1章 格闘ゲームのような合コン

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1章 格闘ゲームのような合コン

 なんて、くだらないんだ。なんて、無駄な時間なんだ。なんて、浅ましいやつらが跋扈している空間なんだ。合同コンパ、略して合コンのことである。  いや、もはや略語の合コンという言葉すら、古く感じる時代。かといって、それに変わる言葉を私が知っているわけではない。私はまだ老いてこそいないが、老い側にいると感じるときはある。それは十代や二十代前半の若者と触れ合ったときだ。  そんな新時代の若者であれば、略語すら長いと言いかねない。合コンも、コンパから一文字とって「今日、医者とパだから」とか言いかねないのではないか。アルファベットにして「昨日のGCマジ終わってたんだけど」とか言いかねないのではないか。  いや、もう既に言っているかもしれない。それぐらい、私の知らない場所で時代が勝手に動いていると感じてきた昨今。未来は既に私の手の中にはない。それは私の指の隙間から逃げていき、今は彼らの手の中にあるのだ。  だが憂いてばかりもいられない。夢や未来はなくとも、そんな超高速進化時代に取り残された「哀れな三十代の女」とは思われたくないのが本音の本音。  タイムリミットはあと三ヶ月。三ヶ月後のクリスマスイブの前々日に、私はめでたく三十歳を迎える。  多様性の時代やら、晩婚の時代やらで、今は三十歳で独身でも誰かに結婚を急かされるわけでもない。結婚話でなくとも、うちの上司は常に言葉を選んで部下に話している。無論私に彼氏がいるかの詮索などしてこない。だから、引け目を感じる機会は少ないのだ。  だが私は知っている。皆「まだ独身だったんだぁ、まぁ今は晩婚の時代だからね」と言いながら、その人が私を見る目に憐れみや蔑みが潜んでいることを。もし私が超絶な美貌の持ち主であったり、仕事に慢心する輝く働き女子ならそんな表情は潜まないだろう。  結局そのような積み重ねでもって、私は自分にどこか引け目を感じて生きている。毎日誰かの何気ない言葉や、ネットニュースのつまらない記事に振り回されて自分も含めた人間が嫌いになっている。  めでたく独り身三十歳になった二日後の「メリークリスマス」は、想像しただけで嫌だ。その数日後の「あけましておめでとう」もおぞましい。だがそれも、数カ月後に迫っている。  私だって、なんとなくわかっている。私は普通に結婚して、子供を産んで、パートで小遣いを稼ぎ、些細な趣味に勤しみ、金曜の夜だけ少し高いコーヒーを買って飲む。日々、そんな些細な幸福を感じることができれば万々歳の才覚の人間なのだ。  だからこそ、さっさと結婚くらいしておかないといけない。そのために私はこの虚無な空間に、わざわざ時間と労力と費用を削ってここに来ているのだ。化粧品も決して安物ではないブランドの...... 「ちょっと、寧々聴いてる? どこ見てるの? もしかして壁の模様見てた? もしかして、あなた建築学科?」 「えっ、あぁごめん。次私の番だったよね。何言おうか考えてて」    寧々は私の名だ。思い出す。昔は「ねぇねぇ、ネネ」と言ってよくからかわれた。彼らは今何を思い生きているのだろう。私はこんな風に立派に生きている。  そのように私は自分の世界に入っていたが、隣りにいた朋佳の言葉で、なんとか平静を取り戻した。あまりにも合コンが退屈すぎて、つい自己対話や人生考察を進めていたのだ。   「って、建築学科ってなによ! 別に壁の模様を参考にしてたわけじゃないから。私、こう見えてバリバリの保育科なんだから」 「なになに? 『こう見えて』もよくわからないけど、保育科に『バリバリ』って表現聞いたことないわよ」  朋佳に突っ込みながら時間を稼ぎ、自己紹介に何を言うか考える。  私はこれまで、何度自己紹介をしてきたのだろう。そして、人生であと何度自己紹介をするはめになるのだろう。こんなことを自分の番がきている中で考える余裕があるくらい、私は合コンで自己紹介を積み重ねてきた。  向かいの三人の男性が呆然としているのも確認できた。きっと、先ほどの私と朋佳の威勢の良い掛け合いに、ちょっと引いているんだろう。うるさい女は基本的にモテない。そんなこと、わかってる。  切り替えよう。自然体、自然体。
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