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終 最高の友人
新しい職が決まったダニエルは、アンバーと新たな取り決めをした。
家賃、食費、光熱費。それとどの程度屋敷の中の仕事をするか。
ダニエルとしては家事や雑用を手伝うことは同居人として当然だと思っている。けれどもアンバーは使用人として働いていた内容であれば賃金を支払うべきだと言って聞かない。
「住人ならちょっとしたゴミ出しや庭掃除くらいは当然の仕事だよ」
「だけど、それだと今まで賃金を支払っていたのに支払わないなんておかしいよ」
「じゃあ、毎日じゃなくて気が向いたときだけするようにしたらいいかな?」
全くやらないのはなしだよとアンバーに告げれば彼は納得がいかない様子を見せる。
「それじゃあダニーが損するだろう?」
「全く。アンバーが妥協してくれないなら僕はここを出て行かなくてはいけないよ」
切り札のようにそう告げれば、アンバーは黙り込む。
ダニエルだってアンバーと一緒に居られるのは嬉しい。けれども自立して、対等な友人としてたまにお茶友達くらいの関係を維持できれば満足するべきだとも思っている。
そもそも、生きる世界が違う。
ダニエルが生きていたのは虚飾に溢れた世界だ。傷ついた人達が理想で武装し、手に入らなかった物を手にしたように振る舞っている。
アンバーは違う。由緒ある家の生まれで、責任を果たしている人間だ。ちょっとした悩みは抱えていたけれど、それでも彼はあるべき姿を理解している。
アンバーの気持ちは嬉しい。彼のことを愛している。けれども、彼はダニエルと一緒に居るべきではない人間のように感じてしまう。
「……僕が全部妥協したらダニーはここにいてくれる?」
少し拗ねた様な表情で訊ねられ、ダニエルは胸が痛んだ。
「どうしてそこまで……」
一緒に居るべきではないと思う。いつまでも彼の負担になっていてはいけない。
ただでさえ否定的な彼の親戚に、もっとひどいことを言われるかもしれない。
「だって、ダニーは僕の人生に必要だから。君が居てくれなかったら、きっと僕は自分を愛せずに世界に絶望していた。自分の身の不幸を嘆いて……愚かな選択をしていたかもしれない。ダニー、君は僕の恩人なんだ。そして、いつも寄り添ってくれる君に惹かれた」
ぎゅっと手を握られ、瞳を覗き込まれる。
「最初はね、かわいそうだと思ったんだ。かわいそうな君にほんの少し手助けが出来たらって……でも、君といくつか言葉を交わして、家に招いた頃にはすっかり君が心地よかった」
心地よいなんて表現をされるのはなんとなく落ち着かない気分になる。
「ダニーが僕の特別になるまで、そんなに時間はかからなかったよ。それに……ジュリにもダニーは特別だった。だから……ダニーにとって僕が特別ならいいと、ずっと思ってる」
縋るような目で見つめられると、感情を強く揺さぶられる。
「……アンバー、君は最初から特別だ。僕の恩人で……綺麗な子だと思った。それにとても親切で……困っている人に手を差し伸べずには居られない。僕が知る限り最も素晴らしい人間のひとりだ」
慎重に言葉を選ぶ。
アンバーは友人で、憧れだ。本当に特別な友人。
だからこそ、ある程度の線引きはするべきだ。
関係を壊したくない。
「僕は君を尊敬している。アンバー、君が素晴らしい人だってわかっているからこそ、君との関係が壊れるのが恐いんだ。僕と君は友人で……そう、君と仲違いするのが怖い」
ダニエルは臆病になっている。
夢中になった恋人に騙されて捨てられた過去のせいだけではない。
「僕と居ることで、アンバーが傷つけられることも増えると思う。僕は……それが嫌だ」
「そんなの気にならないよ。ダニーが居てくれれば……ううん、ダニーが居てくれないと僕は耐えられそうにない。だから、側に居て欲しい」
ずるい。
思わず口にしそうになる。
アンバーはそういう言い方をすればダニエルが断れないと知って言い方を変えてきた。
「君って、想像よりずっと狡猾だね……」
ダニエルに逃げ道を塞いで、逃がさないと宣言されているような気分だ。
「周りのことは全部抜きにして、ダニーの感情だけ教えて? 僕は君にとって魅力のない男?」
本当に、ずるい。
ダニエルは思わず笑う。
「わかってて言ってるでしょ? 君ほど素敵な人は居ない。正直に言うと、一瞬ジュリにも惹かれそうになった。僕は異性愛者ではないはずなのにね。つまり、アンバーでもジュリエットでも……君という人間が魅力的だ。夫にしたいランキングで堂々の一位だよ」
もう完全に負けだ。
ダニエルはアンバーの手に手を重ねる。
「君が好きだ。最高の友人だと思いたかった。でも、それだけじゃない気持ちもある。だから、自立して君と対等になりたかった」
「ダニー……僕は負けず嫌いで嫉妬深い。凄く独占欲が強いんだ。君が出て行くなんて考えたくないから……君の就活先全部に手を回していたって言ったら怒る?」
悪戯を叱って欲しい子供のような表情で言われ、ダニエルは困惑する。
「え? まさか……冗談でしょ?」
「あー……少なくとも……ここ最近の求人応募に関しては本当。僕の目の届かないところに君を置きたくなかったから」
ダニエルは呆れてしまう。
「仕事が決まらなければダニーはずっとここに居てくれるでしょ?」
「……アンバー、君のことを……はじめて嫌いになりそうだよ」
なんて極端な手段を。
もしかしたら金や権力を持たせてはいけないタイプの人間なのかも。
ダニエルは溜息を吐く。
「やだ。もう逃がさない。ダニー、結婚しよう?」
「……アンバーのわがままが治るまで、保留にしておくよ」
怒っているよという姿勢だけ見せる。
「……それって……求婚自体は受け入れてくれるってこと?」
「さあね」
保留だよ。と繰り返す。
けれども断らずに保留にしているのだから、半分以上承諾しているようなものだ。
「わかったよ。しばらくは友達で我慢する。けど、特別な友人だ」
「うん」
握り直された手の甲に口づけられる。
「そう言えば……ダニーを騙した詐欺師野郎、別件でも詐欺を働いていてね。捕まったよ」
アンバーは思い出したように言う。
「え? ジョージが?」
「うちの使用人は優秀でね。情報収集が得意なんだ。まあ、城暮らしの僅かな利点だよ」
アンバーは悪戯っぽく笑う。
由緒ある家系だからこそ、使える手段とやらがあるのかもしれない。
「かなり長いこと刑務所暮らしになるだろうね。それに、刑務所じゃ同性愛者はひどい目に遭う。たとえ、装っていただけだとしてもね」
かつて愛した人のそんな話を聞いても、全く感情が動かない。
少し前は一発ぐらい殴ってやろうかくらいには思っていたはずなのに、それすら感じなかった。
「アンバー、もしかしてずっと彼を探してくれてた?」
「……ダニーを傷つけたやつが許せなかった。それに、同性愛者を狙う詐欺師は許せない。アウティングを恐れて告発できない被害者も多かっただろうしね」
アンバーの言葉に頷く。
泣き寝入りしか出来ない被害者は、たぶんダニエル以外にも居ただろう。
「……手段は聞かないことにする。それに、被害の規模も。でも、これだけは言わせて。君って最高」
悪人が報いを受けてくれるなら、今はまだ無理だとしても、ダニエルの傷もいつかは乗り切れるだろう。
「僕はゲイで、詐欺に遭った。けど……おかげで最高の友人と出会えた」
主よ、感謝します。
都合のいいときにしか祈らない神に思わず祈る。
「悔しいけど、その一点だけは彼に感謝しておくことにするよ」
ダニエルは笑うアンバーが出す手に遅れることなくハイタッチした。
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