鬼の国と別れ

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 ジェードが目を醒ますと、背景は地平線ではなく、何処かの海岸だった。少し痛む頭を抑えながら起き上がる。ジェードは小舟の上ではなく、砂浜の上に寝ていたようだった。自身についた砂を払い、辺りを見渡す。  乗っていたはずの小舟が何処にも見当たらない。小舟に乗っていた荷物はジェードの隣に置かれていたのだが、セルリアの姿が無い。 「セルリアさん……?」  不安になって彼女の名前を呼ぶ。キオ島に漂流した時のようなシチュエーションだが、セルリアの姿だけが無い。  まさか、と最悪な予感がジェードの脳裏を過る。ジェードの意識が無い時に、ヒスイが表に出ていたとしたら―― 「おい、俺があの女を殺すわけがないだろう」  突然自分の口がヒスイの言葉を発する。ジェードは自分の口を手で押さえてから、眉間に皺を寄せた。 「信用出来ません」 「随分と嫌われたものだ。俺はあの女を担いでここまで飛んで来たんだ。むしろ感謝して欲しいくらいだな」  ヒスイの話によると、最初は小舟でシャヨメを目指していたのだが、天候の悪化が懸念された為、龍の翼を使ってセルリアを担いで飛んだという。それならば、小舟がここにない事に理由がつくが―― 「ですが――」  それでもヒスイが信用ならず、否定しようとしたが――背後から砂浜を踏みしめる音が聞こえ、勢いよく振り返った。  そこにいたのは、セルリアだった。 「あ、ジェード……だよね?」 「セルリアさん!」  あまりに必死な形相をしていたのか、セルリアは驚いた表情を見せた。 「ど、どうしたのジェード」 「だって、起きたらいなかったから……」 「あ、ごめんね。一緒に連れて行こうと思ったんだけど、荷物もあったから……置いて行っちゃった!」  セルリアの話によると、ヒスイが言っていた通り、彼が飛んでここまで連れて来たらしい。この海岸に着いた途端、ヒスイは眠り込んでしまったそうだ。  ジェードを連れて行きたかったが、大きな荷物と両方持って行けなさそうだったので、近くの家へ行ってここは何処か住人に聞いていたという。 「そうだったんですね。すみません、ヒスイ様が嫌な思いをさせてしまったのではないですか?」 「毒龍さまを殺して嫌な奴だけど、あたしの中の毒を抜いてくれたり、ここまで飛んでくれたりしたから、嫌な思いはしていないよ!」  ヒスイだった時は、ジェードの意識は無い。しかし、ジェードの心配をよそに、セルリアは首を振ってそう言った。心配させないように言ったのかもしれないが、ジェードの心にわだかまりが残った気がした。 「それより、ここはやっぱりシャヨメだったよ! 無事着いたみたい!」  シャヨメ。鬼のヴェニットの故郷であり、脱獄したジェード達に薦めてくれた街。ここでヴェニットの兄に出会えれば、セルリアと二人の安住地が見つかるかもしれない。 「ヴェニットさんのお兄さん……お会いできるでしょうか?」 「ロクショウさんっていうんだって。シャヨメのお偉いさんだけど、船員さんがヴェニットの手紙を渡していれば会えるはず」  ヴェニットは、船員へ兄宛の手紙を渡していた。順当に航路を進んでいれば、船は既にシャヨメへ着いているはずだ。ここは停留所では無いので船の有無は確認できないが、無事に着いている事を信じて、ロクショウの住む屋敷へ向かう事にした。  ロクショウの屋敷への順路は、セルリアが住人に聞いてくれていた。要領よく行動できるセルリアに尊敬の念を抱きながら、彼女の後を続く。  シャヨメは、異文化を取り入れ始めている地なので、アンセットのような瓦屋根の木造住宅は少なくなりつつある。和装の人の姿もまばらだ。  ヴェニットのように、シャヨメに住む人々も鬼なのかと、見渡してみるが、人間にしか見えない。ハクゲツのように角の無い鬼もいるのだから、見た目では判断できなかった。 「ジェードは、このシャヨメからアンセットに運ばれたんだよね」 「はい。あの時は必死だったので全然覚えていないんですけど、良い街ですね」  脱獄から慌ただしかったので、セルリアと二人で気兼ねなく街を歩いているのは、これが初めてだ。  まだそんな事を考えている場合ではないのだが、ジェードはセルリアと二人で歩くのを夢見ていたから、人目を気にせず歩けるのは嬉しかった。  セルリアの手を見て、ジェードは顔を赤らめる。勇気を振り絞り、その手を取ろうとしたが―― 「ここがロクショウさんの住む屋敷ね」  ジェードの手が触れる前に、セルリアの手はロクショウの屋敷を指差した。行き場を失った手を慌てて引っ込め、ジェードはセルリアの指差す方を見た。  アンセット伯の屋敷と比べたらやや小さいが、それでも立派なものだ。アンセットは東の国の和文化を取り入れた屋敷だったが、シャヨメはセルリアの故郷がある大陸の文化を取り入れたものとなっている。 白で統一された屋敷は、ジェードには見慣れないものだったが、セルリアには馴染みがあるのかもしれない。 「普通に正面から入って良いんでしょうか……?」 「え? じゃあ裏口から突破してみる?」 「そ、そうじゃなくて! 一般人の僕達が、簡単に領主の方とお会いできるんでしょうか……?」 「そうだね。とりあえず誰かに話しかけてみよう」  薔薇のフラワーアーチをくぐり、植栽で綺麗に整えられた庭へ入る。意外と使用人や護衛のような人に会えず、うろうろしてしまう。護衛の一人も配置されていないのは、シャヨメが平和だからなのか、それとも警戒心が無いからなのか。 「あ、いた!」  そう声を上げたのはセルリアだ。彼女の方へ行くと、水色髪の少女と共にいた。  年は十歳くらいだろうか。水色髪を二つに結っていて、前髪は太めの眉が見えるくらい短く切り揃えられている。青と緑の唐松模様の着物にフリルのついたエプロンを着ている。どうやらここの給仕のようだ。  見た目は純朴な少女だったのだが、一つだけ違ったのは――頭に生える、二つの耳だ。 「あ、猫耳生えている! 可愛いー。猫の魔物?」  セルリアは特に驚きもせずに、興味津々げに少女の猫耳を見下ろしている。猫耳の少女は、気に障ったのか、少し頬を膨らませてから、懐から紙を取り出して、ペンで何かを書き、こちらに見せてきた。 『わたしは まもの じゃ ありません。 ねこまた の ハナ です』  まだ字を覚えたばかりなのか、たどたどしい文字が連なっている。どうやら、このハナという少女は筆談で意思疎通をとるようだ。  猫又という単語に疑問を思ったのか、セルリアが「ねこまた?」と首を傾げた。 「猫又って……寿命よりも長く生きた猫の尾が二股になって、妖怪になるっていうやつですよね。初めて見ました」 「妖怪! 東の国には魔物じゃなくて妖怪がいるって聞いた事があるけど……こんなに可愛いんだねー」  セルリアは、ハナに全く警戒していないようで、彼女の頭を撫でている。ハナは照れ臭そうに頬を赤らめていた。 「ハナ、こんにちは。あたしはセルリア。こっちはジェードだよ」  セルリアが自己紹介をすると、ハナは慌てた様子で紙に文字を書いてこちらに見せる。 『わたしは ホンビアントけ に つかえる きゅうじ です。ごようけん は なんですか?』 「あたし達、ヴェニットの紹介でロクショウさんを訪ねに来たの。ヴェニットの手紙を受け取っているはずなんだけど……」 『かくにん します。すこし おまちください』  ハナは小走りで屋敷の中へと向かった。  ハナが戻るまで、庭を見ながら待たせてもらう。セルリアは花に興味があるようで、フラワーアーチや花壇を興味津々に眺めている。  ジェードは、今後が決まるかもしれないロクショウと会話が出来るのか、と緊張をしていた。 「ジェード、どうしたの? 元気ないね」  庭でぼうっと立っているジェードを心配したのか、セルリアがそう言いながら近寄ってきた。 「ここで今後が決まるかもしれないと思うと、何だか緊張してしまって」 「そうだよね、あたしも緊張しているよ」  余裕があると思っていたセルリアも、実は緊張していたようだった。花を見ていたのも、気を紛らわせようとしていたのだろう。  セルリアは、ジェードの手をそっと握った。 「あたし達ならきっと大丈夫。信じよう」 「……はい!」  脱獄をし、念願の東の国へ来られたのだ。これからどんな困難があったとしても、セルリアと二人なら乗り越えられる。  セルリアの言葉に、ジェードは力強く返事をした。
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