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それは例えなので実際に命は削られることなんてありえないが、神秘の島国である鬼無国ならありえることだとアランは青褪める。
ローレンスもつられて顔を青くさせた。先程の勢いは失せ、地面に膝をつく。
「せ、戦争に? 鬼無が攻めて……」
「お、落ち着け。姫は普通な様子だった。もしかしたら俺の見間違いかもしれん」
「……膝下まであった髪を肩下まで見間違えます?」
「いや、ほら、俺、寝不足だし……」
寝不足とはいえ、アランは魔獣多発地域の守護を任されている辺境伯だ。寝起きでも、寝不足でも、有事の際はきちんと状況を把握し、行動できるように切り替えはしっかりできるよう訓練してある。
自分の目は確かにあの長く艷やかな長髪が短くなった姿を捉えていたが、アランはほんの僅かな望みを持つ。自分が寝不足のため、判断不足だったという辺境伯としてはあるまじき望みを。
「ローレンス、お前も同席してくれ! 俺一人だと無理だ!」
「私も無理に決まってます! 第一、見てください、この姿!」
ローレンスは両腕を広げた。パリッと糊のきいた紺色の燕尾服。その上には、誰の趣味か裾や袖にフリルがひらめく薄ピンク色のエプロン。服装だけならまだ見れるが格好ではあるが、己の容貌は寝不足と過度なストレスから肌艶が失われ、無精髭が生えている。誰がみても近付くことを嫌がる身だしなみをしている。
「お願いだ! 俺達は盟友だろ!」
「乳母兄弟で幼馴染、上司と部下でしかないです」
「なら上司として命じる。俺と一緒に来てくれ!」
「この格好で姫の御前に立てと?! 第一印象って大切なの知ってます?」
「扉の後ろで見守ってくれるだけでいい!」
アランはローレンスの腰にしがみついた。幾多もの魔獣を退けた勇猛果敢なヴィルドールの英雄が涙目で部下に助けを乞う姿なんて、ローレンスは正直見たくはなかった。幼い頃から一緒にいるため、アランが弱音を吐く姿は何度か目にする機会はあったが、ここまで情けない姿は初めてだ。気のせいか目眩がする。
「……本当に扉越しで見守るだけですよ」
しばらく熟考した後、ローレンスは喉奥から言葉を絞り出した。対面しなければ大丈夫、と自分に言い聞かせる。さすがの鬼無人も席から扉まで距離があるのだから気付かないはず。
正直、寝不足がたたって立ったままでも眠ってしまいそうだが、情けない主人を姫と二人きりにして姫の地雷を踏み抜くのは避けなければならない。ローレンスは自分の睡眠時間を犠牲にすることを選んだ。
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