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新米死神の初仕事
死神は一般的に、人の命を容赦なく狩る冷徹で恐ろしい存在だと思われているらしい。陰気な黒衣を纏い、重たそうな鎌を謎に振り回し、骸骨みたいな顔をしているイラストもある。なんて偏見。悪意に満ちている!
そりゃあ人間から見たら、自分達の魂を狩る存在なんて、畏怖の対象でしかないのだろう。でも、私たちだって、ただ魂をモノのように扱って、無理やり冥界へ連れて行くわけではない。
確かに死神の仕事は、生命維持が難しくなった肉体から魂を切り離し、死後の世界へと案内すること。だけどその前にはちゃんと、魂のケアもしてあげる。
今日は、新米死神である私の初仕事。資料によれば、現場は都内の病院。プレ死者さんの名前は相賀重男、年齢四十四歳……あいがおもお? じゃなくて、あいがしげおだった。
それで、なになに。重男は、最期に妻に会いたいと譫言を繰り返しているらしい。なるほど、死によって引き裂かれる夫婦の素敵なお別れをお手伝いする任務ってことね。俄然やる気が出るわ!
そう、死神のお仕事の大切な一面が、これ。プレ死者さんの最期の願いを叶えてあげて、心置きなく冥界へ旅立ってもらう。ね、怖くなんてないでしょう?
意欲満々な私は早速病院に行き、重男の枕元に立った。
昔は黒衣に鎌が制服だったらしいけれど、今や時代遅れということで、私服勤務が主流。ザ☆死神なイメージを払拭するために、ペールピンクのフリフリ衣装を着て、先端に星が付いたキラキラステッキを持って行ったけれど、私が死神だということは秒でバレたようで、最期の願い事をされた。
「お、お願いだ。嫁に……嫁に会わせて……」
先輩から、正体がバレた死神は怖がられるって聞いたけれど、重男は怖がるどころか縋り付いてくる。あと、なんか頭撫でられた。なんで? もしかして新米だって気づかれた?
「お願いだ、魔法少女」
ちょっと何を言っているのかわからない。とにかく、重男の願いはやっぱり奥さんに会うことだったみたい。慌てて資料に目を走らせた。妻、妻……何よこれ。家族の情報は載っていないのね。
でも住所はバッチリ書いてある。私はとりあえず、重男の家に行ってみることにした。
※
「お邪魔しまーす」
私は礼儀正しい死神だ。最期の願いを叶えるためとはいえ、人様のお家に勝手に入るのは気が引ける。だからせめてと思い、大きく挨拶をしたのだ。でも反応はない。
それにしても、室内は静かだ。人の気配がない。その代わり、床に散らばったお菓子の袋や空缶の間を縫うように、カサコソと何か黒いものが……いや、何も見ていない。幻覚だ。
とにかく、奥さんの手がかりを探さないと。
一枚くらい夫婦の写真があるのではないかと思って捜索してみた。結果、探すまでもなく、大々的に飾られた巨大写真が目に入る。ただしピンショット。
フワフワピンクの髪をした、若い女性だ。二重瞼がぱっちりと特徴的で、唇はぽってりしていて、ちょっと色っぽい。可愛いと綺麗を併せ持った、一言で言えば美人さんだ。こんな素敵な奥さんがいるなんて重男、なかなかやるじゃない。
でも、肝心の嫁本人の居場所がわからない。
手がかりを求めて、隣の部屋へと入る。寝室だ。シックな飾り棚の真ん中に、今度は常識的な大きさのフォトフレームに収まった奥さんの写真。なぜか髪色はオレンジ。その正面にはリングピローがあって、シルバーのリングが一つ。サイズ的に女性ものだ。
ん? ……ちょっと待って。
大切に置かれたリング、いくつも飾られた写真、人の気配がない家。もしや、これは。
奥さんはすでに亡くなっているのでは。
胸一杯に広がる絶望に、泣きそうになる。もし奥さんが亡くなっているのなら、重男の最期の願いを叶えてあげることはできない。死神は魂を冥界に連れて行くけれど、死後の世界から誰かを呼び出すことなんて不可能なのだ。
「ううっ、ごめんね、プレ死者さん」
無様にも涙と鼻水を垂れ流しつつ、リングとフォトフレームを手に、病院へ戻った。
消毒液の匂いがする、清潔な院内。トボトボとエレベーターに乗り、重男の病室がある階で下りる。
そのまま廊下を進み、角を曲がったその瞬間。誰かと肩がぶつかった。ぼんやりしていたから、向こうから女性が歩いて来ているのに気づかなかったのだ。
「ご、ごめんなさ……、って、えええ⁉︎ 奥さん!」
私は思わず声を上げた。そう、目の前に、重男の奥さんが立っていた。
ニット帽を被りサングラスをしているけれど、間違いない。毛糸の間からはみ出たピンクの髪も、ぽってりした唇も、間違いなく彼女。
手に持っていた写真を横に並べてみれば、絶対同一人物だ。
「お、奥さん! 旦那さんに会いました?」
白い歯の間から、案外ファンキーな「はぁ?」が返ってきた。重男が入院している階にいたってことは、お見舞いに来ていたんじゃないの?
訊いてみたら、眉間にぐっと皺を寄せて、奥さん(仮)は言う。
「重男? 誰それ」
「誰って、旦那さんですよ! ほら、これ」
リングとフォトフレームを突き付ける。奥さん(仮)の腕に、ぞわわっと鳥肌が立つ。
「し、知らない。何これキモいんだけど」
なんと、もしかしたら死別でなく離別だったのかも。だけど、重男の最期の願いを叶えるため、私は諦めない。
「ひどい! 残りライフ僅かな重男さんは、亡くなる前に一目あなたに会いたいと願っているんですよ」
「私に? 何で……」
「お家には奥さんの写真がいっぱいありました。オレンジの髪もフワフワピンクもグリーンだって、色んな姿をしたあなたの写真が。あの人は、奥さんのことが誰よりも好きなんです。だから」
「グリーン……超初期の髪色じゃん」
呟いて、奥さん(仮)は急に静かになった。リングを見つめ、しばらく黙り込んだ後、彼女は細い顎を上げる。
「重男さん、だっけ。私に会いたいっていうのが、亡くなる前の最期の願いなんだよね?」
私はこくこくと頷いた。
「行くわ」
奥さん(仮)はサングラス越しに私を見た。決意に満ちた眼差しだ。レンズ越しだから完全なる想像だけれど、多分。
「会いに行く。重男さんに」
※
「み、ミナちゃ……、本物なのか」
朦朧とした様子ながら、ベッドに横たわった重男が手を伸ばす。どうやら「ミナちゃ」という名前らしい奥さんが、白いシーツの間から飛び出した枯れ木のような手を取った。ミナちゃは、すん、と洟を啜り、何度も頷いた。
「うん、ミナだよ。重男さんの最期の願い、『ミナに会いたい』だって聞いたから来たの」
「うん、ガチ恋。ミナちゃは僕の生き甲斐だったから」
「初回限定グリーンガールコラボの緑髪ブロマイドも持ってるって聞いた」
「もちろん持ってるよ」
「何であんなもの……上京したての、垢抜ける前の写真じゃない。イモならぬ田舎ネギって言われてたのに」
「いいや、君は最初から美しい。この世界に降臨した瞬間から僕のヴィーナスなんだよう。今も、大天使よりも輝いているよう」
「最近は老けたから、ネットでもBBAってディスられてるのに?」
「ミナちゃ聞いて。世界一の祭典、ミナちゃ生誕祭の八月がやってきて君が一つ素敵になると、僕もまたおじさんになる。僕らの年齢差は永遠に十八歳。フォーエバー」
「重男さん……」
「ミナちゃ……」
固く手を握り合う二人に、なんだかよくわからないけれど涙が溢れてきた。なんて美しい愛なのだろう。
できることなら、ずっとこのまま二人で見つめ合っていてほしい。けれど重男の魂はもう、ほとんど肉体から離れかけている。そうとは思えないほど口が達者だけれど。
私は拳で鼻水を拭い、二人の間にキラキラステッキを翳した。ステレオタイプの死神が持つ鎌の代わりだ。
「ごめんなさい、二人とも。名残惜しいでしょうけど、そろそろ時間です。さあ、お別れの言葉を」
ミナちゃが頷いて、サングラスの隙間から涙を零しつつ言う。
「重男さん、会えて良かった。あたし、もうアイドルを辞めようかと思っていたんです。年だし、人気もないし。でも、重男さんみたいに今でもあたしを好きでいてくれる人がいるって知って、まだ夢に向かって頑張れる気がしました。だから本当にありがとう。あたし、あなたみたいな人にもっと早く会いたかった」
「ミナちゃ、君は絶対にアイドルを辞めてはいけない。僕はそろそろいなくなってしまうけど、この熱烈な愛は天国にも持って行く。ミナちゃは僕の生き甲斐だった。君に会いたくて、最期までずっとそればかり考えていた。そうしたら魔法少女が願いを叶えてくれたんだ」
「私は死神です」
鼻水塗れの抗議は受け流された。 個室病室に、二人だけの世界が出来上がる。やがて重男の身体から魂が抜けて、ミナちゃの手のひらに包まれたプレ……ガチ死者さんの細い腕が、かくりと力を失った。最期の願いを叶え、重男は幸福な光を纏って冥界へと旅立った。
しん、と静まり返った室内。私は涙を拭ってから意識して明るい調子を装い、にっこりと笑った。
「奥さんと重男さん、思いが通じ合って良かったですね」
ミナちゃは、重男の枕元にあるティッシュを遠慮なく三枚くらい取って、豪快に鼻水をかんだ。何度かチーンしてから、不思議そうに首を傾けた。
「ところでどうして、あたしの本名が越久だって知っているの?」
「はい?」
「越久南枝。売れないアイドル姫野ミナの……あたしの本名」
「越久? いいえ、私は奥さんって言ってたんです。ほらあれ。ワイフ」
「ワイフ。妻? ……はあ?」
「ミナちゃと重男さんってご夫婦ですよね?」
「やだ、何でこんなブサ男」
「え、でも重男さん、嫁に会いたいって言ってました。だから私、奥さんを探したんですが」
「ああ」
ミナちゃ改め越久さんは、鼻の奥でふっ、と笑った。
「嫁、ネットで調べてみてよ」
※
嫁。熱烈なファンが、最も好きなアイドルやキャラクターなどに対して使う言葉。嫁にしたいくらい好き、という意味合い。用例「俺の嫁」
(死神現代用語辞典日本エリア版 より)
「ぶふっ! いやぁ君、面白いな。じゃあ勘違いした末に、オタクプレ死者さんの夢をバッチリ叶えてあげた訳か」
死神本部の一室にて。男性の爆笑が高らかに響き渡る。
デスクに突っ伏しそうなほど身体を折り曲げお腹を抱える死神上司を見て、私は頬を膨らませた。
「い、いいじゃないですか。結局幸せそうに冥界へ旅立ったんですから。ほら見て。利用者満足度アンケート、オール五ですよ!」
「ああ、そうだな。初仕事は上出来だ。潜在顧客、じゃなくて越久南枝さんもアイドルとして前向きに生きるきっかけを得たみたいだし。ふふふ。彼女がプレ死者さんになる時にはきっと、うちに依頼が来るぞ。追加料金で特別プランでも提案するか」
「うわっ、課長えげつな」
「なんだと、新人。調子に乗るなよ。ところでおまえ、これが全部自分の力だと思ってないだろうな」
「へ?」
首を傾ける私に、死神上司は笑いを引っ込めて椅子に座り直した。
「じゃあ質問。越久さん、何で病院にいたんだと思う?」
「病棟にいましたからね。誰かのお見舞いでは」
「そんな偶然、あると思ってんのか」
「と、仰ると」
「操作したんだよ。越久さんの関係者が入院している病室を」
「ええっ⁉︎」
「ほら、おまえは今回が初仕事だっただろ。万が一、大失敗をして自信を喪失されても困るんでな、新人のことはいつも、ある程度は陰から補助することにしているんだ」
「がががーん」
ということは、死神上司の根回しがなければ私のオール五もなかったということなのか。そんなことも知らずに浮かれていたなんて、すっごく恥ずかしい。
急に萎れ返った部下を見て、上司はフォローにかかる。
「まあ、いくら操作したとはいえ、重男の会いたい人物が越久さんだと気づき説得して連れて行ったのはおまえだよ。どちらにせよ上出来だ。そして何より」
死神上司は、嫌味な笑みから一転、とびっきり優しい表情を浮かべて言った。
「プレ死者だけでなく、あの売れないアイドルの心も救っただろう。結局、関わったみんなが幸せになったんだ。死神として、これ以上に嬉しいことがあるか?」
「か、課長おぉ」
感激で涙が出てきそう。これぞ飴と鞭。
でも確かに、課長の言う通りだ。
私たち死神のお仕事は、肉体から魂を切り離し、無事に冥界へと連れて行くこと。でもそれだけじゃない。一番大切なのは魂のケア。彼らが少しでも幸福な気持ちで人生を終えられるようにお手伝いすることなのだ。
「じゃ、この経験を活かして、早速次の仕事に行ってもらうぞー」
「はい! ……って、もう次ですか! 休憩は? 有休は?」
「プレ死者のところで飯食って来い。あっちに行ってる間にいくらでも休憩できるだろ。それと有休? 何だそりゃ。死神本部には存在しない」
なんて悲惨なブラック企業。訴えたいけれど、残念ながら死神世界に労働基準監督署なんてどこにもない。そもそも、過労を防止する法律もない。
それでも不思議と、辞めたいとは思わない。自分でも驚きの社畜魂だけれど、労働環境の悪さをカバーするだけの、やりがいがあるのだ。
へとへとでも頑張っていこうと思えるのは、この仕事を通じ、誰かの笑顔が生まれると信じるから。やるんだ、やり遂げるんだ私!
「さて、次のプレ死者の最期の願いは……」
今日も新米死神は、誰かの最期を輝かせるために奮闘する。
<完>
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