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面を伏せながら長く続く廊下を歩くと、すれ違う者達は奇怪なものを見る目を春子に向けてきた。顔が醜いからだというのは、そのひとつひとつの視線が物語っているのですぐ分かった。
下賤な視線は鬱陶しいが、それに腹を立てて噛み付くほど、春子は子供ではない。噂通り大人しく、か弱い姫のよう振る舞った。
「これでその顔を隠せ」
大広場に続く扉の前で、ジェラルドは足を止めると懐から取り出した物を乱暴な動作で春子の胸に押し付けた。
受け取った春子がそれを広げてみると黒に染められた絹布が幾重にも重なった面紗のようだ。
大きな布地から顔の半分ではなく、全体を隠せるように縫われたのはすぐ分かった。この醜い顔を隠せという意図を読み取った春子は黙って面紗で顔を覆う。紐が髪に絡まぬよう、気をつけて覆うと視界が一気に見えにくくなった。
「それを決して外すなよ」
春子が頷き、返事をする前にジェラルドは扉を開けるように従者に命じた。蝶番の音と共に扉がゆっくりと開かれ、その奥には何度か訪れたことのある大広間が広がっていた。
夜空を映す天井にはシャンデリアの灯りが光をこぼし、その恩恵を受け、純白を基調にした空間は更に眩く輝きを放っている。何度見てもため息がでる美しさだ。夫からの暴言がなければ、嫁入りしたことを両腕をあげて喜び、駆け回っていた。
大広場に集う全員の視線がまず先にジェラルドに集まり、その直後、斜め後ろに立つ春子へと注がれる。好奇心と懐疑心が混じる視線に、春子は姫らしく怯えたふりをしてみせた。
「ジェラルド! 部屋で待っていろと言ったはずだが!」
しんと静まり返る空間を怒声が駆け抜けた。声を荒げたのは集う大衆の中でもっとも恰幅と身なりが豪奢な老人だ。
周囲の静止も気に留めず、大股で近付いてくる老人を見て、ジェラルドは鼻で笑った。
春子は驚いた。
だって、その老人はジェラルドの父親——このヴィルドール王国、四十六代国王のレオナールだったのだ。いくら実子とはいえ、このような大衆の面前で親を小馬鹿にするなど鬼無ではありえない行為だ。
春子は無意識に眉をしかめ、直後はっとする。このような表情は姫にあるまじきもの。面紗のお陰で表情が分からなかったのは救いだった
「早く用件を済ませたいだけだ」
「用件とは——ん?」
レオナールは怒りで血走った目でジェラルドを睨みつけていたが、その隣に立つ春子に気付いたようだ。器用に片眉を持ち上げ、首を傾げた。
「……ひ、姫?」
春子は頷き、肯定する。
(よく私だとわかりましたね)
今は顔を分厚い面紗で隠し、衣装も鬼無の装束では目立ち、また「死人の衣装は縁起が悪い」と全て燃やされたのでこの国の衣装を着用していた。
いや、袖や胸元が露出しているので肌の色で判断したのだろう。春子の肌色は死人のように白いので分かりやすい。
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