12 今夜の主役

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12 今夜の主役

 不安定なアンバーと共にめかし込んだ外出になった。  会場はアンバーの城から車で三十分程かかるビルだった。  アンバーはなにがあったのかも何処へ行っていたのかも言わず、先日ジャスパーに注文していたタキシードを着込んでいる。 「緊張している?」  そう訊ねたのはダニエル自身の緊張を誤魔化す為だったのかもしれない。 「ううん。ただ少し気が重いだけ」  アンバーの声には元気がない。許されるのであれば参加したくないとでも言う様子だ。 「あのね、凄く気が強い女性がいるんだ。僕の従姉妹なんだけど……うん。今夜の主役……ダニーにもきついことたくさん言うかも」 「大丈夫。そういうのは慣れているから」  ゲイだってだけでどれだけ批難されてきたか。心ない人間の言葉ひとつひとつに傷ついていたら生き残れない。 「アンバー、僕たちみたいに()()()()()()生き方を選ぶ人には心ない言葉を投げてくる人も多い。でも、そんな人達の言葉で傷ついているなんて、僕たちを愛してくれている人に失礼だよ。アンバー、忘れないで。君は愛されている。ベンやデラ、クレム、それに僕だって君を大切に思っているんだ。誰かに酷いことを言われたら思い出して。アンバーは僕のヒーローだって」  繊細すぎて消えてしまいそうなアンバーの手を握った。  拒絶はない。ただ、少し驚いた様子を見せ、それから涙を滲ませた視線を向ける。 「ダニー……ありがとう。凄く心強いよ。君こそ僕のヒーローだ」 「せっかくめかし込んだのに泣かないで。ほら」  ハンカチを差し出す。今日はデラがしっかりアイロンをかけてくれたちゃんとしたハンカチだ。 「ありがとう」  アンバーはハンカチを受け取って涙を拭った。  その仕種さえ育ちのよさが滲み出ているようで住む世界の違いを感じてしまう。  けれども不思議とアンバーからはフェミニンな空気を感じなかった。  ただ繊細で、まだ自分自身に戸惑っているような思春期の少年。その印象が消えない。  それでもアンバーはダニエルより立派な人間だ。つまり、困っている人にすぐ手を差し伸べられるだけの優しさと力を持っている。だというのに、どこか低すぎる自己肯定感が気になった。  これから会うアンバーの親戚達について考える。  きっと信心深く、伝統を重視するような人達だ。彼らは一体どれだけアンバーを傷つけてきたのだろう。  どうか、今夜はアンバーが傷つきませんように。  ダニエルは心の中でそっと祈った。  辿り着いた会場はダニエルが一度も足を踏み入れたことがないような高級ホテルの宴会場だった。  煌びやかなシャンデリアに金額を考えたくもないような高級絨毯。従業員も姿勢からしてそこらのちょっとした店とは質が違う。 「……僕は場違いじゃないかな?」  集まっている人に劣らない要素と言えば身長と着ているものくらいだ。 「大丈夫だよ。僕のパートナーなんだから。ほら、胸張って。ダニーは背が高いからジャスパーの服がよく映えるよ」  先程まで励ましていたはずのアンバーに励まされながらダニエルは姿勢を正す。  その直後だった。 「あら、ジュリじゃない!」  女性の声が響いた。  彼女はハイヒールを鳴らしながら真っ直ぐアンバーに近づき、彼を「ジュリ」と呼んだ。  なんて酷い呼び方だ。 「せめてロミオにすればいいのに」  メンヘラ女(ジュリ)だなんて酷すぎる。 「そういう意味じゃないよ」  アンバーはダニエルの発言を理解したらしく、幽かに笑った。 「僕はアンバーだ。カトリーナ、アンバーと呼んで欲しいといつも言っているだろう?」 「いいじゃない。ジュリなんだから。それともジュリエットの方がいいかしら?」  カトリーナと呼ばれた女性はアンバーに負けないくらい輝く金髪で、アンバーとは全く違う攻撃的にさえ感じられる目を持っていた。 「アンバー・ジュリエット、伯母様はいつもそう呼んでいたじゃない」  カトリーナの言葉に、アンバーは不快そうな顔をした。 「その名前は嫌いだ。『ジュリエット』だなんて、粘着質な女みたいじゃないか」  アンバーは冗談のようにそう口にするが、それだけではないはずだ。  彼にとって女性の名前で呼ばれることは苦痛だろう。 「だからジュリにしてあげているのに」  カトリーナはからかうようにそう言って、それからダニエルに視線を向けた。 「ジュリが男のパートナーを連れてくるなんて珍しいわね。ああ、恋愛対象は男だものね。いい加減男みたいな格好なんてやめてちゃんとドレスを着なさいよ。恥ずかしい」  カトリーナはじっとダニエルを観察しながら言う。 「それにしても随分系統の違う男を連れてきたわね。あなた、もっと線が細い女々しい男が好みじゃない?」  女々しいという部分ではアンバーの好みと一致したのかも知れない。思わずそんなことを考え、ダニエルは首を振る。  どうもこのカトリーナという女性は好きになれそうにない。アンバーが言われたくない部分ばかり突いているような気がするのだ。 「ダニーは友達だよ。凄くいい人なんだ。悪く言わないでくれ」  アンバーは明らかに怒りを見せた。 「あら、悪くなんて言ってないじゃない。まあ、いい服を与えたって育ちまでは隠せていないけれど」  その直後、アンバーの手が動いた。  近くの給仕からグラスを奪い取り中身をぶちまけようとした瞬間、ダニエルは間に割って入った。  シャンパンが顔に撥ねる。  せっかくの上等なタキシードがびしょびしょになってしまった。 「アンバー、落ち着いて」 「ご、ごめん、ダニー……君にかけるつもりは……」  アンバーは動揺している。 「誰が相手でもこんなことをしてはダメだよ。君らしくない」  普段の落ち着いたアンバーは何処へ行ってしまったの。そう、問いかけようとした口を噤む。 「……ごめん、来たばっかりだけど、帰ろう。シャンパン、染みになっちゃう」 「うん。でも、その前に」  ダニエルはカトリーナを向く。 「僕の友人をいじめないで欲しい。アンバーは僕が知る限り最も素晴らしい男だ。彼のようにすぐに他人に手を差し伸べられる人間はそう多くない。あなたのように意図的に相手を傷つけようとする人間が貶していい人ではないよ」  ダニエルは一方的にそう言い放ち、アンバーの手を引いた。 「ちょ、なによあんた!」  カトリーナが怒鳴りだした頃にはアンバーと共に階段を駆け下りる。  幸い、彼女はわざわざ追ってくるようなことはしなかった。 「ダニー……あれは完全にカトリーナを怒らせたと思うよ? 彼女は単純に僕が嫌いなんだ」 「怒らせたかったんだよ。僕の大切な友人をいじめたから」  そもそも本人が嫌がる名前で呼ぶこと自体いい人がする行動ではない。 「本当に、ダニーは僕のヒーローだよ」  アンバーは少しだけ困った笑みを見せる。  幼い頃から相当彼女にはやられていたのだろう。少しだけ怯えているようにも思えた。 「正直、アンバーが彼女にシャンパンをかけようとした時は焦ったよ。でも、止めなきゃよかったかもって少しだけ思った」  初対面だけどあのカトリーナのことは好きになれそうになかった。  ダニエルはじっとアンバーを見る。 「なら止めなきゃよかったのに。そしたら、たぶん僕は彼女にビンタまでしてた」 「それは困る。友人を暴行で警察に連行されたくないからね」 「どうせ金を払えば済むよ」  アンバーはそう言うけれど、親戚同士で揉めることは彼も望まないはずだ。 「でも、助かったよ。カトリーナの父、つまり叔父だけど、親馬鹿過ぎて面倒なんだ」  きっとアンバーはその叔父のこともよく思っていないはずだ。 「ところで、アンバーの好みの人は居た? 僕はさっきの給仕かな。お尻がとってもいい形だったと思う」 「……ダニー……それはジョークなの? それとも本気?」  アンバーは呆れた顔を見せた。 「半分本気。ああいうお尻は好み。でも、あの状況でナンパしたりはしないよ」 「そう? 生憎僕はあの場で他人を観察しているほどの余裕はなかったんだ」  アンバーは息を吐く。  余程緊張していたらしい。 「そっか。じゃあ、アイスクリームを買って帰ろうよ。あ、お店にはアンバーが入ってね。とびきり大きいバケツみたいなアイスを買ってきてよ。ほら、僕にシャンパンをぶっかけたお詫びとして」 「ふふっ、わかったよ。いや、本当に悪かったとは思っているし、お詫びもしようとは思っていたんだけど……ふふっ、ダニー、まさか自分からそんな提案をしてくるとは思わなかったよ」  アンバーは気が抜けたとでも言うように腹を抱えて笑う。 「大丈夫。そんなに気にしなくても、アイスクリームで許せる程度のことだよ」  別にアイスクリームでなくてもよかったけれど、なにかを要求しなければきっとアンバーが気に病むだろうと思ったのだ。 「チョコチップかバニラがいいな。それかストロベリー」 「わかったよ。全種類買ってくる」  アンバーは笑う。  ようやく、いつもの少年の様な笑みに戻った彼を見て、ダニエルは心の底から安心した。        
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