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19 意地悪い側面
面接は驚くほど順調だった。
「ダニー、あなたは素晴らしい。明日からでも来て頂きたい程です。勿論、アンバー様の許可が下りれば、ですが。少なくとも冬のコレクションまでにはモデルとして働けるようにお願いします。勿論、店のスタッフとしても大歓迎です。ショーのモデルがそのまま店内を歩いているのも素晴らしいでしょう?」
ジャスパーは随分と乗り気のようで、熱っぽい視線を向けられる。
「僕がゲイで、昔は女装して働いていた話を聞いても同じことが言えますか?」
「勿論。多様性の時代にそのような細かいことを気にしているような店はすぐに潰れますよ。伝統も大切ですが、時代に合わせた変化を受け入れられなければ時代に取り残されます」
ジャスパーは微笑む。
「それに……私も、特殊な方の人間ですから」
ウィンクをされ、反応に困る。
「あー……つまり、あなたもゲイ?」
「厳密に言えば違います。私は全性愛者です。つまり……女性の恋人が居たこともあります。現在は……独り身ですが……」
ジャスパーは目を伏せる。
なにか事情があったのかもしれないが、ビジネスパートナーのプライベートにずかずかと足を踏み入れたくはない。
「恋愛は個人の自由です。仕事の詳細をお伺いしても?」
「勿論。こちらに資料を用意してありますのでご覧ください。不明な点は質問してください」
ジャスパーは二十ページ程の冊子を用意してくれたらしい。随分と準備がいい。
おかげで短時間で雇用契約書にサインしてしまった。
採用が決まった帰り道、それは起こった。
「あらぁ? ダニーじゃない。新婚生活はどう?」
嘲るように声をかけてきたのはかつての同業者、ヴィヴィアンだ。
安物のジュエリーで全身を飾り、濃すぎる化粧でも意地の悪さを隠しきれない。
「久しぶりね、ヴィヴィアン。悪いけど、アタシに相応しくない男だったから捨てちゃったわ。今はもっと素敵な求婚者がいるの」
紳士服を身に纏っているのに、かつての同業者を前にすると自然と女言葉になる。
「はっ、強がっちゃって。アンタが結婚詐欺に遭ったのは知ってるのよ。店まで手放して惨めね」
ヴィヴィアンは悪意を隠そうともしない。
確かに同業時代はギスギスしていたし、掴み合いの喧嘩もしたことがある。
ダニエルの方が売れっ子で、嫉妬されていたことも知っている。
それでも、わざわざ相手の傷口を拡げようとするやり口は気に入らない。
どう言い返そうか。
そう考えていると聞き慣れた声が響く。
「あれ? ダニー? 今帰り?」
アンバーだ。
今日も上質な紳士服を纏い美しい姿勢でいかにも育ちのいい笑みを浮かべている。
「アンバー? 出掛けていたの?」
「うん。ちょっとした打ち合わせがあってね。ついでに、雑誌を買って帰ろうかと思っていたところだよ。おや? 知り合い?」
アンバーは今気がついたとでも言うようにヴィヴィアンを見る。
「昔の同業者だよ」
短く答えれば、アンバーは少しだけ黙り込み、それから笑顔を作ってみせる。
「はじめました。僕はアンバー。ダニーの特別な友人だよ」
なにかを察したのか、単に彼がそう行動したかっただけなのか。
少なくともヴィヴィアンは衝撃を受けた様子だった。
「ヴィ、ヴィヴィアンよ……」
ヴィヴィアンは完全にアンバーに圧されている。
「ヴィヴィアン、悪いけれどそろそろ僕のダニーを返して貰ってもいいかな? 僕は嫉妬深いから、たとえ同業者でもダニーが他の男と一緒に居るのが嫌なんだ」
輝くような笑顔で、とんでもないことを口にしてくれるアンバーの声はやはり声変わり期の少年の様だ。
ヴィヴィアンはアンバーの笑みに完全に押し負けたらしい。
「お好きにどうぞ」
気に入らないという表情を隠しきれずにそう口にし、踵を返した。
「なに? あの厚化粧」
ヴィヴィアンが去った途端、アンバーの顔から笑みが消える。
「昔の同業者だよ」
「それは聞いたけど、ダニーのこと傷つけたいって全身から滲み出ていたよ」
気に入らない。とアンバーの空気が冷える。
「もしかして、話を聞いてた?」
「ちょっとね。ダニーが見えたから一緒に帰ろうと声をかけようとしたら、あの厚化粧がダニーのこと悪く言ってたから」
それはつまり、アンバーに強がりの見栄を聞かれてしまったと言うことだ。
「それで? ダニーの言う素敵な求婚者って? 僕以外にそんな人、いる?」
少し上から、どこか強気な態度で訊ねられ、居心地が悪くなってしまう。
「ごめん、ヴィヴィアンの前で見栄を張った」
「見栄? 事実でしょ? ダニーを騙したクソ野郎なんかより、僕の方がずっといい。僕にしておきなよ」
優しく手を取られたかと思うと、そのまま指先に口づけられる。
「年下は好みじゃない?」
僅かに不安そうな声。
確かに。年下は好みじゃない。もっと言えば線の細い男子も好みじゃないし、ダニエルはずっとボトムだ。
「確かに、好みだけ言えば僕は年上が好きだし、もっとムキムキの方が好み。それに僕はボトムだ」
それでも。
感情というのは頭で描いた理想通りにはならない。
「でも、君がいい男だっていうのは認めるよ」
そう告げればアンバーは僅かに照れを見せる。
「まあ、僕ほどダニーを大切に出来る男はいないよ。それと……僕はボトムじゃないから、その辺りは丁度いいんじゃない?」
ダニエルは耳を疑う。
それこそ、固定観念というものは捨てるべきだ。
アンバーのような線が細くて綺麗な美少年、それも特別な事情を抱えていた人はてっきりボトムなのだと思い込んでいた。
「僕は君を誤解していたようだ……」
「よく言われるよ。それで? 僕と婚約してくれる気はある?」
それともまた保留? と視線が訊ねる。
そういう視線は妙な色気を纏っていて……視線を逸らせない。
「僕にはダニーが必要だ。ダニーも同じ考えだと嬉しいけど……」
離れるかと思ったアンバーがもう一歩近づく。
逃げられない。
「……あー……えーっと……特別な友人で」
「そう? 特別な友人、ね」
アンバーは面白そうに笑う。
けれどもそれ以上は踏み込んでこない。
まるでダニエルの反応を観察して楽しむようで、彼の意地悪い側面を見せられたような気分になった。
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