第三章 辺境伯はでがらし聖女を囲い込む

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第三章 辺境伯はでがらし聖女を囲い込む

 戦勝記念パーティ開催を三日後に控えたその日。  俺は陛下から個別の呼び出しを受け、王城を訪れていた。  侍従に案内された応接室でひとり陛下を待ちながら小さく呟く。 「聖女よ……俺は君の人生を狂わせてしまったな」  彼女は俺を治癒した後、二週間目を覚まさなかった。本音ではずっと彼女の側に付いていたかったが立場上そうもいかず、治癒を受けた当日と翌日だけ療養の名目で同じ天幕内にとどまり、以降は彼女のもとを離れて戦後処理に駆けずり回った。  そうして悶々とした思いで二週間が過ぎたある日。戦争捕虜の取り扱いについて協議する最中に、聖女目覚めの一報を受けた。俺は溢れるほどの安堵に全身の力が抜けて、思わず膝から床に崩れ落ちそうになった。もちろん、なけなしの理性を寄せ集めてなんとか醜態は避けたのだが。  ところが喜びも束の間、数日後に『聖女は聖力を失ったようだ』という衝撃の追加報告がもたらされた。正確なところは神聖省の判定を待たねば分からないとの補足説明に一縷の望みを繋いでいたが、今では数回の判定を終えてほぼ喪失は確定となったらしい。  能力を失えば、彼女の今後の暮らしは大きく変わる。少なくとも、王太子殿下との婚約を維持するのは難しいはず。もし彼女が苦しい立場に追いやられるのなら、その原因となった俺が責任を持って守って……いいや、詭弁だな。どんなに綺麗事を並べ立てたところで俺の本音はもっと単純。彼女を他の男の手に渡したくないのだ。  聖女にとって不幸な現状は、俺にとっては彼女を手に入れるまたとない機会。  治療用の天幕で下級騎士の治癒にあたる姿を見て、無性に惹き付けられた。そうして自身も満身創痍の聖女に嫋やかな手で傷を癒され、微笑みを向けられた。あの瞬間、俺は彼女に──。 「ベイシェンス辺境伯、待たせたな」  その時。  廊下側から扉が開き、陛下が応接室に顔を出す。俺は物思いを中断し、礼を取って陛下を迎える。 「よいよい、堅苦しいのは好かんのだ。頭を上げ、座って楽にしてくれ」  陛下に促され、対面でソファに座る。 「失礼いたします」 「其方とこうして顔を合わせるのは三年ぶりになるか。まずは此度の戦での其方の働きに礼を言わねばならんな」 「いえ。私は辺境騎士団長として当然の仕事をしたまでのこと。特別なことはなにもしてはおりません」 「相変わらず真面目な男よの。其方の父もそうであったが、辺境の地で愚直に国を守り続ける男とは皆そうなのやもしれんな。下手な賛辞と打算だらけのゴマすりに慣れ切ったこの身にはいっそ新鮮だ」  嘆息交じりの陛下の言葉に苦笑する。  ちなみに陛下と父は若かりし頃、同時期に王国騎士団に所属して切磋琢磨した時期があったらしい。その縁で、陛下は昔から俺にもこうして気安く接してくださる。  一拍の間を置いて、陛下が言葉を続ける。 「こうして呼び立てたのはな、どうしても其方に直接詫びたかったのだ」  陛下の口から飛び出した予想外の単語に首を捻る。 「詫び、ですか?」 「其方はカガール王国の森林と国境を接するトリンドル伯爵領のリスクに早くから目をつけ、進言してくれていたのだな。結論から言うと、其方の請願は国防に関する総責任者であった軍務大臣の手で対処不要の判断がなされ、私のもとに届いておらなんだ。結果的に其方の請願を無視する形になり、此度の結果を招いてしまった」 「左様でしたか」  ……そうか。なかなか返事をいただけず訝んではいたが、まさか陛下のもとに請願書が届いていなかったとは。  それにしても、聖女の治癒に関してドルトンに指示をしたのもたしか軍務大臣ではなかったか。 「軍務大臣は既に更迭した。理由はこの件だけではない。他にも奴の独断で乱暴な対処がなされた案件がいくつも浮上してな。今後の調査でさらに埃が出てくるかもしれん」  なるほど。では、ドルトンへの指示も奴の独断か。実家が太い傾向にある高位騎士の治療を優先することで金銭など、なにかしらの見返りを目論んだ可能性は高い。  陛下は疲れたようにこめかみのあたりを揉みながら吐息をこぼす。 「大臣らを掌握できていなかった私の責任だ。一国の王として、まったく不甲斐ない限りだ」  陛下はそう言うが、陛下が処理すべき政務は膨大だ。政治に関しても、小さな不正や汚職がたまに摘発されるくらいで、陛下の御世は近年類を見ないほど安定している。 「畏れ多くも、すべて完璧にこなすなど土台無理というもの。此度の戦争についても、王国騎士団派遣のタイミングは迅速で人選や装備等も適正。一国の単位で見れば、その被害は最小限で済んだといえる。陛下の采配に問題があるとは思いません」  もちろん俺は前線で指揮を執った当事者ゆえ、思うところがないわけではないが。それはそれだ。  陛下はなんともいえない複雑そうな表情で俺を見た。 「まったく其方は出来た男よの。よほど奴の育て方がよかったと見える。……して、其方は三日後の戦勝記念パーティには参加できんのだろう?」 「ええ。明日カガール王国に向けて発ちますれば」  戦後交渉の席に、俺も騎士方の代表として着くことになっていた。 「では、この場で聞こう。此度の戦勝の功労者たる其方に褒美を取らせる。なにか望みはあるか?」  胸が期待にドクンと跳ねる。  今日の接見に際し、俺はこの質問をこそ待っていたのだ。  俺は同じ天幕で療養していた二日間、自身の寝台を抜け出し幾度となく彼女の枕辺に足を運んだ。ろう人形のように色のない顔をした彼女の口もとに手を翳し呼吸があることを確認する度、まるで命が繋がったかのように安堵した。  同時に彼女を見ていると胸が切ないような、これまで覚えたことのない不思議な感情が湧き上がった。  気を失う直前、彼女はたしかに微笑んでいた。まるですべてやり切り、悔いはないというような晴れ晴れしい表情。  もしかすると彼女には、この結果が分かっていたのだろうか。少なくと予感はあったのだろう。すべてを失う可能性を知りながら、なぜ一切の躊躇なくあの行動が取れたのか。彼女のことが知りたかった。もちろん対外的な情報という意味ではない。  なにを好み、なにを見て笑い、なにを喜ぶのか。聖女という名を負ったひとりの女性の素顔が知りたいと、そう思った。  今思えばあの一瞬で、俺は恋に落ちていた。彼女を守るのは俺だ。彼女が今なお王太子殿下と婚約関係にあることは承知している。それでも、彼女を手に入れるチャンスがほんの僅かにでもあるならば、躊躇はしない。  愛する彼女を、俺の手中に──! 「私が望むのは、聖女セイラ・グラスフィールド男爵令嬢。彼女を私に賜りたく」  渇いた喉に空唾をのみ、この状況のためにずっと用意していた言葉を口にした。 ◇◇◇  婚約から結婚へ。当事者である私の心を置き去りに、嘘のような速さで事態は進んでいった。 「ぁああ~。なにがどうしてこうなっちゃったのぉ」  聖女を解雇(?)された私は住まいを王城から実家に移し、グラスフィールド男爵邸の自室でひとり頭を抱えていた。 「まぁまぁ、お嬢様! いつまでも寝台の上でゴロゴロしていませんで、ちゃっちゃと着替えて出発の準備をしてくださいまし!」  ノックもなしに部屋に入ってきたメイドのマリッサが、私が丸まっている寝台にズンズンと歩み寄り、問答無用で上掛けを引っぺがす。 「わぁっ!」 「シーツのような大物は昼までに洗って干し終えませんと、生乾きになってしまうんですから。ほら、ほらっ」  感傷に浸ることすら許してくれないこの所業。鬼畜だ。  だけどこれは、けっしてマリッサが冷たいわけでも悪いわけでもない。  我がグラスフィールド男爵家はいわゆる宮廷貴族で、領地を持たない。お父様は王城で文官として働いて生計を立てており、要はあまりお金に余裕がないのだ。もちろん私の聖女報酬はあるのだが、真面目な父がそれに手をつけることはなかった。  だから使用人は屋敷内の家事雑用を一手に熟すマリッサと料理人の二人だけ。母は早くに亡くなっており、私の十歳下の弟はまだまだなんやかやと手もかかる。そのため、マリッサはいつも忙しく屋敷内を駆け回っている。  それは私がベイシェンス辺境伯領に出発する今日も例外でなく、じっくり私の話を聞いて一緒に感傷に浸って……なんて余裕は彼女にはない。  寝台から追い払われた私は、仕方なく今日の輿入れのために用意されたドレスに袖を通す。  繊細な刺繍が施された絹地のドレスは、ベイシェンス辺境伯から贈られたものだ。彼は身ひとつで来てくれればいいと、嫁入りに必要なものをすべて揃えてくれた。  ただし、辺境伯本人は婚約内定から今日までの一カ月間、一度として私のもとを訪ねてはこなかった。この事実が存外私をへこませて、落ち込ませていた。  辺境伯は私に興味がない……ううん。きっと内心で陛下から押し付けられた婚姻を受け入れがたく、そして苦々しく思っているのだろう。辺境伯の名で示される細やかな気遣いは私のためではなく、辺境伯家の体面を考えての采配に他ならない。  やたらめったら触り心地のいいドレスを首もとまで引き上げながら、ため息が漏れる。  陛下が直々にセッティングした縁談だもん。厭わしい花嫁とはいえ、粗略には扱えないよね。望まぬ結婚はお互い様のこととはいえ、散財させてしまい申し訳ない。 「……お嬢様、そう思い悩まずとも大丈夫。なるようになるものでございます!」  私の後ろに回り、背中の飾りボタンを留めるのを手伝いながらマリッサが唐突に口にした。 「え?」 「夫婦なんてものは、十組いれば十通りの形がありますよ。お嬢様たちのご結婚は切欠こそ少々アレでございましたが、これからお嬢様たちなりの夫婦の形を見つけていけばいいだけの話です。お嬢様は聖女も引退されて時間だけはたっぷりあるんですから、おふたりでじっくり向き合えばようございます」  そっか、『なるようになる』かぁ。それに、『私たちなりの夫婦の形』ね。  マリッサの実直で飾らない励ましの言葉は、かなり私の心に響いた。 「ふふっ、ありがとうマリッサ。あなたのおかげで、この結婚にも希望が見えてきたわ」 「それはなによりでございます。……あらあら、そろそろ出発のお時間ですね。きっと旦那様と坊ちゃまが下でお待ちですわ。急ぎましょう」  そうして私はお父様と弟と別れの挨拶を済ませ、ひとり辺境伯家から寄越された迎えの馬車に乗り込み、王都を後にした。  王都から辺境伯領までは、馬車で三日。  同乗者もおらず時間だけは潤沢な車内、私はずっと夫となる辺境伯との〝夫婦の形〟について考えていた。  私たちはお互い望んで一緒になるわけじゃない。でも、いがみ合いたいわけじゃない。  ちなみに王都にいる間、私は辺境伯に纏わる『無作法者』やら『野蛮人』やらの悪評について少し探ってみた。すると、悪評などなんてことはなく、改めて社交界の陰湿さと身勝手さにげんなりする結果になった。  例えば悪評その一。『夜会の招待状を出したのに、返事もないまま欠席した。招待を受けた際の、最低限のマナーも分からんような無作法者だ』とのこと。……いや、これは単に国境の守りで城を空けているタイミングで招待状が届き、返事を認めるより先に夜会の開催日になってしまったというだけの話では?  悪評その二。『たまたまベイシェンス辺境領の近くに行く機会があり領主館を訪ねたら、髪はざんばら髭は伸ばしっぱなしの薄汚れた様相で現れた。客人を迎える際のマナーを知らないとんだ野蛮人もいたものだ』とのこと。……いや、これも国境の守りから帰還したタイミングなら当たり前のことで、まさかこの客人は身なりをピッチリ整えたフロックコート姿で国境を見張っているとでも思っているのか。  これらを知るにつけ、憤りが湧いた。同時に、自分自身に纏わりつく評判も思い出した。『しがない男爵令嬢のくせに王太子妃の座を射止めようと欲を出すから、罰が当たってでがらしになった』などと、面白おかしく嘯かれているのである。  ……うん。前評判の悪さは完全にお互い様だ。  そもそも社交界の噂なんて、まともに取り合うのも馬鹿らしい。  ただし、辺境伯の人となりに過剰な不安がなくなったとはいえ、この結婚が双方にとって不本意なものであるのに変わりはなく……。  こうして三日間考えに考えた結果、「だったら、私は辺境伯の〝お飾り妻〟として奥様業をすればいいわね!」と、私の心は決まった。  我ながら名案である。 「セイラ様、間もなく辺境伯領に入りますので後二時間ほどで屋敷に到着いたします」 「はーい」  馬車に並走する護衛の騎士から窓越しに告げられて、私は笑顔で返した。  無事に方向性も定まり、存外前向きな思いで辺境伯領に入るのだった。
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