8 本物の家族

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8 本物の家族

 迷いに迷ったアンバーは、ぎゅっとダニエルの手を握りながらゆっくりと口を開いた。 「ダニーはさ、あー……家族とは上手くいっているの? 親戚だとか」 「だったらいいのにね」  ダニエルは曖昧に笑う。  家を飛び出した後に家族と関係を修復できる人も中にはいる。けれどもダニエルはそれが上手くいかなかった方の人間だ。  つまり、ゲイをカミングアウトした後に更に親族との関係が悪化してしまった。きっと修復は出来ないだろう。 「アンバー、僕たちは生まれる家は選べないけれど、自分の家族は選べるんだよ」  恩人の言葉の受け売りではあるものの、確かにダニエルを支えてくれた言葉だ。  生まれる家族は選べない。けれども支え合う同志とでも言うのだろうか。そう言った()()()()()のような存在に巡り会えたとき、とても救われた様な気持ちになれる。 「それ、すごくいい。だったら、ベンもデラも僕の家族だ。それにダニーも」  アンバーの言葉にダニエルは嬉しくなった。 「僕の家は、古いことくらいしか誇れることがないんだよ。しきたりだとかそんなことばかり口煩くてね」  アンバーがこぼす。 「いとことうまくいってないんだ。伯母とも。でもほら、血縁だから……顔を会わせる必要があることもあって……」  アンバーは溜め息を吐く。 「パーティーが嫌いだ。着飾って集まって噂話や遠回しな罵り合いをするんだ」  アンバーはゆっくりとブランコを揺らした。 「招待状でも届いた?」  ダニエルが訊ねれば困ったような表情で頷かれる。 「そう、いとこの誕生日パーティー。同伴者が必要で……同伴者がいても見合い話ばかりされる苦行だよ」  ダニエルは自分の立場になって考えた。  誕生祝いに集まった親戚。いとこを祝おうとしてのこのこ参加したらお節介な親戚達があちこちから「いつまで独身でいるの」「はやくいい相手を見つけなさい」と言われ、どこどこのお嬢さんが真面目ないい子なのよだとか、どこどこのお嬢さんがとっても家庭的ないい子よなんて紹介される。  うんざりする。  そういう親切心で、相手さえ見つかればゲイという『病気』が、『一時の気の迷い』が治ると信じ切っている善人に反吐が出そうだ。 「ダニー、なにを想像してくれたかなんとなく理解出来る気がするけれど、僕の場合は君とはたぶん少し違う。問題なのは、いとこが紹介してくれる縁談相手が大抵僕の好みってところだよ」  困り果て、無理矢理笑ったような表情。  そこで気づいてしまう。  アンバーが一番苦しんでいるのはその部分なのだ。 「はぁ……せめて女性を愛する人間ならもう少し理解されたかもしれないのに……」  溜息と共に零された言葉は間違いなく彼の本心だろう。  アンバーという人間がとても儚い生き物に見えた。  繊細で透き通る硝子細工のようにふとした瞬間に砕け散ってしまいそうな空気を纏っている。 「朝起きて……鏡を見ると絶望するんだ。ダニー、僕のいいたいこと、わかる?」 「……なんとなく。僕はそう言った感覚の方じゃないけれど、知り合いにアンバーと似たような悩みを抱えている子がいたんだ」  彼女はアンバーとは逆だったし、女性と結婚して実の子供もいる。 「僕の知り合いで、女性と結婚して子供まで居たのに、女性になった人がいるんだ。いや、元々女性だったというのが彼女の言い分だけれど……僕から見ると少し奇妙だな。僕はゲイだから……あー……女性になりたい気持ちはわからない。確かに、フェミニンな部分はあるし、女装もしたことはあるけれど、肉体的に女性になりたいとかそういう感覚までは理解出来ないんだ」  仕事として女装したことはある。けれどもプライベートを女性として生きたいかというとそれは違う。  ダニエルは男性で、男性と寝たい人間だ。女装はあくまで仕事。ゲイをオープンにして女装した方が稼げるからだ。 「その人は……すごいね。普通の生き方をしようと努力したんだ」 「そうだね。僕には真似できないよ。だから……詐欺に遭った。きっとそうだ」  アンバーが泣いてしまいそうな空気を感じ取り、自虐で笑わせようとした。けれども遅かったようだ。 「ダニー……君から見て、僕はどう? あー……女性的な男? それとも男っぽい女?」  涙を滲ませ、必死に呼吸を整えようとしながら、それでも真っ直ぐダニエルを見て問いかけた。  ブランコの紐を掴む手が震えている。  ダニエルは思わず息を呑んだ。  適切な言葉が浮かばない。  アンバーの『悩み』は気づいているけれど、彼はその部分を気遣って欲しいわけではないことを感じ取っている。 「あー……僕は……君に拾われたとき、君を少年だと思った。つまり、凄く年下の男の子。それからしばらく屋敷で世話になって……年齢は聞いていたけれど、やっぱり背伸びした少年のように感じることが多かった。えっと……つまり、僕から見たら君は年下の男の子、に見える。その、失礼だけど……三つしか離れていないようには思えないんだ」  いつも上等なスーツを着ているし、体型のわかりにくい装いなのだろう。  家に居るときだってすぐに高級レストランに行ったり重要な会議に参加出来そうな装いだ。  パジャマ姿でさえ、上からニットを着て体型を隠している。 「……君の体が女性だったとしても、僕には初めから君が男性に見えていたよ」  恩人に気遣った言葉ではない。ただ心からそう思っている。 「……ダニー……気づいてたんだ……」 「うん。その……夜中に水を探しに行ったとき、君と話していてそうかなと……」  たぶんその事実を知っていたのはベンとデラだけなのだろう。  アンバーの寝室に誰も近づけないのも洗濯物を見せたくないのもそう言った理由だろう。 「なら、ダニーには全部ぶちまけちゃってもいいかな」 「……うん。アンバーが話したいなら全部聞かせて」  思わず、アンバーの背に触れた。けれども拒まれる気配はない。 「いとこに、打ち明けたことがあるんだ。僕は男だって。そして、ゲイだって。そうしたら……『男が好きなら女のままでいいじゃない』って。僕は……少しフェミニンな男が好きなんだ。だから余計に……メイクの話が出来るような女友達みたいな人と結婚すればいいって……」  涙混じりに話すアンバーを見て、ダニエルは手探りでハンカチを探す。 「その通りだなって……思うこともあるんだ。でも……どうしても……女として生きる自分が想像出来ない……」  ようやく見つけたハンカチはしわくちゃだった。 「アンバーはアンバーだ。僕も、異性愛者になった自分が想像出来ない。だから、無理に自分を変える必要はないよ。その……嫌じゃなかったら……」  しわくちゃのハンカチを差し出すとアンバーは微かに笑う。 「ほんっと、ダニー、君って最高。僕を慰める天才だよ。ありがとう」  アンバーはしわくちゃのハンカチを受け取って、上品に涙を拭き取る。 「僕は自分が大嫌いで……正直、この家がどうなってもいいと思ってる。でも……母のことは愛していたし、彼女を失望させたくないと思って……」  アンバーは背を向けて鼻をかむ。  これが育ちの差だろうか。ダニエルはぼんやりと考える。  アンバーはいいところのお坊ちゃんに見えた。 「君のお母さんはきっと素敵な人なんだろうね」 「ああ、最高の女性だよ。僕が異性愛者だったら彼女みたいな人と結婚したい」  そう答えたアンバーは心から誇らしそうに見えた。  自分のことは嫌いだと言うくせに、母親を褒められるのは誇らしい。 「きっと君のお母さんは、君の味方をしてくれたんだろうね」 「……どうだろう……でも……ピンクのふりふりが嫌だと駄々を捏ねたら、花柄のカフスと襟のシャツを仕立ててくれた。父に隠れてズボンも穿かせてくれたしね。父は……僕がズボンを穿くのを凄く嫌がっていた。彼は、自分の子が可愛らしい物語に出てくるような女の子であってほしいと願っていたからね」 「僕の父は、僕が女の子の玩具を欲しがったらぶん殴るような男だったよ。男らしいスポーツを強要してくるし。僕は未だにフットサルの魅力が理解出来ない。ボクシングの方が筋肉を見られるだけ魅力的だよ」  そう返せばアンバーはふふっと笑う。 「僕たち、結構苦労してきたね」 「今だって苦労しているよ。君は悩み続けているし、僕は被害届を出すべきか未だに悩んでいる」 「え? 出してなかったの? 出しなよ。そして捕まった詐欺師にお礼を言わなきゃ。僕に最高の友人と出会わせてくれてありがとうって」  不思議な気分だった。  少年の様に笑うアンバーとなら、あんなにも辛かったはずの裏切りを笑い話にできてしまう。  まだ他の人間の前で笑い話に出来る程立ち直れてはいないと思うのに、アンバーと一緒なら()()()()()()()()で済ませられそうなのだ。 「君は気づいていないかもしれないけれど……アンバー、君って最高だ」  咄嗟に手を出すと、アンバーも同じタイミングだったらしい。  気持ちいいくらい綺麗にハイタッチが決まり、二人同時に笑い出した。    
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