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……退院の前日に来てくれたのは春臣さんだったんだ。
あの日、眠っている私に話しかけ去って行った男性が春臣さんだったと今なら分かる。
低く落ち着いた声が好きだなと思ったのは、きっと私の潜在意識が呼びかけていたのだ。
……でもなんで眠っている時に?
そう疑問に感じると同時に、春臣さんと最後に交わした会話の内容が脳裏に浮かんだ。
そう、春臣さんが意図的に近づいた事実を知り、すべてが嘘だったのかと私は彼を信じられなくなっていたのだ。
そして会ってきちんと説明したいという春臣さんとの待ち合わせ場所に行く途中で私は……。
……通り魔なんかじゃない。私を刺したのは春臣さんが同僚だと言っていた女性だ。
これらの事実を踏まえると、春臣さんは私に合わす顔がなかったのかもしれない。
だからあえて眠っている時に会いに来たのだろうか。
私はおもむろに鞄の中からスマートフォンを取り出す。
そして連絡先の中に春臣さんを探した。
だが、春臣さんの連絡先は見当たらなかった。
このスマートフォンは退院後に恭吾さんと一緒に買いに行ったものだ。
電話番号は変わったが、破損した以前のスマートフォンに入っていたデータは引継ぎされているはずだったから、春臣さんの連絡先が消えているのは不自然に感じる。
ワザと消したとしか思えない。
そもそも破損というのも本当かあやしい。
……もしかして恭吾さんが……?
春臣さんについて調べていた恭吾さんが、彼に良い印象を抱いていないのは確かだ。
だから私から遠ざけようとしたのだろうか。
……それになぜ私が恭吾さんを愛していたなんて嘘を……?
イルミネーションを見に行った日に恭吾さんが話してくれたことが事実ではないことが今なら分かる。
私たちの関係はあくまでも政略結婚上の相手であったし、最後は私から婚約の破棄を打診していたというのに。
失われていた記憶を取り戻したものの、今度は新たな疑問が次々に湧いてくる。
……まずはやっぱり春臣さんと一度話したい。春臣さんの言葉でちゃんとすべてを聞かせて欲しい……!
春臣さんの連絡先が分からなくなった今、会おうと思えば彼のマンションに行くしかない。
私は涙を拭って素早く立ち上がると、楽譜とスノードームを手に駐車場へ向かう。
使用人さんに一人で行きたいところができたからタクシーで移動すると伝えて帰ってもらい、自身は手配したタクシーに飛び乗った。
記憶を思い出した今、何度か訪れた春臣さんのマンションに辿り着くのは簡単だった。
マンションに着き、さっそくインターフォンを鳴らすも応答はない。
ただ不在であるだけなら良いが、なんだか私は嫌な予感がした。
もう彼はここにはいない、そんな気がしてならない。
それから数日、何度か訪れてみたけれどやっぱり全く応答はなかった。
そこで私は次なる手段としてある人物を訪れることにしたのだった。
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