの!?」 「ウミヘビが……突然島を襲い始めた……。ウミヘビだけじゃない。鳥の姿をした魔物も、こちらに向かって来ています……」 「っ、何でウミヘビや他の魔物が……!? だって今まで一度も……」  ハッとして、アイカは家を振り返る。  開けっ放しの扉の先で、父がそっと涙を流しているのが見えた。 「毒龍様がいたから、この島は魔物に襲われずにいたというのに……毒龍様がいない今、ここは魔物の巣窟となるだろう……」  東の国の近くには、ウミヘビが生息する海域が存在する。東の国に近いキオ島が、ウミヘビの生息している海域に存在しているというのに、襲われずに今まで存在出来ていたのは―― 「嘘嘘嘘!! そんなの信じない!!」  もし、毒龍がこの地を守っていたというのなら、アイカや島民達がやったのは――自らの死を呼び寄せたという事。力のある龍が住んでいたから、今までキオ島は誰からも襲われずに済んでいた。 「あ、あああああ……」  悲鳴が大きくなってくる。魔物のけたたましい鳴き声が近付いてくる。  オーキは両膝から崩れ落ち、喉が枯れるくらいの大声を出して泣き叫んだ。  呆然と死を待っているアイカの耳に、父の声がやけにはっきりと聞こえた。 「この島は、毒龍様と共に消える運命なのだ――」 **  時は戻って海の上。セルリアは、地図を見ながら航路を確認している。その様子を、ヒスイは横目で眺めていた。  ここは、ウミヘビが蔓延る海域。普通だったら、こんな小舟などすぐに転覆させられるだろう。  それなのに転覆させないのは、舟に強大な力を持つヒスイがいるからだ。ヒスイの力を恐れ、ウミヘビ達は小さな舟を避ける。  ヒスイが留まる事に、セルリアは不満げだったが、この危険な海域を無事に通る為と渋々了承した。  少し先にあるキオ島の末路を知るヒスイは、一人静かに笑う。 「哀れな島民共だ。あの島が平穏だったのは毒龍の力があってこそ。毒龍の力が失われた今、あそこはすぐにでも魔物たちに食い荒らされる」  セルリアが知ると大騒ぎになりそうなので、彼女には聞こえないくらい小さな声で呟く。  自分達の生の為に動いていたのだろうが、実際は死に向かっていたと知ったら、彼らはどんな表情をするだろうか。 (私欲の為に、自らを滅ぼす。人間とは、何て面白いものか)  そしてその興味は、セルリアにも向いていた。  この身体の主である、ジェードを死から遠ざける為に全てを投げ打って一緒に逃げた女。 (この先の運命を知り、一体どんな表情を見せるのやら)  ヒスイの含み笑いに、セルリアは気付く事が出来なかった。
/28ページ

最初のコメントを投稿しよう!

13人が本棚に入れています
本棚に追加