鬼の手助け

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 時は少し遡り、アンセット辺境伯屋敷内。捕えていた龍の男がいなくなった為、深夜にも関わらず兵達が走り慌ただしい。屋敷の一室から怒声が聞こえていた。 「お前がいながら、何取り逃がしているんだよビアン!!」  怒声を上げていたのはエルデ=ルッドだ。手入れのされている髪を振り乱し、目の前のビアンに怒りをぶつけている。 「……申し訳ございません」  ビアンは目を伏せながら謝罪する。  明日、龍の血を引く希少な男を魔王ネイジュに献上する為に幽閉していたが、ビアンの目がありながら、あっさりと脱走されてしまった。ビアンは魔王ネイジュの側近であり、エルデに剣を教えた才覚のある男だ。エルデもビアンを信頼しきっていたので、監視を全て丸投げしていた。 「リアトリス傭兵団に連絡しろ! そして兵を使ってアンセット領内を探せ! そんなに遠くへ行っていないはずだ!」 「既に命令はしています」  有能なビアンにより、命令の行く先が無くなったエルデは苛立ちながら膝上くらいの高さしかない机を足蹴した。机に積まれていた紙の山が地面に散らばる。ちなみに東の国を意識したこの屋敷では土足が禁じられているので、靴の履いていないエルデは足へ直にダメージを受ける。  痛む足を抑えて少し蹲ってから、エルデは涙目でビアンを睨む。 「ビアン! お前も行け! お前がいながら、なんてザマだ!!」 「は……承知……」  ビアンが了承しようとした時、一人の兵が手のひらサイズの透明なガラス玉を持って現れた。 「ビアン様、王より連絡が届いています!」 「ネイジュ様から……?」  ビアンは透明なガラス玉を受け取る。するとガラス玉の中で反対に映るビアンがぐにゃりと歪み、代わりに一人の女性が映し出される。  この世界では、魔法を使って便利な道具として造り出された魔具が存在する。この魔具は遠くの人と会話が出来るものである。 「ビアン。何処をほっつき歩いている? そろそろ城へ戻れ」  映し出された女性は、笑顔でビアンにそう言う。  黒に近い紫髪を頬の横で特徴的な結い方をした女性は、常時笑顔なのだが張り付けられているのが分かり、何とも不気味だ。  彼女がネイジュ=ルッド。暗黒地帯ディアンクを統べる魔王である。見た目は20代半ばの女性だが、いつも傍らにある常に火を灯す杖トーチを一振りするだけで一国を焦土にしてしまう程の力を持っている。 「……現在はアンセット領でエルデ様に同行しております。私の不手際の為、少し戻る時間が遅くなる事をお許しください」 「ほう? 何をしたんだ?」  ビアンはアンセットで起こった事件を事細かに説明した。ネイジュは顔をピクリとも動かさずに聞いていたが、全てを聞き終えて笑顔のまま考える素振りを見せた。 「龍の血を受け継いだ男……ねえ」 「俺が奴隷市で買ったんだ。姉上、リュウソウカの村人に関心を持っていたじゃないか。明日にでもそっちへ連行しようとしていたんだけど、ビアンが……!」  横から入って来たエルデが、ビアンを睨みながらそう言うと、ネイジュは弟に目を向けて、固定された笑顔のまま首を傾げる。 「龍を連れて来るのはエルデ、お前が決めたんだろう?」 「え? まあ、そうだけど……」 「ビアンは私の配下だ。勝手に使うな」  エルデはぐっと唸る。ビアンは魔王ネイジュの側近であり、弟のエルデの配下ではない。龍の血を受け継ぐ男を奴隷市で買った時、ビアンが偶然アンセット領を訪れたので声を掛けたのだ。エルデがネイジュの弟であるから、今回は協力してくれていただけだ。  ネイジュはガラス玉の向こうで、エルデを指差した。 「エルデ。龍の捕獲はお前一人でやれ」 「はぁ!? こうなったのはビアンのせいなんだぞ!? そんな事出来るわけがない!」  エルデは顔を真っ赤にしてガラス玉に詰め寄る。この事態になっているのはビアンのせいなので、自分が尻ぬぐいするのは腑に落ちなかった。 「ネイジュ様、エルデ様の仰る通りなので、龍の件は私が――」 「お前は黙れ、ビアン。私の命令に背く事は許さない」  ネイジュの横で、炎が爆ぜる音が聞こえた。ガラス玉から見える範囲では分からないが、恐らくネイジュの持つトーチの炎の勢いが上がったのだろう。ネイジュは固定の笑顔から感情は見えないが、傍らにあるトーチが彼女の怒りを表している。  ネイジュの怒りに触れ、ビアンはそれ以上何も発言をしなかった。顔を伏せ、癖のある長髪がビアンの表情を隠す。  ビアンが何も言わなくなったのを一瞥してから、ネイジュは弟に固定された笑顔を向ける。 「エルデ……一人で出来ないんだ。ふうん……」  突然口調が変わった事に、エルデはビクリと肩を竦めた。ネイジュは普段威厳があるような口調でいるが、一人の姉としての話し方は、エルデのトラウマがあった。  魔王になる前からネイジュは暴君であり、弟のエルデはよく泣かされた。昔の口調だと、その時の記憶が蘇り、エルデは反論できなくなってしまう。 「わ、分かったよ……。ビアンは姉上の元へ帰す」 「うん、楽しみにしているよ。可愛いエルデ」 「……っ、龍は必ず姉上へ献上してやるからな!」  エルデは歯噛みすると、逃げるように部屋を出ていった。残されたビアンは、手中のガラス玉に映る王に怪訝な表情を見せた。 「……よろしかったんですか?」 「良い。あいつはお前に甘え過ぎだ。たまには一人でやらせないとな」  いつの間にかネイジュの怒りで猛っていた炎は見えなくなっていた。笑顔は変わらないが、何処か清々しさを感じさせる。  無事ビアンを城へ戻す事が決まり、ネイジュは彼にいくつか雑事を命令し、ふうと長く息を吐く。 「それにしても、龍人か……戦力になるのなら、こちら側に来るのは助かるが。リュウソウカの人々が力を貸すとは思えないが。まあ、来ようが来まいが、どうでも良いんだがね」 「——ネイジュ様……」  ビアンは言いかけた言葉を飲み込んだ。  ネイジュが龍の血を引く男を口から手が出るくらい欲しいかと言ったら嘘になる。むしろそこまで執着していない。いればラッキー、いなかったらどうでも良いと思っている。  その男を捕まえるようエルデに命令したのは、ただ彼が自分の手のひらの上で奔走するのを見るのが楽しいからだけである。  王の悪い癖に、ビアンは嘆息した。エルデの心労が思いやられた。
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