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春子は歪みそうになる顔を引き締め、笑顔を心がけた。遠く海を渡り、この国へ嫁いで来たのは自分のわがまま——否、両国の仲を取り持つためなのだから、ここで怒り散らしては両国の関係にひびを入れてしまう。笑って、気にしていないと装わなければならない。
「そんな意地悪を言わないでくださいませ」
場を和ますために冗談っぽく笑いかける。ジェラルドはこの国の王位継承権一位を与えられている、つまり次の王様だ。両国のためにと春子の考えを読み取ってくれると信じ、
「お前のような不細工と肌を重ねるなどおぞましい」
——ていたのだが。春子の期待はあっさり裏切られた。
ジェラルドは冷たい言葉を吐き捨てると寝台を飛び降り、帳の向こうへ歩いて行く。このままでは両国の関係は一層と溝を深めるに違いない。春子は遠ざかる夜着の裾を掴むため手を伸ばした。
「っ!!」
乾いた音と共に伸ばしたはずの手に痛みが走る。叩かれたと気付いた時にはジェラルドの姿には帳の向こうへ消えてしまった。
ざわざわと、まるで竹がしなる音が春子の耳に届いた。それが集う人々の嘲笑なのは明らかで、音が大きくなるにつれ春子の目元は熱を帯びたかのように熱くなっていく。
「……なぜ」
——私を拒絶するのでしょうか。
そう言いたいのに言葉が喉に引っかかって、でてこない。はくはくと酸欠の魚のように何度も口を開閉していると、誰かが「やはり」と呟いたのが聞こえた。
「あのような白豚に欲を覚えるわけがない」
白豚とは自分のことだろうか? 春子の身体を見下ろした。全体的に肉付きがよく、さらに肌理が細かい自慢の肌だ。真っ白で日に焼けていない肌は、鬼無では褒め称えられたものだが、この国では白豚とさげずまれなければならない程に醜いのだろうか。婚姻の儀式で見かけた女性達のように焼けていて、引き締まった身体のほうがよいのだろうか。
「……馬鹿みたい」
無意識に口から発した言葉を急いで飲み込んだ。春子は鬼無の姫、この国と同盟を結ぶために嫁入りしたのだ。このような面前で己の心を吐露するわけにはいかない。
運がいいことに、春子の呟きは周囲の人々は聞こえていないようだった。気が付くと嘲笑に忙したかった人々は去っていき、朝日が昇る。
窓から差し込む陽光が床に伸びるのを春子は呆然と見つめていた。
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