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4 休日
アンバーの屋敷で世話になり始め、一週間経った。
主な仕事は掃除と買出しだ。たったこれだけであんなに賃金をもらっていいのだろうかと不安になってしまう。
そして、初めての休日。
正直、どう過ごせばいいのかわからない。
朝食と夕食は一緒に過ごすが、アンバーは気まぐれとしか思えない時間でふらりと出かけていく。
仕事なのかプライベートなのか。
それすらわからない。
いつも上等なスーツを着て、時々ベンを同行させる。
彼が運転免許証を持っていると言う事実に驚いたけれど、とっくに成人しているのだ。少年の様な外見に騙されてはいけない。
アンバーの屋敷では最初に告げられた規則さえ守れば自由に過ごしていいとのことだった。外出も禁止されてはいない。
けれどもダニエルはまだ外出する気になれなかった。
もしどこかでうっかりジョージに出会ってしまったら?
その可能性は低いだろう。とっくに別の街か、もしかすると海外に逃げているかもしれない。
けれども、散々結婚すると自慢して回ったかつての従業員達や友人とうっかり出会して結婚生活の話をされたら?
とても対応出来る自信がない。
正直買出しだって不安だ。なるべく目立たないように迅速に買い物を済ませ、真っ直ぐ屋敷へ戻るようにしたとしても、どこで誰に見られているかわからない。
幸いなのはアンバーの屋敷はネットが繋がらないことだろう。
談話室を兼ねた応接室はなんとかネットが繋がるようだが、それ以外の部屋は全く繋がらないらしい。おかげでスマートフォンを完全に手放した。つまり、SNSを気にする必要がなくなったのだ。
元部下や同僚が悪口を書き込んでいたとしても目に入らない。
それで完全に気にならなくなるわけではないが、少しは気が楽になる。
以前のダニエルからは考えられないほど弱気になっているのは自覚していた。
なんというか、以前のダニエルは……思い返せば相当性格が悪かったと思う。
若くして幸運に恵まれ、成功してしまった。慢心していた。
仕事上付き合いのあった人間は多かったはずなのに、いざ宿無しの無一文になった時、手を差し伸べてくれるような友人はいなかった。いや、それ以前に他人に頼るなんて発想すらなかったのかもしれない。
アンバーと出会わなければどうなっていただろう。
そう考えると本当に彼には感謝しかない。
休日を与えられたというのに、じっとしているなんてできそうにないダニエルは、掃除道具を手に古びたランプの手入れを始めた。
広すぎる屋敷は灯りの数も多い。
今でこそ電気が通っているものの、前時代の名残があちこちにある。ベンとデラだけでは普段使わない品物にまで手が回らないだろう。
暇つぶしも兼ねているのだから労働ではない。
ダニエルは心の中で言い訳をして掃除に励んだ。
「あれ? なんだかいつもより空気が綺麗な気がするな。換気したの?」
外出から戻ってきたアンバーが嬉しそうな声を上げる。
「あ、おかえりなさい」
「ただいま。あれ? 今日休日なのに、掃除なんてしなくていいよ」
「暇だったから、つい」
ダニエルが答えると、アンバーは考え込むように唸る。
「君を使用人として雇っている以上休暇に掃除をさせるのは問題なんだよ」
「今は僕の家でもあるから、休みの日に自分の家を掃除していると思えばよいかと」
「……うーん……君がいいならいいけど……」
困ったように笑うアンバーの違和感に気づく。
朝食の時より顔色が悪い気がする。
「アンバー、調子悪いの? 顔色悪いけど」
「え? あー、やっぱ化粧しないとだめかな? 血色悪いってよく言われるし」
彼は誤魔化そうと笑うけれど、そういう次元ではない。
なんというか顔に疲労が表れている。
「美味しいもの食べたら元気になると思うな。ピザ食べようよ。ピザ。デリバリーの」
デラには悪いけど。とひそひそ告げる。
「たまにはデラにも休暇をあげないと」
「規定通りにもらっているそうだけど?」
アンバーはおおらかなようで、規則にはうるさい。
休暇だとか、労働時間だとかそう言う部分が特に。
「いいかい? 僕はね、労働というものが心底嫌いなんだ。けれども人間として生まれた以上は労働しないと生きていけないからね。過労死なんて絶対ごめんだから手を抜いてほどほどの人生にするんだよ。君たちも、休暇はしっかり取ってくれ」
顔色の悪さのせいで説得力のないアンバーは、それでもなにか思うところがあるらしい。
「さ、ピザを注文しよう。オンラインでメニューを選ぼうとすると接続が途切れたりしやすいから……ポスティングされる広告をファイリングしてあるのだけど……」
アンバーは固定電話の隣に置かれたスタンドの中を漁る。
「あった。ダニー、なに食べたい? 僕はペパロニがあれば満足だ」
そういうアンバーは親戚の家に集まってデリバリーメニューを選ぶ時の子供みたいな表情をしている。
「シーフード。あとサラダも欲しい」
どうせ給料から引かれるだろうが、賃金がいい。多少贅沢をしたって問題ないだろう。
「いいね。ベンはチキンのが好きだったはずだから、一緒に注文しておこう。デラも食べるかな? ペパロニは二枚頼むか。残ったら夜食にすればいいよ」
アンバーは慣れた手つきで固定電話を操作する。
彼の見た目で固定電話を使いこなしている姿がとても不思議に見えてしまうのは時代の流れというものだろうか。
そう言えば、自分の家にも固定電話はなかったなと思い、不思議な気分になった。
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