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「曲はまあいいけど、歌詞がダメ」
イヤホンを外してダイチが言った。
「おい、まだ途中だろ」
せめてもう少し聴けよと反論した。スマホから流れる自作曲のデモ音源は、まだAメロ、Bメロ、最初のサビを過ぎたところだった。
「つかみがダメじゃその後は聴いてもらえないんだよ」
ダイチは俺のスマホの画面を勝手に弄って曲を止める。三ヶ月前に落としたスマホは左上に蜘蛛の巣のようなヒビが入って不穏な見た目だけど、もう慣れた。
「まあまあの歌詞でも曲が良ければいい曲になる」
「まあまあって言ったのは曲の方だよ。歌詞はまあまあじゃなくてダメ」
「なんだよー」
椅子の背もたれにのけ反って文句を言う。ダイチはそんな俺を横目にアイスコーヒーを飲み干す。俺らが向かい合った二人席テーブルの横を店員が通り過ぎる。
深夜のファミレスはがらんとしている。ぽつぽつと離れて座る客たちはみんなここが終着点みたいに落ち着いて、急ぐ人はいなかった。店員だけが忙しそうにホールと厨房を出入りしていた。
「最初のギターは結構いい感じだと思ったんだけど?」
参考までに多少食い下がってみる。
「俺もそこはいいと思ったよ」
からりとした口調でダイチは同意する。
「でしょ」
「でもお前、あれだろ。FratellisのHenrietta意識しただろ」
「あー、やっぱわかる?」
趣味が合う分、元ネタや影響はお互いすぐバレる。
反論材料がなくなり、俺もドリンクバーのファンタグレープのストローに口をつける。ダイチは俺がルーズリーフに殴り書きした歌詞を見ている。わざわざそんなのを見せたくなかったけど、ダイチが言うから仕方なく見せている。歌詞はいいから曲を聴け言うと、「なら全部ラララとかで歌え。詞を書くんだったらちゃんと書け」と言われた。
「ありきたりなんだよ」
右手に持ったA4のルーズリーフ用紙をぺらぺらとやって、ダイチは言った。まるで部下の企画書にダメ出しする上司みたいな仕草だ。承認の判子も欲しいもんだね。血判で。
ダイチが厳しいのはいつものことだったから、今日のやり取りもいつも通りのやつだ。知り合いなんかは横で聞いているとハラハラするらしい。ダイチの批評も俺の反論も遠慮がないから、一発触発に見えるのだ。お互いにいい曲を作りたくて言い合ってるだけだ。
「ありきたりっていうその批評の言葉がありきたりなのはいいのかよ?」
「英語にしときゃいいと思ってるだろ」
俺の返事を半ば無視してダイチは続ける。
「『I love you.』とか『 I miss you.』ってお前、本当にそんなこと思ったことないだろ」
お前はあんのかよ、なんて言い返したところで曲が良くなるわけじゃないので、それは言わない。それがケンカと議論の違いだ。
「んなこと言ったって、歌詞は歌詞じゃん」
「アイラブユーって歌うのが悪いわけじゃないけど、本気の言葉じゃないと薄っぺらくなるんだよ。アイラブユーって歌いたいなら尾崎豊くらい本気で歌え」
いきなりえらく主観の入った批評をされる。そう、彼は尾崎豊を愛聴する酔狂な平成生まれなのだった。こいつにこの歌詞は確かにミスったな。
ダイチはもともとなんでも真っ直ぐに言ってくる奴だった。
最初は仲良くなると思ってなかった。高校の軽音部で、尾崎豊が好きなダイチと、リバティーンズが好きだった俺じゃ近づかないのは無理もない。
「二曲目のギターの歪み、もう少し何とかならなかったの?」
部内の初ライブを終えた俺に、ダイチがそんなことを話しかけてきた。「音、ダメだった?」と聞くと「うん」と大真面目に頷く。なんだよこいつと思ったが、ダイチは事務連絡をしたとでもいうような顔をしていた。全然緩めていない制服のネクタイや真っ黒な短髪は、まだ中学生に見られそうだった。
それからダイチはまた大真面目に言った。
「でも俺、コウヘイのギター好きだな」
あいつに名前を呼ばれたのはそれが初めてだった。
男子校生が同級生同士で褒め合ったりなんて、まずしない。俺は改めてダイチを見た。あいつは照れ隠しに横を向いたりしなかった。ポケットに手を突っ込んだり頭をかいたりすることもしなかった。教室の後ろで椅子に座っていた俺を、真っ直ぐに見て立っていた。
「じゃ、一緒にバンドやろうよ」
俺からそう言うとダイチは二つ返事で応じた。
それからずっとやってる。やってみたら趣味が合ったのだ。二人ともギター。ドラムとベースはちょこちょこ入れ替わったけど、俺とダイチはもう五年も続いていた。
ギターボーカルをたまに俺もやるけど、ダイチの方が多い。曲もダイチが作ってくるのがほとんどだった。
年々やっていくうちに俺とダイチの差は感じていた。ギターだけなら互角だと思う。でも歌が入るとダメだ。ダイチが弾いて歌うと、彼にしかない世界が生まれていた。ダイチの中に浮かんだものは、歌詞にしよう曲にしようと考える前にダイチそのままの形で曲になるようだった。
尾崎豊はともかく、書いた歌詞を薄っぺらいなんて言われて、腹も立たずに納得してしまうのはダイチだからだと思う。
金もないからファミレスのドリンクバーとポテトで解散した。別れ際、練習中だった曲のギターソロを詰めとけよとダイチは言った。次のスタジオ予約するから日程送れよ、と俺からは言った。
詰めとけと言われたものの、頭は練習中の曲より作りかけの曲の方に向いていた。せめて一曲仕上げないと、次のライブはダイチの曲に占められてしまう。
もちろんギターはギターで好きだ。
曲を書くと言ってもギター、ベース、ドラムの全部を考えるわけではなくて、コード進行とメロディ、そこに乗せる歌詞を作る。それを練習に持ってきて各パートそれぞれが考えて、そんな感じで曲を作っている。お互いに思ってもみなかった発想が出てきたり、「なんか違う」もあれば「今の超いいね」もあったりして、ライブの次に楽しいのはその工程だったりする。
でも俺だって、ギターを考えるだけではなくて自分の書いた曲をそうやってバンドで完成させたいし、ライブでやりたい。
だいたいこういう時に俺は勘が悪い。
ダイチから日程の連絡来ないとは思ってた。そろそろスタジオを予約しないといけない頃だった。
「あー、ちょうど良かった」
痺れを切らしてというほどでもなく、ただ忘れないうちにと思って電話をかけたらダイチはそう答えた。「今日あたり時間ある?」と聞くので、いつものファミレスで待ち合わせた。
「かけ持ちはめずらしいことでもないでしょ。コウヘイとのバンドも今まで通りやるよ」
ドリンクバーのアイスコーヒーにガムシロップを入れながらダイチは言った。Gジャンにベージュのチノパン姿で、からっとした口調だっていつも通りだった。
端的に言えば、ダイチは今別のバンドに誘われていて、そっちのバンドではやったことない系統の曲をやるつもりで、だから今のバンドも今まで通り続けるよ。そんな話だった。
「そっちでもダイチが曲書くわけ?」
「俺だけじゃないけどね。他の人も書けるらしいから、俺も書いて採用されれば」
「どうしても手薄になるじゃんか。今まで一つのバンドやってたのが二つになるんだから」
大丈夫だよ。アイスコーヒーのストローをくわえてダイチは言う。別のジャンルをやるんだもの、パワーが二分の一になるわけじゃない。時間だってどうにでもやりくりできる。こっちが嫌になって鞍替えしようってつもりはマジでないよ。
「別にお前が本当にやりたいバンド見つけたんならそれでいいんだよ。友達として喜ぶよ」
素直に言ったつもりだったのに、皮肉か負け惜しみみたいになった。ダイチはちょっと苦笑いをしてみせたが、わざとらしく「こっちのバンドが一番だよ」なんて言わない。ダイチはそんなこと言わない。わかっているのに何を期待して、俺はこんなこと言ったんだろう。
嫌になったなら嫌になったと、ダイチがはっきり言うのはわかっている。ここで俺が反対したって、考えを変えることはできないこともわかっていた。
腕組みをして背もたれに寄りかかる。せめてバンドの決定権を持つ一人として、ダイチの話を熟考しているようにせずにはいられなかった。ファンタグレープがグラスの中でひどくまぬけにパチパチしていた。
「いつから始めんの?」
「来週一回練習行って、そこで試しに合わせてみる」
グラスの氷をカラカラかき混ぜながら話すダイチの口調からは、楽しみなのか緊張しているのか、どれくらい乗り気なのかはわからなかった。
「こっちのパフォーマンスは落とすなよ」
俺の言葉に、もちろん、とダイチは頷く。
「練習の日程を都合つけるくらいならいいけど、そっちのバンドのためにこっちでライブ出られないとか、そういうのは絶対ナシだからな」
もちろん、わかってるよ。ダイチはさっきよりも深く頷いた。
確かにかけ持ちはめずらしいことでもない。
というか俺の方が、他のバンドでサポートという形でギターを弾いたことが何回かあった。自分で曲を作るとかはなく、ギターが足りないからライブで弾いてくれって話だ。ライブで対バンしたバンド仲間に何回か頼まれた。
さすがにギターボーカルをサポートや新メンバーに頼もうというバンドは多くないから、ギターボーカルが多いダイチはそういう声がかかることがこれまでなかった。と、俺は思っているけど、これまで全部断っていただけかもしれない。今回は、ダイチの心境か相手の誘い方がこれまでとは違ったのかもしれない。
あいつは嘘がつけない。俺だからかもしれないけど、すぐわかる。
俺とのバンドが嫌になったわけじゃないのは本当だ。でもこっちじゃできないことができそうでワクワクしているのも隠せてなかった。
歩きながらスマホをつけたら、ひらきっぱなしだったスタジオの予約ページ画面が夜道で浮かび上がった。結局ダイチに予定を聞くのを忘れたことを思い出した。別に急いでないからいいや、と思う。来週にでも聞こう。来週。
新しいバンドは来週練習に入ると言ってた。あっちが終わったころに「どうだった?」って連絡するのも、それの前に連絡を入れるのも癪な気がする。ダイチが思い出すまで放っておいてもいいけど、予定決めてスタジオ取るのは、一応俺の担当なんだよなあ。
なんでダイチ相手にこんなこと考えてるんだろ。
しばらくダイチと俺のあいだでその話題には触れられず、バンドのグループLINEはどうでもいい笑えるゲーム実況の動画とかを送り合って流れていた。
スタジオのぶ厚い防音扉は、閉めた瞬間にちゃんと外の音が消える。ロビーの煙草の匂いだけかすかに残る。外で起こる火事に、中の自分だけ気づかないような想像を俺はよくする。
「ここしか空いてなかったんで、使っちゃってください」
個人練をしようと思いつきでスタジオに行ったら、行き過ぎて顔馴染みになったスタジオの店員がちょっと笑って、十二帖くらいの部屋に通してくれた。だだっ広い。
練習中の曲のギターソロを詰めることと、新しい曲を完成させること。というのを自分に課して来たというのに、広すぎてしばらくうろうろしてしまった。家じゃ出せない大きな音を出して、うろうろして、動き回って一曲弾いた。ライブでもこんなに動かないのに。それから部屋の真ん中にマイクスタンドを持ってきて、弾き語りもやってみた。
誰もいないから広いことと、部屋が広いから広いことは、そもそも全然違うなと思った。部屋が広いだけならすぐ慣れる。
演奏しているうちに何度か、ここはこういうドラムが入るだろうなとか、こういうベースが欲しいとか、ダイチがギター弾くならこんな感じというのが浮かんでいた。バンドの練習でそれなら楽しいけど、一人で演奏していてもそんなことを思ってちゃしょうがない。
ダイチならそんなことを考える必要はないんだろうと思った。あいつの歌と演奏は、ちゃんと一人で完成している。
弾き語りながら歌詞を考えた。
部屋が広すぎて落ち着かなかった。上滑りしたような言葉しか出てこなかった。部屋のせいじゃなくて、俺が十二帖という空間を自分のものにできていないのだと、ステージの大きさに置き換えて考えた。
ダイチはもっと堂々としている。いや、そんな自信満々ではないかもしれない。落ち着いている。それも違う。迷いがない、という感じ。
迷いなく、歌詞とギターの両方を繰り出す。
楽器は練習すれば迷いなく思った通りの音を出せる。でも歌詞を迷いなく、思った通りに書くってどういうことなんだろう。
スタジオを出てから着信があったことに気づいた。スタジオから伸びる線路沿いの細い道を、ギターを背負って歩きながら電話を鳴らした。外は日が暮れ始めた帰り道の時間だった。
「予定決まった?」
相手が「もしもし」と言う前に俺が言った。
「え? あー、練習のね。後で送る送る」
電話の向こうでダイチが全然申し訳なくなさそうに答えた。
「まあいいけど。なんか用だった?」
「今日、誘われた新しいバンドの練習だったんだよ」
「今日だったんだ」
俺も個人練してきたよと言いたくなったけど、そんな対抗意識を燃やしても仕方ない。
「どうだった?」
続きを促す。
「いやー。みんな上手かったけどさ、やっぱ感覚とか違いすぎて調子出せないね。お互い手探りだし。難しい」
「そーなんだ」
適当に相づちを打つ。ダイチの声は少し悔しそうな、それでも楽しかったのか高揚感が残っているのか、熱が入っていた。俺にはわかんない。一歩も二歩も先を行ってる。
「コウヘイに会いたいな」
唐突にラブソングみたいなことダイチが言った。
「なんだよ」
「やっぱ、コウヘイとやるとさ、阿吽の呼吸っていうか、一言えば十伝わるっていうか、知り尽くしてるっていうか。とにかく俺らって息ぴったりじゃん?」
「そうだよ」
笑って答えた。当たり前じゃんって気持ちだった。改めて言わなくたってそんなこと知ってる。でもダイチの、そういうことを真っ直ぐ言ってくるところが好きだった。あ、なんか、俺もラブソングみたいなこと思ってるな。
「弾いてるときに何回か、コウヘイならここでこういうギター入れてくれるなとか、思ってた。俺やっぱコウヘイのギター好きだよ。ま、違う音が入るのも刺激的だし勉強になるからいいんだけど」
俺もさっき前半部分は同じようなこと思ってたのを思い出した。ここで『お前のギターが一番だよ!』とか言わないのがダイチだ。
「コウヘイ会いたいなー」
電話の向こうでダイチはまた言う。向こうも歩きながら電話をしているらしくて、風が吹くような車の音が聞こえた。
「俺も会いたいよ、練習したいよ」
スマホから聞こえるダイチの声に向かって言った。言ったというか、思ったことがそのまま漏れ出てしまったような気がして自分でびっくりした。びっくりしたけど、言うのは簡単だった。
おう、と乗り気なダイチの声。そもそもお前が予定送ってきてないんだろ、と言い返す。
「え、マジでさあ、今日これからちょっとやんない? 二人で、遊びのやつ」
俺が言い返した言葉は無視してダイチが言った。
「いいよ。やろう」
俺もダイチの乗り気に乗っかって答えた。今どこいるのと訊ねて、じゃあそっち行くから待ってて、と、線路沿いの細い道を早足になって言った。
「その代わり曲作るの付き合って」
「コウヘイが作りかけで聴かせてくれるのめずらしい」
「うん。なんか今ならできそう」
あなたに会いたい、なんてラブソングのダサい歌詞でしか言わないと思ってたけど、そうとは限らないかもなと思った。浮かんだことが素直に言葉になって歌詞になって自分の音楽にできるダイチの感覚が、今ならちょっとわかりそうだった。
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