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孤高の黒薔薇
「アレクサ様! 今日も騎士団の訓練、お疲れ様です!」
「……また君か。私に構うなと言っているだろう」
「タオルと冷たいお水をお持ちしましたのでどうぞ!」
「本当に話を聞かない人だな……」
アレクサ様は呆れたような顔をしながらも、私が差し出したタオルで汗を拭い、冷えた水で乾いた喉を潤す。
透明感のある陶器のような肌は、訓練上がりのためにうっすらと赤みを帯び、艶のある黒髪は風になびいて絹糸のように輝いている。
(今日も本当に麗しいわ……)
色香漂うそのお姿にうっとりしながら、私はアレクサ様とこうして差し入れを受け取ってもらえる仲になれたことを神に感謝した。
(よし、この調子で真の友情エンド目指して頑張るわよ!)
そう。ここは乙女ゲーム『幸せの迷宮』の世界で、私はそのヒロインである男爵令嬢シュゼットに転生したのだった。そして今、クールビューティーな男装騎士アレクサ様とのハッピー友情エンドを目指して奮闘中なのである。
『あなたの真心で幸せを取り戻す』がキャッチフレーズのこのゲームは、その言葉通り、何らかの不幸を抱えた攻略対象たちをヒロインがその真心で癒して幸せへと導き、最後に結ばれてハッピーエンドを迎えるという王道の乙女ゲームだった。
アレクサ・リヴィエールは、ゲーム発売後に配信された追加シナリオ『孤高の黒薔薇』の攻略対象だ。その生い立ちも本編の4人の攻略対象キャラクターたちに負けず劣らず不憫なものだった。
アレクサは幼い頃に母親を亡くし、喪が明けて早々にやって来た後妻──侯爵の長年の愛人だったらしい──に疎まれ、不遇の幼少期を過ごす。やがて彼女は自ら男装し、独力で剣術の練習を始める。侯爵家に見切りをつけ、一人で生きていく決意を固めたのだ。
そうして彼女が騎士団に見習い騎士として入団してから、ヒロインとの交流が始まる。
私はアレクサを幸せにすべく、女性らしい美しいドレスやアクセサリーをたくさん贈り、お茶会や舞踏会に何度も誘った。
それこそが正しい選択肢であり、美しいアレクサ様を社交界の高嶺の華にすることが、きっと彼女の幸せだと思ったから。
アレクサは初めは頑なに断っていたけれど、次第にヒロインを受け入れるようになった。
「──あなたを拒むことは無理だと分かりました。これがきっと、運命なのですね」
そして最後には彼女の整った笑顔と「HAPPY END」の8文字が入ったスチルを手に入れることができたのだった。
……でも、私は思い通りだったはずのその結末に、なぜだか満足できなかった。
シナリオ上ではハッピーエンド扱いだったけれど、本当にそうなのだろうか?
女性らしさを取り戻すことが、本当にアレクサの幸せだったのだろうか?
アレクサが求めていたのは、男装をしたありのままの彼女を認め、騎士の道を進もうとする彼女を応援することだったのではないか?
そう考えると、スチルで浮かべていた彼女の笑顔は美しかったけれど、氷のように冷え切っていたようにも思えた。
私はもっと彼女に寄り添うべきだったのでは?
ありのままでいいのだと伝えられていたら、もっと柔らかな笑顔を向けてもらえていただろうか。
そんなことばかり悶々と考えていた前世の私は、ある日、会社からの帰り道に自動車事故に巻き込まれ……そして今に至るというわけだ。
この世界に転生したことに気づいたときは、驚いたのと同時に嬉しくもあった。
アレクサのシナリオのことが本当に心残りだったのだ。
「明日はレモンの蜂蜜漬けを差し入れしますね」
そう言って、私は目の前のアレクサ様に微笑みかける。
前世では高校時代、強豪剣道部の有能マネージャーとして知られていた私は、当時培ったマネージャースキルに今世で磨きをかけ、アレクサ様の応援に全力投球していた。
「……君も大変だろうし、毎日来てくれなくていい」
「そんなお気遣いをいただけるなんて……! 大丈夫です、雨が降ろうと槍が降ろうと必ず毎日参ります」
「……いや、だから」
アレクサ様と楽しいお喋りで盛り上がっていると、背後からポンと肩を叩かれた。
「よっ、シュゼット。お前また来てたのか。よく飽きないな」
「なによ、フレッドには関係ないでしょ」
「幼馴染なのにつれないな。俺にも差し入れないの?」
「ない」
「ひでぇ」
そう言ってケラケラと笑う、一見チャラそうな見た目のこの男は、私の幼馴染のフレッド。
アレクサ様が所属する騎士団の団長の息子で、実は攻略対象だ。私の推しではないけれど。
フレッドはライバル家門の回し者である家庭教師から酷い怪我を負わされ、騎士の道を諦めるという不幸を背負っている……はずだったが、私がフレッドの家に「家庭教師はスパイです」と匿名の告発文を出して悲劇を食い止めたため、彼は何の怪我も挫折もなく健やかに成長した。少しは私に感謝してほしい。まあ、何も知らないのだから無理なのだけれど。
そんなことを考えていると、フレッドがぐっと顔を近づけてきて、耳元で囁いた。
「お前、明日来るならお洒落してきたほうがいいぞ」
「えっ、どうして?」
「どうしても。絶対いいことあるから」
「??」
意味が分からず首を傾げる私の肩をフレッドが楽しそうにポンポンと叩く。
騎士は力が強いんだから、もう少し手加減してくれないと嫌だわと思いながら睨んでいると、アレクサ様が背中を向けるのが見えた。
「あっ、アレクサ様! もう行ってしまわれるのですか?」
「……この後、用事がある」
「そうだったんですね。お邪魔してすみませんでした……」
フレッドが来なかったらもう少しお喋りできたのにとガッカリしていると、アレクサ様がわずかにこちらを振り返った。
「……邪魔ではない。またな、シュゼット」
「……!!」
アレクサ様が言い残した言葉のあまりの衝撃に、私は口元を両手で押さえたまま動くことができない。
「……おい、そんな驚いた顔してどうしたんだ?」
怪訝そうなフレッドからの質問に、私はスーハーと深呼吸し、心を落ち着かせてから答えた。
「ア、アレ、アレクサ様が私のことを名前……初めて名前で呼んでくださって……! シュゼットって! シュゼットって私の名前よね!? しかも邪魔じゃないって! もうこれはお友達って自称しても許されるわよね……!?」
だめだ、全然落ち着けていなかった。フレッドも私の勢いに若干引いている。
(……でも、本当に嬉しかったんだもの……!)
アレクサ様に寄り添いたいという私の真心がちゃんと伝わっているんだと思えて、震えるほどの喜びを感じた。
きっとこのまま頑張れば、アレクサ様と真の友情エンドを迎えられるはずだ。
「私、もっと頑張るっ!!」
「お、おう……」
そうして困惑気味のフレッドを後に残したまま、私は明日の差し入れの準備をすべく家路を急いだのだった。
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