登山装備

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登山装備

 俺は昔から登山が好きだった。  昔、本当に小さな、小学生の頃の登山が最初の登山だった。  学校で企画される近隣の山への登山だ。  北八ヶ岳連峰の一つである蓼科山登山はこの近隣の学校の5年生が必ず上る山になっている。  標高は2531m。結構高い山であるが、車で7合目まで行かれる道路が整備されていることもあって、観光客でもしっかりしたスニーカーだったら上ることはできる。最後の大きな岩場はやはり軍手がないと危険だが、さすがに登山するのだから軍手ぐらいは準備していってほしいものだ。    小学校の登山では、地元の登山口からずっと徒歩でのぼるので結構な距離を歩くことになるが、それでも小学生の足で日帰り登山ができるので、そんなに難易度は高くない。    真夏であれば、案外軽装備でも登れる。ただし、天候が崩れた時には寒い思いをするので、小学生も風を通さないヤッケは必需品だと教えられる。  家族で登山をした事のある友人は、必ずと言っていいほど、蓼科山には登っていたので、途中のガラ(少し大きめの石)が転がっている場所の歩き方だとか、最後の山小屋以降の大きな岩の上り方なんかを教えてもらいながら、楽しくのぼった。  蓼科山は、頂上も大きな岩の集合体でできていて、どこにも土なんかない。  岩と岩の間を大股で歩いて、人のいない場所を探して、岩の間に背中を押しつけてお昼を食べた。  そんな非日常がとても楽しくて、俺は登山が好きになった。  俺の地方の学校では、中学二年生ではもう少し高い標高2760mの南八ヶ岳にある硫黄岳に登った。そこが俺たちの学年の登山だった。  中学二年の登山は、同じ学校でもその学年によって登る山が違う。  登山の難易度は蓼科山よりも結構厳しい。それに、中学二年生の登山ではご来光と呼ばれる朝日を見るために、山小屋に一泊して早朝薄暗いうちから山頂を目指す、少々厳しい登山になる。  目はよく見えないし、リュックは重いし、鎖場はあるしで、怖い思いもしたが、幸い天候には恵まれ、山頂に着くと美しい雲海が広がる中から朝日が現れた。  雲海は歩けるのではないかと思う程、しっかりして見えて、そこに昇ってくる朝日の神々しさに目も眩むほどだった。  その後は、高校に入ってから、登山が趣味の友人や、地元の山の会に入って、色々近場の登山を楽しんだ。  大抵は南八ヶ岳に登った。単体の登山だけではなく、縦走することも覚えた。  高校を卒業して、地元の消防署に勤めた俺は、休みになると車を飛ばして上高地に行き、そこからの登山を楽しんだ。  そんなある日。  山の会の清掃登山で、山開き前の蓼科山に登ることになった。  これは、地元の山の会で毎年行うボランティアで、冬の蓼科山で山小屋が雪に埋まっている間に登山した人たちが結構な量のゴミを持ち帰らずに捨てて行く為、山開きの前にゴミを拾いに行くのだ。  いや、山の強い風で手から飛んでしまうものも多いのだろう。山登りをする人たちがわざとごみを捨てるなんて信じたくない。  そういうビニール袋や、ペットボトル、おにぎりの入っていたゴミなどを雪が融けて、見やすくなり、山開きで人が大勢のぼる前に山を綺麗にする目的で行われる。  5月の事だ。  蓼科山にはまだ少し雪が残ってはいるが、もう大分暖かく、その日は天候の崩れもないと言う予報だったので、気が緩んでいたのだろう。  もう、登山においては、忘れ物もないと言う自惚れもあったのだろう。  俺は、ネルのシャツの上にトレーナーにジーンズ、登山靴、軍手など、普段山に登る時の服装で、家を出た。5月の暖かい陽気なので、車の中ではトレーナーを脱いでいたくらいの気温だった。  軽装備だが、リュックの中には風よけのヤッケや、雨が降った時の雨具用のヤッケ、少し厚手のジャンバーも小さく畳まれてはいっている。  その年は自分が初めて山に登ってから20年目に当たる30歳の年だった。  中学校の本格的な登山の時に買ってもらった登山用リュックがその年のモデルで新品だったため、それをずっと愛用していた俺だが、さすがにリュックもくたびれてきた。     それに、この年は冬に子どもが産まれたりして、全く山に登っていなかったので、初登山だった。  せっかくなので、リュックを新調し、なんども登って慣れている蓼科山で道具も慣らそうと、リュックの中身を入れ替えた。  中身を入れ替えれば、登山に必要なものは全て入っている筈なので、安心して新しいリュックで、清掃登山に向かった。  
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