32人が本棚に入れています
本棚に追加
3 横浜中華街を歩く
翌週の土曜日、杏奈が関内駅南口の改札に着くと、すでに夏希と会長、副会長は到着していた。
雄一郎が腕時計を確認している。哲也はその隣で眼をつぶり、立っている。
杏奈は夏希に声をかけて、来週から休む旨を伝えた。
「分かった。落ち着いたら、また一緒に参加しようね」
と返事をくれる。
時間になったらしく、雄一郎が哲也の肩をつつく。
「こんにちは。本日は哲也ウォーキングクラブに参加いただき、ありがとうございます。私は代表の小野哲也です。今回は横浜中華街を歩きましょう。テーマは、食べ歩き。
前回の浅草では、浅草寺以外では買い物禁止としました。しかし想像以上に道中で購買欲を刺激されたので、今回は逆に食べ歩きをメインといたします。食べたい物を買って、途中の山下町公園で休憩しましょう。それでは参りましょう」
哲也が歩きだし、皆は後ろについていく。
夏希が杏奈に「今日の会長は覇気がないね。いつものうざったいくらいの元気を感じない」と耳打ちする。
「そうですか? 私には違いが分からないな」と杏奈は返した。
玄武門をくぐり北門通りを過ぎると、眼前に中華街が広がった。
道路の両脇に、赤や黄色の看板をした飲食店がずらりと並ぶ。片手に持てるサイズの北京ダックや、中華まん、ちまき。様々な食べ物を売っている。
夏希が二つ胡麻団子を買い、杏奈に一つ寄越した。
揚げて固くなっている表面を齧ると、温かな餡が飛び出てくる。甘さも控えめで食べやすい。
中華街大通りを過ぎると、屋根を金に装飾され、赤い支柱をもつ門があらわれた。四匹の龍が飾られており、豪華絢爛だ。
黙々と歩いていた哲也が、それを見あげて歩みをとめる。説明を始めた。
「ここは横浜関帝廟です。三国志で有名な関羽の祠。なんで武将である彼が中華街に祭られているのか、不思議に思う方もいるでしょう。それは彼が武に優れていただけではなく、帳簿を発明するなどして商売にも明るかったからだそうです」
後方から視線を感じた杏奈が振り返ると、雄一郎が哲也を見ていた。会長へ真っすぐ向けられた視線は、彼の様子を監視しているかのようだった。
「しかし関羽の祠がなぜ百六十年に渡り、中華街の人々に大切にされているのか。愛嬌だったら、実直な張飛の方がある気がします。関羽に武力があったからか、商才に恵まれていたからか。否。彼は義を重んじていた。敵の武将ですら、その忠義心には感服するくらいです。
それが中華街の店の人の琴線に触れるのでしょう。損得勘定だけでは商売はできない。人と人との関係に、信頼は重要です。だから人を簡単に裏切ってはいけない、と思うんだ」
哲也が右手で握りこぶしを作り、演説を終えた。
吐息をついて前に進む。杏奈は、彼のため息を初めてみた。
最初のコメントを投稿しよう!