4人が本棚に入れています
本棚に追加
名もなき喫茶店にて
名前のない喫茶店で、若い男女が向かい合い座っている。
会社帰りにでも寄ったであろう二人は、夕食を取った後のコーヒーとデザートを前に、深刻そうな表情をしているのは女の方だ。
深刻そうな表情だが、二人が喧嘩をしている様子はない。無論、修羅場でもない。
その女性は、日本を代表する大企業オカムラグループの令嬢だ。
およそ縁のなさそうな名前もない喫茶店にいるのは、目の前に座る幼馴染の近藤英人との関係もある。
近藤が絵画展覧会の帰りにふらりと寄ったのが切欠だ。
自分の良いと思った場所には、必ず祥子を連れ出しているのだ。
背筋を伸ばし座る祥子の姿からは、育ちの良さ、さらには気品を感じられる。
その姿勢のまま、ホットコーヒーを静かに口に運んだあと、唇を尖らせた。
「でも、もうちょっと早く言って欲しかったわ……ね、近藤君」
近藤という目の前の猫背の男を否定しているわけではない。自分の頭の中の考えに対しての答えだ。
でも、と言って話し始めることは、祥子にとってよくあることである。
それを知っている近藤は、首を横に振って祥子に答えた。
「その顔やめれって。早く知ったところでどうもできなかったろ?真実を知った者同士が傷を嘗め合う・・ってか?」
一口大の生チョコレートを一つ手に取り無造作に口に放り込む近藤。続けてアイスコーヒーをゴクゴクと流し込み、祥子の答えを待った。
首を傾げ、少し考えたが祥子に答えは出ない。
「それって何?……傷を嘗め合うって、どういうこと?」
「深く考えんな。一人惨めに、生活するよりお互いに、」
近藤が全て言う前に、祥子はその声を遮った。
「嘘よ!そんなの!嘘に決まってる」
何が嘘なんだ?そう聞き返したかったが、祥子の気持ちを汲み、近藤はポケットからシガレットケースを取り出し、机の上に置いた。
食事をしながらの喫煙は、祥子が嫌がるので我慢していたが、すでにコーヒーしか残っていないため、ゆっくりと煙草に手を伸ばした。
「ま、何が嘘なんか知らないけど……吸うけど、飯食ってないし、いいよな?」
シガレットケースを机に上に出し、既に灰皿を自分の元に寄せる近藤に、どうぞと促すと、祥子は聞いた。
「あのさぁ……ちょっと聞きたいんだけど、私と松田さんって、どう思う?」
煙を吐き出してから近藤は、答えたくない質問に面倒くさそうに言い返した。
最初のコメントを投稿しよう!