前編

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前編

懐かしい音楽が流れている ラジオから流れてくる女性の優しい歌声 何かのアニメのエンディングだったと思う 何度も何度も、有線から流れてくる曲をこの場所で聴いていた ~深い深い森の奥に  今もきっと   置きざりにした心  隠してるよ~ 忘れたと思っていた思い出が、曲と共に溢れてくる 「君の入れてくれる珈琲が美味しくて、つい通っちゃうんだよね」 彼が頬を人差し指で搔きながら、視線を外しつつ話し掛けてくる 少しだけ赤く染まった頬が、年上の彼なのに可愛いなって思ってしまって… つい口元が嬉しくて緩んでしまう 誰が見ても、カッコいいって思う人の、ちょっとした仕草が可愛い この店では、僕しか知らないはずの表情に、ちょっとだけ優越感を感じる 「ありがとうございます。マスターにはまだまだ及びませんが、僕の淹れた珈琲を喜んでくれる方がいるってこと、すごく励みになります」 お客様と店員ってだけの関係 でも、2日に1回は来てくれる彼 僕よりも少し年上なのかな? いつもお仕事の休憩に来てくれて、束の間の一時をこの店で過ごしてくれる 彼をこっそり見ているつもりだったのに、気付けばよく目が合って… 彼の優しい笑顔に惹かれてしまって… いつの間にか、彼の姿を目で追うようになっていた 他にもたくさんのお客様はいるのに、彼が来てくれるのを心待ちにしている ~蒼い蒼い空の色も  気付かないまま   過ぎてゆく毎日が  変わってゆく~ 「あの…、好きです。 もし、俺にチャンスを貰えるなら、付き合って貰えませんか?」 いつも通り、注文を伺いに行っただけなのに、彼から電話番号の書かれたメモ用紙と共に言われた言葉 真っ赤な顔で、すっごく真剣な表情で… 差し出す手が微かに震えていた いきなりのことでびっくりして、彼から目が離せなくて… 僕まで顔が真っ赤になってしまって… 「えっ…と、あの…今、仕事、中…だけど…はい。よろしく、お願いします」 恥ずかし過ぎて、俯きながら彼から渡されたメモ用紙を彼の手ごと握り締め、消え入りそうな声で返事をした 「やっ!!んぐっ!?…あ、ありがとう」 大きな歓声を上げようとしたのを、慌てて彼の口元を手で押さえて声を遮る 僕も彼もビックリしていたけど、少しこもった声で優しく微笑んでお礼を言われた 彼が話す度に、手のひらに彼の息が掛かって、それすら恥ずかしくて… 心臓が口から飛び出してしまうんじゃないかってくらい、ドキドキした 「珈琲が冷めてしまいますよ」 マスターが呆れた顔をしながら声を掛けてくれて、やっと周りにお客様がいる店のことを思い出した 他のお客さんたちの温かな微笑みと拍手のせいで恥ずかしさが倍増してしまって、顔から火が出るんじゃないかってくらい恥ずかしかった あの日の仕事は何をするにもボロボロになってしまって… でも、嬉しくて仕方なくて… 仕事終わりに彼が店の前で待っていてくれたのが、幸せだったことを今でも覚えている 「あの日から随分経ちましたね」 白髪をオールバックに撫で付けた、眼鏡の男性が僕の前に香りの良い珈琲を置いてくれる 「マスター、ありがとうございます。 マスターのオリジナルブレンド、本当に好きだったなぁ… マスターに憧れてこの店で働き始めて、彼に出会って… 本当に、本当に…幸せな人生だったと思う」 珈琲の香ばしくもほろ苦く、甘い香りについ頬が緩んでしまう こんな珈琲を淹れたくて 僕の珈琲を飲んで喜んで欲しくて 珈琲を好きになって欲しくて 2年前に別れてしまった彼 ずっと一緒に居たかった もっと、彼の好きだった珈琲を淹れてあげたかった たくさん、「好き」って言いたかった 突然の別れで、伝えたいことはいっぱいあったのに、何も言えなくて… それだけがずっと心残りだった カランカランッ 軽やかな音と共に、店の扉が開き、今想い馳せていた彼がそこにいた 迷う事なく、僕の前の席に座る彼 「マスター、お久しぶりです。 今日は、俺の我儘に付き合ってくださり、ありがとうございます」 あの告白してくれた時から、随分年は経ってしまった 彼の髪に白髪が混じっているけれど、当時と変わらない優しい笑みは変わらない カッコいいのに、僕だけに向けてくれる表情が可愛くて… あぁ、最後に彼に会えて良かった 「今でもずっと大好きだよ。 ーーーーまた、会えるのを待ってる」 彼の唇に触れるだけのキスをし、静かに店を後にした
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