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いけないと言われていたのに
母さんにいつも行けないと言われていたのに、ポケットに手を突っ込んで歩いていた。
道のちょっとした段差に躓いた僕は、とっさに手が出ずに顔から転んでしまった。
そのとたん、世界は青空から星空に変わった。
何時間たっても、星空のままだ。
僕はポケットから手をだして、手をこすり合わせた。
お日様の出ない世界は何とも寒い。
それに誰もいない。
みんなどこへ行ってしまったんだろう?
ひどく静かだ。
この世界に僕一人だけしかいないような・・・・
転んだ拍子に別の世界に移動したのだろうか?
誰もいない世界、冷たい、星しか見えない世界。
嫌だ、母さんに会いたい。
『ポケットに手を突っ込んで転んじゃったんだ。これからは気を付けるよ。』
と、母さんに報告したい。
介護士「斉藤さん。斉藤さん。大丈夫かな?」
斉藤『母さん?』
介護士「あ、目を開けたわ。大丈夫そうね。」
斉藤『誰?』
介護士「ほら、ポケットに手を入れて歩いたら危ないっていつも言ってるでしょう?今日は大したことなくてよかったですね。」
斉藤「僕は、母さんに報告したいのに。母さんはどこ?」
介護士「そうねぇ。お空のお星さまになったかしらねぇ。」
斉藤「え?じゃ、さっきまでいた所に母さんもいたのか。」
介護士「ん?夢でも見ていたのかな?斉藤さんも、もう95歳だものねぇ。歩けるだけでもすごいんだから、ポケットになんて手を入れたらだめよ。転んで骨折ったら歩けなくなっちゃうからね~」
斉藤「僕は、僕は小学校に行こうとしていただけなのに。母さんがいなくなっちゃった。母さんに会いたいよ。」
介護士「そうねぇ。きっともうすぐ会えるわよ。あと10年もしない間にはね。」
介護士はそう言ってくすくすと笑った。
僕は見ず知らずの人に笑われて、カッと赤くなり、走って逃げようとした。
足がもつれて思うように走れずに、転んでしまった。
介護士「あ!」
僕はもつれた足がとても痛くて、叫び声をあげた。
介護士「ポケットに手を入れて転んだ時に足を折ったことにしましょう。」
知らないおばさんが周囲の人達と顔を見合わせて、皆うなづいた。
僕はそのまま救急車に乗せられて、病院に運ばれた。
斉藤「知らない人たちが笑ったから走って転んだんだ。」
いくら僕が本当のことを言っても誰も信じてくれない。看護婦さんに言ってもダメだった。お医者さんに言ってもダメだった。
看護師「そうなの?それは大変だったね。」
と、ニコニコ笑っているだけだ。
お医者さんは面倒くさそうに、
「もう、ポケットのある服は着せないで、ま、骨がくっつくまでに歩けなくなっているだろうけど。」
と、言って、病室を出て行った。
母さん、ねぇ。もう、ポケットに手を突っ込んで歩いたりしないよ。
僕は毎日ベッドの上。足の怪我は良くなるのかな?
毎日足を動かしに来てくれる男の人たちはいるけど、母さんはどうして会いに来てくれないの?
僕は、毎日同じ景色を見ているうちに、眠い時間が長くなった。
そうして、前に転んだ時と同じところに着いた。
星ばかり輝いて、真っ暗で誰もいない。
静かな静かな場所へ。
母さんは星になったって、あの知らない叔母さんが言っていたっけ。
僕は星を一つ一つ覗いて母さんを探した。
不思議なことに足は治っていて歩くころができたから。
一つだけすごく赤く輝く星があったからきっと母さんだと思って走った。
もう走っても足がもつれる事はなかった。
「母さん!」
母さんは振り向いて、僕の方を嬉しそうに見た。
看護師「斉藤さん。斉藤さん。大変。先生を呼んで。」
医師は脈をとって、瞼を開いて光を当てた。
医師「御臨終です。死因は老衰でいいかな。」
看護師「斉藤さんは、身寄りは無し。か。じゃ、介護施設に連絡して、手続きとってもらいましょう。」
僕は暗くて静かな星空の中から病院にいる僕を見ていた。
あぁ、僕は星になったんだ。それで母さんとも会えたんだね。
この前と同じところなのに、もう全然寒くないね。
その時、ベッドの上の僕の身体から僕に向かって小さな光が飛んできた。
あぁ、僕の魂。これをもっていかないと、迷子になっちゃうね。
落とさないように、ポケットに入れて神様の所まで運ぼう。
でも、手をポケットに入れっぱなしにはしないよ。転んだら大変だものね。
【了】
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