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幼いジェードが暗い母屋に閉じ込められていた時、自分の中にはもう一人の自分がいる事を知った。
泣き疲れて眠ってしまった時、夢の中に現れるのは、自分と同じ姿形をした少年。
自分と違うのは、額に生えた二本の角と、頬に鱗のような模様があり、そして瞳が金色だったところだ。
初めて会話をしたのは、ジェードが6歳になった頃だったか。
夢の中でも身体を丸めて泣いているジェードに、彼は声を掛けてきた。
「お前はいつも泣いているな」
「誰……?」
「俺はヒスイ」
「ヒスイ……?」
聞いた事があるような名前に首を傾げると、ヒスイは呆れたように肩を竦めた。
「カワセミに聞かなかったか? お前達の先祖である龍の名だ」
「あっ……ヒスイさま!」
そういえば、祖父のカワセミから聞いたのだったとジェードは納得した。夢の中のせいか、思考がぼんやりとする。
白い霧がかかった世界で、自分の姿をしたヒスイと二人きり。
「ここはお前の夢の中。今はまだ表で干渉出来ないが、ここでなら話をする事が出来る」
ヒスイの事は、祖父のカワセミから耳にタコが出来る程聞いていた。
リュウソウカを大飢饉や戦から救ったとされる龍。ヒスイを祖とするジェード達の一族は、彼を神のように祀っている。
「ヒスイさまは、どうしてここにいるの? どうして僕にそっくりなの?」
「今の俺は姿を持たん。だから、お前の姿を借りているのだ」
「ふうん……?」
ヒスイの言葉は理解出来なかったが、ジェードはとりあえず相槌を打った。
それから、夢の中でジェードはヒスイと会話を楽しむようになった。友達のいないジェードにとって、ヒスイは友人のような存在だった。
しかし、目覚めると夢の中で話した事は忘れてしまう。ただ、楽しかった記憶は朧気に残っていた。
何回ヒスイと話した頃だろうか。夢の中で、彼は神妙な面持ちでジェードを待っていた。
「お前とは、もう夢の中で会えないだろう」
ヒスイとの会話を楽しみにしていたジェードだったが、突然の別れを切り出され、動揺してしまう。
「えっ、どうして!?」
「お前には、才能がない。だから、俺はここまでだろうよ」
才能が無い。カワセミから毎日のように言われる言葉だ。その度に、ジェードの心は血を流していく。ヒスイの言葉も、ジェードの心を傷つけた。
「僕に……才能が無いから、ヒスイさまも僕を見捨てるの?」
カワセミが実力のある他の兄弟達に目をかけるように、ヒスイも才能のある人の方へ行ってしまう。自分の実力にため息を吐き、去っていく。
ジェードは、ここから動きたくない、という意思表示としてその場にしゃがみ、膝を両手で抱き締める。
「違う。俺が見捨てるんじゃない、お前が俺を見捨てるんだ」
意味が分からない、とジェードは首を左右に振る。赤い瞳から、涙が一筋零れ落ちる。
ヒスイの顔を見る事が出来ず、ジェードは顔を俯かせた。彼がこちらに近付いて来る気配がする。それでも、ジェードは顔を上げなかった。
「僕……ヒスイさまとお別れするの嫌だよ……。僕は、どうすれば良いの?」
「お前の兄弟達は、きっと俺の精神と共存する事が出来ない。残るのは、お前だけだろう。だが、精神力の弱い今のお前では、俺は表に出る事が出来ない」
ヒスイの手が、ジェードの頭の上に乗せられる。ジェードは、思わず顔を上げたが、白い靄が濃くなっていて、ヒスイの顔が分からない程になっていた。
「心を強く持て、ジェード。何故ならこの身体はーー」
ヒスイの言葉を最後まで聞く事が出来ず、ジェードは目を醒ました。
それきりヒスイは夢の中に現れず、夢の中でしか記憶が続かないので、ジェードはヒスイの事をすっかり忘れてしまっていた。
ヒスイの事を思い出したのは、キオ島で目を醒ました時だった。自分の中を誰かに覗かれているような気持ち悪さ。
セルリアに聞けば、自分は龍化をし、ウミヘビを倒したという。それから、徐々に思い出されたのは、夢の中で会った自分と同じ顔をした少年。
(ヒスイ様……)
ジェードに才能が無いからと目の前から消えたヒスイが、今はジェードの身体を借りて表の世界に出て来ている。
龍の力が使えるようになるのは、祖父であるカワセミの悲願だった。ジェード達ヒスイを祖とする人々は、ヒスイの魂を代々受け継ぎ、リュウソウカの繁栄を支えてきた。
今回、ジェード以外の兄弟達がヒスイの魂を受け継ぐ事に失敗し、命を落とした。唯一生き残ったジェードだけが、ヒスイを受け継げる存在だった。
今までヒスイの力を扱えなかったが、セルリアと出会った事で、龍化する事が出来た。カワセミがそれを知ったら、大いに喜ぶだろう。
(祖父からの教えでは、龍の力が発現してから、人格の統合がされると言っていた気がする)
今は身体を乗っ取られてしまう時もあるだろうが、時間が経てばヒスイの人格は消え、龍の力だけが残るはずだ。
だが――ジェードの脳裏には、セルリアの笑顔が浮かぶ。セルリアが隣にいる今、ヒスイに身体を乗っ取られたくない。
ウミヘビを残虐に裂いて殺す危険なヒスイを、セルリアの側に置きたくなかった。
ヒスイと話がしたいと思っていたが、その機会は早くに訪れる事となる。
ヒスイと話が出来たのは、具合が悪くなってアイカから借りている部屋に入った時だ。
「ようやく話が出来るようになったか」
自分の口が、勝手に声を発した。
ジェードは思わず自分の口に手を当てたが、声の主がヒスイだと分かると、一度深く深呼吸をして、ベッドへゆっくりと腰掛けた。
「貴方は……ヒスイ様、ですね」
「言葉を交わしたのは何年ぶりになるか」
自分の喉から発せられた声とは思えない、低い声。
目の前に、自分と同じ顔をし、額に二本の角と頬の鱗を生やした青年がいるような感覚に陥る。ヒスイは床に座って片膝を立て、その上に頬杖をつき、鋭い犬歯を見せて笑っている。
恐怖は感じなかった。ジェードは、自分と同じ顔を真っ直ぐに見据える。
「どうしたら、この身体からいなくなってくれますか?」
「ハ、面白い事を言う。俺が消えたら、龍の力は使えなくなるぞ? リュウソウカの繁栄も潰えるだろう」
「……僕の中にいるならば、僕の考えている事は分かりますよね? 僕は貴方の人格が消える未来を知っています」
ヒスイ笑ったまま答えない。それを肯定と受け取ったジェードは、話を続ける。
「僕にはもう、リュウソウカの繁栄はどうでもいい事です。それよりも、僕はセルリアさんと共に生きる道を選びたいんです」
自分の全てを捨てて会ったばかりのジェードを救ってくれたセルリアを、今度は自分が救いたい。
「その為に俺の人格を追い出したいと。フ、言うようになったな」
消えて欲しいと言われているようなものなのに、ヒスイは少しも怒る様子を見せなかった。
「まあ、その話はここまでにしよう。今はそれを話す為に出て来たわけじゃない。毒龍についてだ」
「毒龍様……?」
自分の人格が消える事には興味がないようで、突然話題を変えてきた。
毒龍は、ヒスイを知っているようだった。旧知の仲だから話でもしたいのだろうか、と思ったが、彼の次の言葉に、ジェードは前髪の奥で目を見開いた。
「お前はこの島を出たいのだろう? この島を出るには、毒龍を殺さないといけない。お前にそれが出来るか?」
「な……! 毒龍様を殺すなんて出来ません! だって、貴方と毒龍様は知り合いなんですよね!? そんな事——」
「あいつが俺の行く先を阻むのならば、殺しても構わん」
ニヤニヤと口元を吊り上げながら言うヒスイに、戸惑いや躊躇は感じられなかった。
龍はこんなにも非情なのか、とジェードの怒りがふつふつと湧いて来る。
「いい加減にしてください! 僕は毒龍さんを殺す気はありません!」
「話し合いで解決するとでも? あいつは俺の力が無ければ止める事は出来んよ」
「でも、僕はここを出る為に貴方の力は使いません……!」
「——だが、お前は——」
ヒスイの言葉は、突然部屋へ入って来たセルリアによってかき消された。セルリアの登場により、目の前にいる錯覚を受けていたヒスイの姿は消えてなくなる。
ジェードを心配するセルリアを宥めながら、ヒスイの最後の言葉が気になっていた。
ヒスイは、何を言おうとしたのだろうか。
きっと「だが、お前は俺に頼らなくてはいけない状況になる」とでも言いたかったのだろう。
小舟の上で目を醒ましたジェードには、痛い程理解出来た。自分が、無力だった事を。
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