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「ダメだ!」
ぐい。と、不意に握られた手が引っ張られる。それから、前に出た菫が片手を振った。
ぱん。と、音を立てて、女性の手が離れる。
「あ……」
触れられたことに驚いたように一瞬菫は自分自身の手を見た。それから、もう一度顔をあげて、女性をしっかりと見据える。
「なあ。思い出しなよ。本当にこの人が、君の好きだった人? 分かるよ? 君の記憶? なんか、見えた。好きだったんだよな。好きで、好きで。でも、振り向いてもらえなくて、悲しかったんだろ? 悲しくて、悲しくて、消えてしまいたかったんだよな。
……うん。俺も。そういうの知ってる。俺も、ホント、消えてしまいたかったし。
でも。その人は、この人じゃないだろ?」
ぐい。と、鈴の腕を引き寄せて、菫は彼女に言った。
あ。
あ。
女性の口から、喘ぎとも、嗚咽ともつかない言葉が漏れる。その反応で菫の言葉が届いているのだと分かった。
「なあ。ちゃんと、見て。命賭けるくらいに好きだったんじゃねえの?」
女性の視線が宙を彷徨う。さっきまでは焦点が定まっていないと思っていた濁った瞳がしっかりと二人を見た。
「ほら。わかるだろ?」
あ。う。
彼女の口から言葉にならない呻きが漏れる。もう、その口は笑ってはいなかった。
つ。と、干からびた頬を涙が伝う。助けを求めるようにその指先がまた、二人の方に延びてきた。
「よく見ろよ。君の好きだった人、こんなイケメンじゃなかっただろ!?」
「え?」
え。
鈴と女性の声は見事なまでにシンクロした。
「大体、こんな世界遺産級イケメン何人もいるわけないだろ? ちゃんと、見てって。こんなにキラキラだった?」
ずい。と、一歩前に出た菫に、思わず女性が後ずさる。畳みかけるように菫は言葉を並べ立てた。
「ほら。目元めっちゃシャープだろ? 二重ヤバいくらい深いし。睫毛これでもかってくらい長いだろ? すごくない?
鼻なんて。え? 日本人? マジヤバいんですけどクラスに高いし。唇、つやっつやだし。お肌のキメとか、陶器? 陶器なの? てか。バランス! 黄金比ってこういうの言うんだよ。多分。
それにさ。背とかこんな高かった? 足の長さの比率とかありえなくない? 筋肉のつき方とかマジでキレーだし。ってかさ……」
「す……菫さん」
かなり興奮気味に鼻息荒く続く恋人自慢に居たたまれなくなった鈴が、声をかける頃には辺りはしんと静まり返っていた。もちろん、女性もぽかん。として、もう、近寄ろうとはしていない。
「……あ。れ?」
呟いた菫の頬が急に真っ赤になった。
「あ。いや。だから。」
盛大に展開した惚気に気付いたのか、菫はしどろもどろになっている。
「……その。ええっとぉ。……はは。別人だよ……ね?」
のろけかよ!!
最後は笑って誤魔化そうとした菫の言葉は不意に響いた大声にかき消された。びりびり。と、近くの民家の窓が揺れる。風ではない。けれど、何か強い衝撃のようなものが駆け抜けた。
そして、目を開けたとき、女性は見えなくなっていた。
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