レモンの蜂蜜漬け

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レモンの蜂蜜漬け

「あ……あの、アレ、アレクサ様……」  アレクサ様はその美しい眉を寄せ、何やら微妙な表情をしていらっしゃる。  ……まずい、これは絶対にさっきの私のセリフを聞かれてしまっている。アレクサ様を褒め称えるだけでは飽き足らず、最後に軽く告白まがいのことまで言ってしまった。 (せっかく少しずつ距離が縮まってきたところだったのに、今ので引かれちゃったらどうしよう……!)  焦った私は、今の恥ずかしすぎるセリフを有耶無耶にしてしまうため、バスケットにしまっていたレモンの蜂蜜漬けの瓶を勢いよく差し出した。 「あのっ、アレクサ様! これ、昨日約束していた差し入れの──」  と言った瞬間、瓶越しに強い衝撃を感じ、気がつけば私が作ったレモンの蜂蜜漬け入りの瓶は、地面のぬかるみの上に転がっていた。泥のおかげか瓶は割れてはいなかったが、落ちた衝撃でコルクの蓋が開いて中身がこぼれている。  呆然とする私の耳に、男性の怒鳴り声が響く。 「アンリ王子殿下への差し入れは禁止だと通達を出していただろう! まったく、殿下は視察のために来られただけで、お前たち令嬢の相手をする暇はないのだ!」  放心状態のまま、怒鳴り声の主へゆるゆると目を向ければ、文官のような格好をした男がふんぞり返って立っていた。 「それにしても、あんな粗末なものを持ってくるとは。本人が地味なら差し入れも地味だな」  うまく働かない頭で考えてみるに、どうやら今日は第二王子のアンリ殿下が騎士団の訓練の視察に来ていたらしい。どうりで令嬢たちの見学が多かったわけだ。そして、私が持ってきたレモンの蜂蜜漬けは、アンリ殿下への差し入れと勘違いされて、この偉そうな文官に跳ね除けられてしまったということのようだ。 (……違うのに。アレクサ様のために素材選びからこだわって、心を込めて作ったのに。ラッピングだって可愛くして……)  アレクサ様に食べてもらいたくて作ったレモンの蜂蜜漬けが、冷たい泥の中に転がっている。  それを見ていたら、目の奥がじわじわと熱くなるのを感じた。 「ちょっ、大丈夫!? あなたね、あの差し入れは……!」  デボラ嬢が文官に抗議しようとしている。なんだかんだ、彼女は優しいのだ。  デボラ嬢に感謝しつつ、もうアレクサ様にはあげられなくなってしまった泥だらけの瓶を拾うために一歩踏み出したそのとき。  アレクサ様がさっと瓶を拾い上げた。そしてそのまま薄切りのレモンを摘まみ、ためらうことなく口に含む。 「あっ、アレクサ様! ダメです!」  まさかの行動に驚いて止めようとする私に構うことなく、アレクサ様はレモンを食べてしまった。 「……甘酸っぱくて美味しい。ありがとう、シュゼット」 「アレクサ様……」  アレクサ様が私の差し入れを受け取ってくださった。  ぬかるみに落ちた瓶を手ずから拾い、泥が混じっているかもしれないのに、気にする素振りも見せずに食べてくださった。  美味しいと、ありがとうと、言ってくださった。  私の両目からぽろりと涙がこぼれる。 「アレクサ様……ありがとう、ございます……」  震える声でお礼の言葉を絞り出せば、アレクサ様は私を見つめたまま、わずかに口角を上げた。 「気に入ったから、また作ってきてほしい」  アレクサ様の優しい声音が胸に沁み入る。  きっと私に同情して言ってくださったのだろうけど、そうやって気遣ってもらえることが何よりも嬉しい。  もっと泣いてしまいそうになるのを必死に堪えて、こくこくと頷く。  そんな私にアレクサ様はふっと微笑み、「楽しみにしている」と返事をして騎士団の別棟へと行ってしまった。泥だらけになったレモンの蜂蜜漬けの瓶を持ったままで。 「なに今の……素敵が過ぎない……?」  両手を組み、乙女の顔をして呟くデボラ嬢に全力で同意しつつ、私はドキドキと高鳴る胸をそっと押さえるのだった。
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