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『どうしても貴方にお伝えせねばならない事柄があります。つきましては、この手紙の送付元までお越し頂けないでしょうか。何卒よろしくお願い申し上げます』  振り出した雨の中、帽子を深く被り、手紙はズボンのポケットの中へ忍ばせる。坂を下った川沿いの道を行く最中(さなか)、すれ違う乗用車に水を跳ねられ体はずぶ濡れになったものの、一秒たりとも足が止まる事はなかった。  多少迷いはしたけれど、息を切らせたままついに『神埼(かんざき)』の表札のある家に辿り着いた。住所はここで間違いない。呼び鈴を押そうとしていると声が聞こえた。 「うちに何か御用でしょうか?」  傘を差した女性が僕のすぐ背後に立っている。外を出歩く事が出来ているこの人は咲良さんではないだろう。 「これを受け取り駆けつけた烏丸と言います。こちらに咲良さんはご在宅でしょうか」  すっかりくたくたになってしまった手紙を見せると、驚いたような表情を浮かべている。 「あなたがそうなのね。傘も差さずに大変だったでしょう。さ、あがってちょうだい」  家へと促す彼女はどこか嬉しそうな、どこか憂いを帯びたような眼差しをしているように思えた。  招かれるまま家に上がると、風呂場へ通されすっかり冷え切った体を浴槽に沈める。暖かい湯に浸かればいつものシャワーとは違い心までもが温まるように感じた。間に合わせだと用意された着替えに袖を通し、先ほどの女性のいる居間へと急ぐ。 「さて、どこから話したものかしら」  この女性は咲良さんの母親である節子(せつこ)さんである事がようやくわかった。続けて咲良さんについて質問を続けようとしていたところで、突如居間の扉が開いた。 「誰か来ているの」  そこには痩せこけた体の女の子が立っていた。肩まで伸びた綺麗な黒い髪。歳は恐らく僕と変わらないくらいだろう。節子さんはあら、とだけ言って黙り込んでしまった。 「もしかしてあなたが烏丸さん?」  鋭い視線は僕を刺すようだ。加えて棘のある言い方が気になったものの、僕は確信めいたものを感じている。怒っているように見えるのはやはり僕の不備によるものなのだと。実際の彼女の姿こそはわからないままだけれど、きっとそうなのだろうと彼女からの問いに頷く。 「あなたが咲良さんなんですよね?」  立ち上がり相対すると彼女は目を細めゆっくりと口元を緩ませた。その反応を見て僕の心臓は再び速度を増していく。そうしてついに口を開く瞬間がやってきた。 「ふざけないでください」  彼女は再び冷たい表情に戻っていた。
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