第一章 婚約破棄されたからって、悪評まみれの辺境伯をあてがわないでください

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第一章 婚約破棄されたからって、悪評まみれの辺境伯をあてがわないでください

 隣国カガール王国との戦争が終結し、デルミア王国中が祝福に沸く。  今宵、煌々とシャンデリアが光る王城の大広間では、戦勝に寄与した功労者らが招かれて盛大な戦勝記念パーティが開かれていた。 「セイラ・グラスフィールド男爵令嬢。聖女としてのそなたの働き、実に見事であった。礼を申そう」  聖女として多くの負傷者を救った私も、功労者のひとりとして参加し、今まさに国王陛下から直々にお言葉を賜っていた。  ちなみにこの世界は、魔石を電気やガスのようなエネルギーとして使っている。ならば魔法もありそうなものだが、不思議な力は唯一聖女が有する聖力──〝治癒能力〟のみ。魔法の力でなんでも自由自在と、夢のようにはいかない。  そして、私はこの世界に実に三十年ぶりに誕生した聖女だったのだが……。 「身に余るお言葉でございます」 「して、そなたの聖女としての力が枯渇したというのは本当なのか?」  私が作法通りの礼で答えるや、陛下は待ちきれないといった様子で問いかけた。  陛下が王太子殿下や聖女を管轄する神聖省の担当官から詳細を報告されていないはずがない。それでも陛下は、私の口から直接聞きたかったのだろう。 「はい。事実でございます。時期を空け、神聖省で二度調べましたが、いずれも一片の聖力も認められませんでした」  陛下は痛ましそうに表情を歪めた。  これまで気安く言葉を交わすことはなかったが、同じ王城に暮らし顔を合わせれば挨拶くらいはさせていただいた。  その度に、気遣いと労りに満ちた言葉をもらっていた。お優しい方なのだ。それこそ婚約者であり、未来の夫と定められていた王太子殿下よりも、ずっと。 「さようか。聖力を失ったそなたを、このまま聖女として王城に置いておくわけにはいかん。すまんが、聖女の任からは解かせてもらうことになる」  陛下はすまなそうに告げるが、当然のことだ。 「承知しました」  前線で傷ついた騎士たちを前にして、力の出し惜しみなど出来なかった。そうして終戦直前、最後の力を振り絞って重傷者を癒し、私は倒れた。目覚めた時、私の聖力は枯渇していた。  この結果に後悔はない。役目をやり切ったと自分なりに納得し、満足している。もし同じ状況に戻ったとしても、間違いなく同じ行動を取るだろう。  ……そういえば、最後に助けたもさもさの黒熊みたいな騎士様はちゃんと元気になったかしら?  ふいに脳裏に、血や泥で汚れ切り人相も分からない状態で運ばれてきた男性のことが思い浮かんだ。傷は塞げても失った血までは戻せないから、ひどい創傷を負っていた彼のその後が気になった。 「それと……」  陛下がさらに言葉を続けようとして言い淀む。  その様子から察した私は、陛下が再び口を開くより先に申し出た。 「陛下。差し出がましいかと思うのですが、聖女としての能力を失った私に王太子妃は務まりません。ですので、どうか王太子アルフリート殿下との婚約は白紙としていただけますようお願いいたします」  数日前、婚約者であるアルフリート殿下が私のもとを訪ねてきた。  彼は私に聖力枯渇の真偽を問うた後、開口一番に『聖女でもない一介の男爵令嬢に、王太子妃は務まらん。お前との婚約は破棄する』と言い放った。  異論はなかった。いつも不愛想で偉そうなこの男との結婚が無くなったなら、私としてはむしろラッキー。ただ、思いやりの欠片もない傍若無人な態度と物言いには、さすがにカチンときたが。  こんな経緯があったから、陛下の言いたいことは分かっていた。  ちなみに、私の聖力の枯渇が知れ渡るや、一部で『でがらし聖女』などと揶揄されているようだ。加えて今回王家から婚約破棄されたとなれば、私は社交界で完全な傷物扱い。もう良縁は望めないだろう。  だけど、それがどうしたというのか。  日本で生きた二十年間の記憶を持ちながら、金髪碧眼の赤ん坊に驚愕の転生を果たしてから十八年。持って生まれた聖力のおかげで、ほんの幼女の時分から王城に召し上げられて聖女として働きづくめの毎日だった。これからは、今まで貯めた聖女の俸給で田舎に篭もってのんびり暮らすのだ。  前世も含め男性には縁がなく、結婚願望は希薄だ。おひとり様のまったりのんびりセカンドライフ、私にとってこれ以上の幸せはない。  陛下は私の申し出に目を見開き、次いで感極まった様子で私に向かって手を差し伸ばす。 「……惜しいことだ。諸事情を鑑みれば、一国の王として私はそなたの申し出を受け入れざるを得ない。だが、私個人としてはそなたを義娘として迎えられない状況が歯がゆくてならん」  え? 驚くべきことに陛下が私の手を取って、しかも僅かだが腰まで折っているではないか。 「セイラ・グラスフィールド男爵令嬢。改めて、そなたの献身と貢献に心から感謝を」  戸惑う私を余所に、陛下は私の手を恭しく持ち上げて指先にキスをした。 「っ!?」  陛下の行動に大広間内がどよめく。  騎士が淑女に敬愛や称賛を示す時、指先にキスを贈る。騎士道精神というのは、騎士を引退しても廃れない永遠のものだという。陛下は即位前、騎士団に所属する騎士だったというが、まさか一国の最高権力者にこれをされようとは思ってもみなかった。  そもそも知識としては知っていても、誇り高い騎士が実際に女性の指先にキスを贈る場面など見たことがない。動揺しないわけがない。  驚きに固まる私に、取っていた手をそっと解きながら陛下が告げる。 「せめて、そなたが次の相手に困らぬよう力を尽くさせてほしい。実はひとつ当てがあってな」  ……え? ちょっと待って。『当て』もなにも、陛下が私との婚約を打診した時点でそれは拒否権なしの王命に変わる。そんなの私にとってはもちろん、お相手の男性にとっても、降ってわいた迷惑でしかない! 断固拒否だ!!  私は慌てて遠慮を口にしようとするが、それよりも一瞬早く陛下のもとに側近がやって来て、陛下に耳打ちする。 「ご歓談中に失礼いたします」 「ん? どうした?」  陛下と側近のやり取りを邪魔するわけにもいかず、やきもきしつつ口を噤んで待つ。 「──セイラ・グラスフィールド男爵令嬢。もう少し話したかったが、火急の用ができ行かねばならなくなった。此度の件は私がよきに取り計らうゆえ、そなたは心配せず待っているといい。ではな」  言うが早いか、陛下は側近を従えてくるりと背中を向けてしまう。 「ちょっ、陛下!? お待ちください……っ!」  無礼を承知で声をあげたが、振り返った側近にひと睨みされただけで、陛下は足を止めることなく行ってしまった。  ……嘘でしょう? 国王陛下直々に次の結婚相手を手配してくれちゃうとか、いったいどんな罰ゲーム……いや、待てよ。  冷静になろう。陛下は多忙だ。普通に考えて、いくら私が国の功労者とはいえ、たかだか元聖女の結婚話に即刻動きだすわけがないのでは?  なら、新しい婚約者は不要だと手紙に認めて明日の朝一番で陛下にお渡しすれば、この話は立ち消えになるだろう。  そうよね。さすがに私の気持ちを知った上で強引に婚約を組むようなことはしないはず。  陛下に待ったをかけるのに十分な猶予はある。 「突然の話にちょっと焦りすぎたわね。なんだか安心したらお腹が空いちゃった。せっかくだもの、美味しいお料理をもらってこようっと」  すっかり気を取り直した私は、陛下が退出して無礼講となったパーティで美食を堪能した。  ところが、私の浮かれ気分はたったひと晩で一転することになる。  蓋を開けてみれば私に猶予なんてものはなく。なんとパーティの翌朝。私が侍女に陛下宛ての手紙を預けるよりも先に、封蝋がなされた陛下直筆の手紙が届いたのだ。  冷や汗を垂らしながら侍従から受け取って、震える手で開封すれば──。 【ライナス・ベイシェンス辺境伯が貴殿との婚約を望んでいる。この婚約に異論なくば、私の名でふたりの婚約発表を行うゆえ、貴殿からの返答を待つ。】  目に飛び込んできた無情な文章に慄き、ガクンと床に膝を落とした。  嘘でしょう! なんで昨日の今日で私の婚約話が進展してるの!? そんなのあり!?  やっと聖女をお役御免できて、まったりのんびりセカンドライフが送れると思ったのに。あぁああ、いったいどうしてこんなことに。  しかも、お相手として挙がったライナス・ベイシェンス辺境伯の名前に二重の衝撃を受ける。  先月まで同じ戦場にありながら、彼の辺境伯と私に面識はない。だから実際の人柄など知る由もないのだが、彼は社交界において控えめに言っても、かなり評判が悪いのだ。  なにがどうなって陛下は私の婚約者にそんな人を選んだの?  もしかして、優しいと思っていたのは勘違いで、本当の陛下は極悪非道なのではないか。ともすれば、そんな疑念すら浮かんでくる。  なんにせよ、先方が了承した婚約を聖女を引退したしがない男爵令嬢の私が断れるわけがない。  陛下からの心づくしを装った、とんでもない迷惑行為に涙が止まらない。  手紙の中で、陛下は私からの返答を求めている。返事を認めて侍従に持たせなくてはと思いながら、とてもではないが筆を取る余力はなかった。  それからどれくらい経っただろう。私が気付いた時には側に控えていたはずの侍従がいなくなっており、まさか侍従から陛下に『元聖女は感涙にむせんでいた』と伝えられていようとは誰が想像できるというのか。 「うぇえんっ、私のまったりのんびりセカンドライフを返せーっ!」  泣いても、叫んでも、後の祭り。悲しいかな退路は完全に断たれ、その日のうちに私とライナス・ベイシェンス辺境伯の婚約が、陛下より満を持して発表されたのだった。
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