最終章 でがらし聖女と辺境伯は仲良し夫婦になって、スローライフを満喫中

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最終章 でがらし聖女と辺境伯は仲良し夫婦になって、スローライフを満喫中

 セイラと同じ寝台で眠るようになって一週間ほどが経ったある日。 「そういえば、辺境騎士団に黒髪の方って多くおられるのでしょうか?」  三時のお茶の席で、セイラがふいにこんなことを口にした。  色素が薄い者が多いこの国で俺のような黒髪は少数派だ。だが、だからといってまったくいないわけではない。 「そうだな。団全体でも十人くらいか。それがどうかしたか?」  少し考えてから答え、すっかり気に入りとなったセイラ特製のおやつ、ポップコーンに手を伸ばす。五、六粒を一度に掴み、口に放り入れた。  ん!? これは、はちみつ味か──!  なんと、今日のポップコーンはいつもと違い甘い味付けがされていた。塩やハーブ、スパイスで味付けされたしょっぱいポップコーンも美味いが、これもまた絶品だ。 「ふと思い出しただけなんですが、私の最後の患者さんがその十名の中にいると思うんですよね」  セイラの答えに、ふた掴み目を取ろうと伸ばしかけた手がビクンと跳ねた。 「毛に覆われて相貌は分かりませんでしたが、たしか身長は百九十センチくらいで筋骨隆々のガッシリした……あぁ、それこそ旦那様くらいの体格だったはずです。ただし、その方はもさもさの黒熊のような風貌でしたから、いつもピシッとした旦那様とは似ても似つきませんが」  ……もさもさの黒熊?  だらだらと冷や汗がこめかみに伝う。 「とにかく、怪我は私が癒したので塞がっているのは間違いないんですが、なにぶん出血がひどかったので。後遺症などなくちゃんと復帰できているか気になって……旦那様? どうかされました?」  ポップコーンの皿に手を伸ばしかけた体勢のまま岩のように固まっている俺に気づき、セイラがコテンと首を傾げた。  セイラがたまにするこの仕草が可愛くて俺は好き……いや、今はそれよりも!  俺は腕を引っ込めて膝の上で拳を握り、背筋を伸ばしてセイラを見つめた。そうしてお茶の時間なのに、緊張でカラカラに渇いてしまった喉にゴクリとひとつ唾をのみこんでから口を開いた。 「セイラ。驚かずに聞いてくれ」 「はい」 「いつもピシッと身支度を整えている人間とて、一カ月髭を剃らず、満足に水浴びもままならない状態で髪を放置していると『もさもさの黒熊』に変貌する」 「……へ?」  ポカンとした顔で俺を見返すセイラに、罪悪感が刺激される。 「端的に言う。君が最後に治療した『もさもさの黒熊』は……俺だ」 「え? えっ!? ぇえええーっ!!」  仰け反って驚きの声をあげる彼女を見るのはこれが二度目だが、やはり可愛い……いや、今はそうではなくて! 「すまない。騙そうとしたわけでも、正体を隠したかったわけでもないんだ。ただ、俺と初対面だと思って疑わない君を前に、なんと説明したものか迷ってしまい。ついそのまま──」 「ちょっと待ってください! すると、なんですか!? 旦那様は私が聖力を失くした責任を取って娶ってくださったのですか!?」  セイラがハッと気づいたように、ガタンと椅子から立ち上がる。その目は傷ついた色を宿し、テーブルについた手は小刻みに震えている。 「違う! それだけは断じて違う!」  俺は即座に否定して蹴るように椅子を立つと、セイラの足もとに跪いてドレスの裾を戴いて口付ける。  セイラは傷ついた表情から一変、ギョッとしたように目を瞠った。  これは〝尊崇〟を示す行動だ。要は、主に服従の意を誓うものだが、あまりに前時代的で屈辱的だと今では廃れた風習でもあった。だが、俺の心を表すにはこれが相応しいと思った。 「責任なんかじゃない。愛しているから、君を望んだ。俺は君から治癒を受けるよりも前、戦場に凛と立つ君の姿に惚れたんだ。君は患者の重傷度だけを判断基準に、下級騎士にも分け隔てなく治療を施していたろう。それを見て、俺は強く惹き付けられた」 「……旦那様」  俺は膝を突き、ドレスの裾を戴いたまま彼女を仰ぎ見た。  屈辱的? もとよりセイラに生涯を捧げる心づもりの俺に、そんなことは関係ない。絶対服従も望むところだ。セイラの前でなら、俺は何度だって喜んで膝を突く。 「戦勝記念パーティの三日前のことだ。戦勝の功労者として陛下が俺に褒美を取らせると、そうおっしゃったんだ。俺はあの時点で君がアルフリート王太子殿下の婚約者だと知りながら、陛下に君との結婚を願った。絶対に他の男の手に渡したくなかった。君を手に入れるためには形振りなど構っていられなくて、結果的に君の意思を無視した行動を取ってしまったことは反省している」  苦い思いを噛みしめて頭を低くする俺の頭上に、朗らかな笑い声が響く。  それは俺にとってあまりに予想外の反応で、驚いてガバッと顔を上げた。 「ふふっ、ふふふ。なるほど、そういうことだったんですね。それにしたって婚約解消が成立していない段階でその行動は、ずいぶんと思い切りましたね。旦那様にお咎めがなくってなによりですよ」 「君は俺に怒っていないのか?」 「えー、怒りませんよ。だって、王太子殿下って不愛想で偉そうでしょう? 私は殿下の婚約者に決まってからずっと『あーあー、この人と結婚するのやだなー』って思っていたんです。終わり良ければすべて良しって言葉もあるくらいです。旦那様の奥様になれて、こんなに幸せなことはありませんよ」 「……やはり、君には敵わない」  胸に熱い歓喜が巡る。 「ふふふっ、なんですかそれは」  セイラとの出会いは僥倖。俺は一生涯彼女を愛し敬って過ごしていくのだろう。  ひとり確信しながら、カラカラと朗らかに笑うセイラを眩しい思いで眺めるのだった。 ◇◇◇  予想だにしない『もさもさの黒熊』の正体を知り、度肝を抜かれた翌日。  私はベイシェンス辺境伯邸のそれはそれは広い庭先で、ひとりピクニックを満喫していた。心地いい木陰にシートを敷いて、サンドイッチの昼食に舌鼓を打つこの至福。  ……ああ、これよ~。これよ~。私が欲しかったのはこういうまったりのんびりした時間なのよね。  前世も聖女時代も、毎日がせわしなかった。焦がれに焦がれ、ついに手に入れた憧れのスローライフにホゥッと感嘆の息をこぼす。  ちなみに現在、旦那様は辺境騎士団の鍛錬に出かけていて不在である。寂しいかと思いきやそんなことはない。だって、朝夕の食事と三時のお茶の時間、なんなら最近は夜の時間までほぼほぼ一緒に過ごしているからね。  うん、お昼くらいひとりの時間を過ごすのがちょうどいい。  その時。目の前の梢が揺れたと思ったら、突如木々の間からもさもさの黒熊2号が現れた。 「あぎゃぁー!?」  私は突然の闖入者に、仰け反って叫んでいた。  なんで!? どうしてもさもさの黒熊がもう一頭いるの!?  しかも、のっしのっしとこっちにやって来たと思ったら、我が物顔で私のシートの上に胡坐で座ってる! ついでにバスケットの中を、めっちゃ覗いてるんですけど! 「ほぅ。美味そうな物を食っているな」 「め、召し上がりますか?」  口もとをヒクヒクと引きつらせつつ尋ねる。 「いいのか?」  いや、いいもなにもこの状況で拒否権ないよね。 「……どうぞ」  私はバスケットごと、もさもさの黒熊2号に差し出した。  それに、私がこんなにあっさり受け入れたのには訳がある。実はこのもさもさの黒熊2号……って、もう面倒だから2号さんでいいや。とにかくこの2号さんの正体に、おおよそ予想がついていた。だって色といい、体格といいそっくりだよね? ……うん。 「ん? ソースが美味いな。これはなんだ?」  サンドイッチに大口で齧り付いた2号さんは、驚いたようにサンドイッチの断面を眺めていた。 「そのソースはマヨネーズといいます。ザックリ言うと、卵とお酢、油をよく混ぜて作っています」  レタスとトマト、ベーコンを挟んだシンプルなサンドイッチだけど、マヨネーズを入れるだけで別物のように美味しくなるのよね。 「たったそれだけで、このまろやかな味わいになるのか」  2号さんは感心したように何度も頷いて、あっという間に四個のサンドイッチを完食した。食べっぷりのよさも彼によく似ていて、思わず笑みがこぼれた。 「ふふっ。よかったらこれも食べますか?」 「なんだそれは? 初めて見るな」  2号さんは、私が差し出した瓶入りのポップコーンを物珍しそうに受け取った。 「ポップコーンという食べ物です。食事というよりおやつですが、旦那様……ライナス様はこれが大好きなんですよ。屋敷の方たちの評判も上々ですし、きっとお義父様にも気に入っていただけると思います」 「なんだ。俺のことが分かっていたのか」 「分かりますよ。だってライナス様にそっくりですから」  やっぱり2号さんは、お義父様だったか。これからは、お義父様と呼ばせてもらおう。  ちなみに、お義父様に正体を言い当てられたことを驚く様子はない。 「そっくり……。そうか」  髪が目もとを隠してしまっていて表情は窺えないが、その声がどことなく嬉しそうだった。たしかに息子と似ていると言われ、嫌だと感じる人は稀だろう。 「あ、ちなみに私はライナス様に嫁いできましたセイラと申します」  お義父様が苦笑するのが気配で分かった。 「知っている。というか、聖女を知らないわけがない。以前、遠巻きにだが神殿で治癒に勤しむ君の姿を見たことだってあるぞ」  聖女時代、神殿には治癒のために定期的に通っていた。高位貴族が神殿を訪れる機会は少なくない。お義父様の参拝日が、たまたま私の治癒の日にかち合ったのだろう。 「たしかに元は聖女でしたが、今はただのセイラですよ。セイラと名前で呼んでください」 「そうか。セイラだな」  お義父様は瓶の蓋を開けると、大きな手で一度に五、六粒掴み上げ、ひと息で頬張る。  ……うわぁ! 豪快な食べ方まで同じだ! 「ん!? なんだこの食感は!」  お義父様は咀嚼しながら、驚きの声をあげた。 「面白い食感ですよね。そのポップコーンは塩味ですが、キャラメルやはちみつで甘くしても美味しいです。お酒のおつまみなら、ハーブやスパイスでピリッとした味付けにすると相性抜群ですよ」 「それは大変興味深いな。……ところで、これの原料はなんなんだ?」 「飼料用に備蓄してあったトウモロコシです」 「なんだと? トウモロコシがこんなふうになるのか?」  お義父様は腕組みして唸っているけれど、残念ながら爆裂種と呼ばれる品種しかこうはならない。 「いえ、普段飼料にしている品種ではこうはなりません。これは皮が硬すぎると突き返された物で、爆裂種という別の品種なんです。この品種のトウモロコシは加熱すると中の水分が膨張しますが、硬い皮はその圧に耐え切れずに弾ける特徴があります。こういう食べ方をすれば美味しくいただけますが、逆を言えば他に使いどころのない品種とも言えますね」 「他に使いどころがないだと? とんでもないぞ。こんなに美味いのだから、この調理法ですべて食せばなにも問題ない」 「たしかに、それもそうですね」  どうやらポップコーンは大層お気に召していただけたようだ。  親子だなぁ。それに、お義父様も身なりを整えたら、もの凄いイケオジになりそうだし。ふふふっ、楽しみだ。 「セイラ!」  私がニマニマと頬を緩めていると、屋敷の方から旦那様がこちらに走ってくる。  旦那様はいつも三時のお茶の時間に滑り込むように帰宅する。今日はかなり時間が早いが、鍛錬は終わったのだろうか。 「おかえりなさいませ」  シートから立ち上がって迎えると、旦那様はいつも通り私を腕の中に閉じ込めて、頬にただいまのキスをする。  ……わわわっ、お義父様がいてもするのねっ。 「ああ、ただいまセイラ。父が迷惑をかけたようですまなかった」 「とんでもない。とてもいいお義父様ですね」  旦那様は抱擁を解くと、立ち上がって横からこちらを見ていたお義父様に向き直る。その眼差しが、ちょっとジトリとしている。 「おお、ライナス。今戻ったぞ」 「父上! なにが『今戻ったぞ』ですか。騎士団の食堂の給仕係から、うちに続く街道を父上が馬で駆っていくのを見たと聞かされて驚きましたよ。そもそもお帰りになったのならまずは屋敷に行って、セバスチャンにひと声かけてください!」  へー。旦那様って、お義父様相手には敬語でしゃべるんだ。  なんだかちょっと新鮮だ。 「そう喚き立てるな。裏門から入ってきたら、なにやら庭から透き通った歌声が聞こえてきてな」  ……え。私、鼻歌なんて歌っちゃってたの!?  無意識の行動、怖ぁ。 「歌声に誘われて来てみれば、お前の嫁御がおった。丁寧な挨拶を受け、美味い昼飯を馳走になったぞ。セイラは食への造詣が深いとみえる。これは飯や茶の時間が楽しみだ。いやいや、お前は実によい嫁をもらったな」 「父上の舌を楽しませるためにセイラを迎えたわけではありませんよ」 「はははっ! そう細かいことを言うな」  いやいや。私は料理人じゃないから、そうそう楽しいものなんて提供できない。  ただまぁ、前世でマヨネーズ程度のプチ手作りは結構してきたから、またなにか思いつけば作ることもあるかもしれないけど。 「それはそうと父上。戦中でもあるまいに、なんて格好をしているんです。人里離れた山にでも籠もってたんですか?」 「なに。たまには俗世を離れ、自然の中で過ごすのもいいものだ」  旦那様に呆れ眼を向けられても、お義父様に怯む様子はまったくない。 「どうでもいいですが、夕食までには身の回りを整えてくださいよ」 「分かってる分かってる」  ふたりの掛け合いが微笑ましい。ニコニコと見ていたら、旦那様がお義父様から私に目線を移す。 「セイラ。ずいぶん待たせてしまったが、父上も帰ってきたし領民へのお披露目式を開こう」  この国では、結婚は神殿に書面を提出することで成立する。私と旦那様もとうに提出を済ませている。書面提出を式に仕立てて、人に祝ってもらう習慣はないのだ。  その代わりに、結婚したことを親しい人たちに知らせ、祝ってもらうのがお披露目式。前世で言うところの結婚披露宴みたいものだ。  開催時期に関して厳格なルールなどはないが、結婚からそう日を空けずに開催される場合が多いという。 「はい、お披露目式については旦那様にお任せします」  私は嫁いできて早い段階で、旦那様から少しすまなそうに『お披露目式は父が旅から帰ってからでもいいか』と聞かれ、それで『なにも問題ない』と答えていた。  実際、お披露目式に特に拘りがあるわけでもないし、なんなら地味婚バンザイなタイプだから、やらなくたって文句はない。  ……まぁ、旦那様は辺境伯だからね。領民にお披露目しない訳にもいかないだろう。 「任せておけ! ……まずは聖堂の日程を押さえて。いや、それよりドレスの手配を急いだ方がいいな。セイラに最高に美しい花嫁衣装を用意しなければならんからな。セイラのご家族にも招待状を出して……あぁ、ドルトンにもだな。他には……」  私とは違って、どうやら旦那様はずいぶん式に拘りがあるようだ。『任せておけ!』の後、ひとりブツブツと呟いて、脳内で式の構想を膨らませるのに忙しそうだ。 「あの息子がこんなふうに素晴らしい伴侶を迎える日が来ようとはな……」  お義父様がしみじみと漏らし、東に向かって伸びる小道の方に顔を向ける。  ……あ。あの小道の先って、たしか霊廟に繋がっていたんじゃ。  お義父様の視線の先にあるものに気づき、私はお義父様の腕をトントンと叩きながら声をかける。 「あの、お義父様。私、今度『おはぎ』というのを作ります。それは邪気を払う食べ物として知られていて、お義母様へのお供えにピッタリだと思うんです。おはぎができたら、一緒に霊廟に連れていってくださいませんか? それでおはぎを食べながら、ぜひ生前のお義母様のお話を聞かせてください」  お義母様の墓前にはベイシェンス辺境伯領に来てすぐの頃、一度旦那様と行ったきりだ。  あれから一カ月以上が経っている。無沙汰をしてしまったが、今度、おはぎを持って旦那様とお義父様、みんなでわいわい近況を報告しに行こう。うんっ、楽しそうだ! 「……本当に、君は出来すぎるくらい出来た女性だな。セイラよ、これからもよろしく頼んだ!」 「うひょっ!?」  無警戒でいたところを結構な勢いで背中を叩かれて、素っ頓狂な声が出た。  すると、それを見咎めた旦那様が文字通り飛んできて、私を懐にギュッと掻き抱く。グェッ! 「ちょっと父上、なにセイラにちょっかい出しているんですか! いくらセイラの料理に惚れたからって駄目です、セイラは俺のですから」 「ハッ、馬鹿を言え。俺は今でもマリエンヌ一筋だ」 「父上が母上一筋なのは存じ上げていますが、それはそれです」  それにしてもこのふたり、仲がいいなぁ。  軽妙なふたりの会話を聞いていると、私まで楽しい気持ちになる。  それに胸のあたりがほんわか温かくなって、ちょっとムズムズする。  この感じはなんだろう? コテンと首を傾げながら、なんとなしに晴天の空を見上げた。  ……あぁ、そうか。きっと私は今この瞬間が愛おしくて、幸せでたまらないんだ。  心にストンと答えが降ってくる。  上空からお義母様がこっちを見て、笑っているような気がした。 「セイラ? ボーッと空なんか見上げて、どうかしたのか?」 「いえ。なんだか幸せだなーって、そう思ってました」 「そうか。君がそう思ってくれているなら嬉しい」  旦那様が優しく私の頭を撫でながら、蕩けるように微笑む。私も旦那様に笑顔を返す。  果てしなく広がる青空の下。大好きな旦那様と気のいいお義父様、親切な使用人のみんなに囲まれて、私の人生の第二章──最高に幸せなスローライフは、どこまでも続いていく。 END
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