12人が本棚に入れています
本棚に追加
「菫さん」
菫は多分、気付いていない。
たとえ、それが人でも、気に入ったものを手に入れたいのは同じだ。現に鈴だって、優しい菫を自分だけのものにしたいとと願った。菫の特別が欲しい。
けれど、それが別の何かだった時。想像して夏だというのに冷たい何かが背を這いあがってきたようで、鈴はぶるり。と、身体を揺らした。
「……なに」
菫がそれに気付くことはない。視線を寄越さないからだ。歩いていく方向に視線を向けたまま答える。
「あの。お願いが。あるんです。けど」
募る不安。顔が見たい。けれど、鈴は自分の不安を菫にぶつけることができなかった。これ以上、幼稚な我儘を見せて、菫を失望させたくはない。
けれど、思う。菫が今まで何もなく、こうしていられるのはただの偶然なのかもしれない。現にさっき、車に轢かれかけた。流星群の夜もそうだ。再会した夜も、引っかかった相手がたまたまその他大勢のようなヤツだったから、鈴がいなくてもずぶ濡れになるくらいで済んだだろうけれど、あれがもし危ない相手だったらと思うと、菫の手を握る手に力が入ってしまう。
「うん」
答えてはくれるけれど、菫は顔を上げなかった。
どうして。顔。見せてくれないんですか?
心の中で呟く。
こっちを見てください。
俺のこと。
握った手を引いて立ち止まる。それから、菫の正面に回って、怪我をした方の手もそっと握る。
俺のものでいてください。
言葉にはならない。できない。
だから、鈴は別の言葉を選んだ。
「……なにも。しないから。帰らないで。ください」
鈴の言葉に、弾かれたように菫は顔を上げた。驚いたような顔が見つめている。
「……あの」
不意にまじまじと見つめられて言葉に詰まる。不快そうではないけれど、呆けたような表情だった。
「……そばに。いて。いい?」
無意識に溢れているかのように菫の口から言葉が零れた。
「え?」
言葉の意味が分からなくて、鈴は聞き返す。そばにいてほしいと願ったのは自分だ。それなのに、どうしてそんなことをいうのだろうか。
最初のコメントを投稿しよう!